Ichika -carré- | ナノ


▼ 受け入れるアイツ 1/1



それは、唐突に訪れた。


「なまえ、お前さんに客が来てる」

「…客?」


私が吉原を飛び出してから、正確に思い返せば一週間経った日のこと。人の気がすると門まで出て行った全蔵は、後頭部を掻きながら私に出るよう顎で促した。その言葉に私の心はざわりと音を立てた。この屋敷に訪れる私の客など、考えられるのはそう何人もいない。煙管を咥えたバカか、銀髪死人顔のバカ。いいとこ赤縁メガネのバカの可能性も拭えないが、きっと人生はそう甘くはない。重い腰を上げて、私は家先へと向かった。



「…よォ」


やはり、人生というのは甘くないのだ。先ほど上げたヤツらの中で一番会いたくなかったヤツが、門にもたげて私を見据えた。その瞳から逃げぬよう、私も同じように私を捉えている瞳を見つめ返した。


「……」

「……」

「何とか言えよ」

「お前こそ、何とか言えよ」

「…何の用だよ。用があるから来たんじゃねーのかよ」

「…そーだな」


横目で私を見ていた銀時は、徐に袂を弄り何かを私にひょいっと投げた。思わずそれを受け取ると、私の手の中にあったのは、あの日置いて来たはずの携帯電話だった。それをぎゅっと掴み、再び銀時に視線を移した。


「…月詠が、心配してる。連絡くらいしてやれよ」

「…」


銀時から出た月詠という名に、私の心臓がぴりっと痛んだ。思わず口をついて出そうになった「お前は、心配してねーのかよ」なんて言葉を飲み込んで、私は地面に視線を落とす。そんなの愚問だ。勝手に飛び出して来ておきながら、心配して欲しいなんてバカげている。銀時は何も言わない私を咎めることも、優しく声をかけることもなく、ただ静かな時が流れた。あれだけ居心地のよかったはずのこの空間が、今では息苦しくて敵わない。私の行動のせいでそうなっているというのに、つくづく身勝手な自分に嫌気がさした。


「銀時」

「…あァ?」


私は静かに銀時を見据えた。小さく息を吸って、喉の奥でつっかえる言葉を必死で絞り出した。


「別れよう」


必死で取り繕ったものの、ようやく絞り出た声は情けないほど震えていた。銀時から目を逸らさずに、真っ直ぐに見据えながら震える手を後ろ手に握りしめた。そんな私を、銀時も目を逸らすことなく黙って見下ろした。そして私に向き直り、徐に片手で私の顎をがっちりと掴んだ。急に距離が縮まったその顔を見つめているだけなのに、私の視界はみるみる歪んでくる。必死に眉を顰めて意識を逸らそうとした。


「お前は、本当に自分勝手なヤツだな」


そう呟いた銀時の瞳は、とても冷たく、そして哀しげな瞳だった。その瞳から逃げるように、私は強く瞼を閉じた。私を振り払うように手を退けると、すぐに踵を返して、振り返り小さく呟いた。


「…勝手にしろよ」


それから銀時はもう、振り返ることはなかった。どんどん小さくなっていく背中を見つめながら、私はその場に呆然と立ち尽くしていた。


『お前は、本当に自分勝手なヤツだな』


わかっている。そんなことは、私が一番よくわかっている。私は自分勝手だ。勝手に吉原を飛び出し、元カレの元へ逃げ込んで、挙げ句の果てに大した理由も告げずに別れを切り出した。…それなのに、もしかしたら引き止めてくれるかもしれないなんて、期待をしてしまっていたのだから。私は、本当に自分勝手で、ズルくて、バカで、どうしようもない人間だ。

ぼたぼたと瞳から涙が流れ落ちる。拭うこともせずに、もう見えなくなった銀時の背中を必死に探した。もう二度とあの優しい笑顔が向けられることはない。もう二度とあの力強い腕に抱かれることはない。もう二度と愛しげに名を呼ばれることもない。全ては、私が選んだこと。月詠の為とは名ばかりで、私はただ逃げただけだ。月詠と向き合うことも、銀時と向き合うこともせずに、何も言わず私を迎えてくれる全蔵に、逃げただけ。

もう、わからない。何が正解で、何が間違っているのか、もう知る由もない。それでも私は銀時にあんな顔をさせたいワケじゃなかった。

その場に崩れ落ちて、私は大声を出して泣いた。ずっと一緒にいたいなんて、思ってしまっていた。ずっと幸せな日々が続くと思っていた。だけど、それを私が壊してしまったのだ。大切にしていた、あの空間を、私が壊してしまった。脳裏に浮かぶ銀時のはにかんだ笑顔が浮かぶたび、罪悪感に吐き気を催した。


「銀時…、ごめんなさい…ごめんなさい」


戯言のようにしゃくりを上げながら、何度も届かない言葉を繰り返す。これでいい。これが、一番最善の選択なんだ。




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