愛した彼女は不透明 | ナノ

02 彼女の素材



少し生ぬるい風にじとりと汗が湧き出るのを感じながら、何故か沈黙だけは避けたいと訴える頭は普段の俺からは考えられない程必死で言葉を繋ぎ止めていた。

それでも苦に感じる事は全くなくて、時折混じる彼女の笑い声やふわりと緩む表情から和み的な気持ちを芽生えさせたが、いい歳をした男が出逢って間もない女を部屋へと連れ込む正当な理由が欲しい狡い俺は頭半分必死で理由を探し出す。

正直下心は皆無で謂わば気紛れとも言える今回の出来事は、同じ様な日々の繰り返しだった日常に少しだけ刺激を求めた結果だと、そうして部屋の鍵を差し込む直前に導きだした答えは、偶然にも同じ作品でしかも照らし合わせたように同じだったそれの続きを共に鑑賞する為だという少しこじ付けがましい内容で落ち着かせた。


「上がれよい」

「あ、はい。すみません、お邪魔します」

「…おう」

「うわぁ……」


部屋に入るなり彼女の口から飛び出した不思議な声色にどういう意味だと突っ込みたくなった気持ちをグッと堪え、キョロキョロと部屋中を見渡す様子を横目に今更ながらやはりやりきれない溜息が漏れた。

先程出した理由はやはり納得していなかったのか、脆いくらいに形を崩し再び自責まがいの感情が湧いてくる。

俺は何がしたいんだと、決してこの女を抱きたい訳ではなくましては一目惚れの様に心を揺さぶられた訳でもない。

何か、うまく言葉に出来ない思いが確かに俺を動かしている事だけは事実で、喋り過ぎたのといつまで経ってもスッキリしない心は最終的に考えを止める事で無理矢理終止符を打った。


「あー…先に風呂いいかい?お前も入るだろい?」

「え、あ、どうぞお構い無く。私は…大丈夫です」

「ベタベタして気持ち悪いだろい?遠慮すんじゃねぇよい」

「あ…、はぁ…」


僅かに警戒心を滲ませた返答に思わず苦笑いが漏れる。何度も言うが下心は全く無い。じっとしていても汗ばむこの時期だ。謂わば客に茶を出すように礼儀的な意味を込めそう口にしただけだった。

俯き加減に目線を泳がせる彼女に何か言葉をと開き掛けた口を意図的に閉じ、勘違いされている事は少し気になりはしたが部屋に誘っておきながらそんなつもりはないのだと弁解する真似は逆におかしな話だと、そう感じた俺はソファーに座れと確かに言った筈だが律儀に床に正座をしている彼女に内心舌打ちをしてそそくさと風呂場へと向かった。



一日の汚れが拭い去られる爽快感に包まれながら風呂から上がれば、下着しか持ち合わせていなかった事に気付く。

最近は下着のみで過ごすという習慣にすっかり客人の存在を忘れていた俺は、どう考えてもこの姿のまま彼女の前を通り過ぎなければならない状況に羞恥心などではなく配慮的な思考が頭を過った。

また要らぬ警戒心を植え付けてしまわないかと考える一方で、逃げ道なら幾らでもあった筈なのに自ら付いてきた彼女に果たして貞操を守る権利などないのではないかと考え直した頭は直ぐ様戸惑いを捨て去り扉に手を掛ける。


「風呂入らねぇのかい?さっぱりするよい」

「あ…でも化粧道具持ってきてないし…、始発で帰りますから」

「あ?あぁ…明日休みって言ってたろい?今は酒が入ってるから無理だが明日車で送ってやるよい」

「え?いいんですか!?あ、じゃぁお言葉に甘えます」

「よい。あ、新しい歯ブラシ置いてあるから使えよい」

「はい!ありがとうございます」


正座姿のままかち合った視線は下着姿の俺を特に気にする訳でもなく、そして風呂を促す過程で口にした送るという言葉に敏感に反応を見せた彼女は、途端顔を輝かせ先程の警戒した表情は素顔で街中を歩く抵抗からだったのかと気付かされる。

そういう事だったのかと気構えた心が鎮まりながら、鼻歌混じりに風呂場へ消えていく彼女を横目に取り敢えず上だけでも着ておこうと袖を通し湯上り必須の缶ビールを豪快に傾けた。

喉が焼けるような刺激に体の力が一気に抜ける感覚を楽しみながら、ぼんやりと明日の予定を思い浮かべる。

予定通りドラマを観るのならば終わる頃には朝方だ。それから寝るとして昼過ぎには送ろうかとそんな結論を出した所で風呂場からドライヤーの音が耳を掠めた。

そういえば女を部屋に上げるのは随分と久し振りだなと、普段は感じない自分以外が発する生活音に不思議な気持ちが沸き上がるのを感じていると、カチャリと扉が開き自然とそちらに視線が向いた。


「っ!?お、おいっ!!何で素っ裸なんだよいっ!?」

「へ?あ、お風呂上がりはいつもこの格好で…それに暑いし…」

「だからって…と、取り敢えず隠せ!でもって風呂場に戻れよいっ!着替え貸してやるから」

「ん?あ、はい。へへ」

「………」


全く恥ずかしがらずへにゃりと笑った女を見て瞬時に頭を過ったのは【こいつはアホだ】というまるで彼女を示す代名詞の様な言葉だった。

それからまだ僅かしかない彼女との記憶を呼び起こす。

女一人で無防備に潰れて寝てしまうアホらしさ。それから終電に乗り遅れビデオ屋で何故か首を傾げ不振な動きをしていた怪しさと間抜けさ。そして名前も知らない出逢ったばかりの男の誘いにホイホイ付いていき風呂上がりに全裸を披露する貞操の無さ。

あれは断じて誘っている訳ではなく間違いなくアホに違いないと確信し、適当に掴んだTシャツを脱衣場へと投げ込み今更ながら彼女を連れ込んだ自分にげんなりとした溜息が出た。


暫くして俺が与えた服を纏い申し訳なさそうに現れた彼女を前に我慢できず口を吐いた説教。

あまりのアホさ加減を目の当たりにし彼女の今後に不安が過った俺は、まるで保護者かと突っ込みたくなるくらいネチネチと説教を繰り広げた。

そんな俺をしょんぼりとした表情で見上げながら、必然的にそうなったのだろう正座スタイルの彼女は不貞腐れる訳でもなく本気で申し訳なさそうな態度を向けてくる。

その反省の色と苛つきを吐き出した事で幾分落ち着きを取り戻し一息吐くと、未だ足を崩さない彼女が今度は何かもじもじと怪しげな仕草をしている事に気付く。


「あ?どうしたよい?トイレかい?」

「え?いえ、あの…っっ!!」

「……足、痺れたのかい?」

「は、はい」

「はぁ………アホ過ぎるよい」


盛大に呆れた溜息をお見舞いしながらも不確かだった心がスッと確信を得た様に軽くなるのを感じた。

この女を下心なしに招き入れお節介なまでに説教まで垂れた理由。それはアホで何か放っておけない危なかしさと、まるでペットの様な無意識に構いたくなるそんな俺の過保護心を揺さぶるような素材を秘めていたからだと。


そんな短時間で随分と理解出来た彼女に親近感のようなものが芽生えながら、足の痺れと未だ格闘している目の前の抜けすぎた存在に手を差し伸べれば、再び見せた屈託のない笑顔がどうしようもなく愛しく、そうしてやはり放ってはおけない感情がじわじわと体を満たしていくのを感じていた。

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