愛した彼女は不透明 | ナノ
01 不思議な彼女
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いつもとなんら変わらぬ時間を過ごしながら閉店時間まで残り一時間弱。残っている客をチラリと捉え確認した後、すぐ横を彷徨いていたエースに任せたと云うように軽く手を上げ早々と裏へと引っ込んだ。
伝票と共に持ってきたビールを半分ほど飲み干し一息吐いた後、ヒラヒラと紙を捲り今日の売り上げを弾き出す。下がる訳でも上がる訳でもなく常に安定した金額を映す電卓を見詰めながら、今は療養中の親父を思い浮かべ僅かに口角が緩んだ。
二十年近く安定した利益を得るという難しさを、あの人柄と腕で築き上げた親父を俺は心の底から尊敬し、そして慕っている。
生憎、生涯の伴侶とは巡り合えないまま随分といい歳まできちまったが、それでも構わないと本気で思っている。
親父の築き上げた大切な店を任され、気の合う仲間に囲まれ、くだらない事で笑い怒りふざけ合う。
そんな何気ない日常を過ごせている今に俺はとても満足していたのだ。
「なぁ、マルコ!カウンターで一人で飲んでた客、寝てんだけどどうしたらいい?」
「あ?あぁ…確か一人で来てた女かい?」
「ああ。どうする?閉店してから起こすか?気持ち良さそうに寝てるからよぉ」
「…いや、起こそうかねい。俺が行くよい」
「そ?じゃ頼んだぜ」
計算が終わったのを見計らったように告げられたいわゆる“厄介事”に、すっかりオフモードだった頭を再び入れ直し腰を上げる。
酔い潰れ寝てしまう客なんざさして珍しい事でもなかったが、女一人でというのは記憶を辿っても一人、いやもしかしたら初めてかもしれない出来事に多少の困惑を抱えながら表へと顔を出せば、聞いた通り、すやすやと気持ちよさげな表情でテーブルに突っ伏している女が目に飛び込んできた。
見た所社会人だろう至って普通のどこにでも居そうなその夢の中の住人を軽く揺すり少し強めに呼び掛ければ、小さく呻いた後寝ていたとは思えぬ機敏さで恥ずかしそうに何度も頭を下げ拍子抜けするほどすんなりと帰って行った。
俺が出るまでもなかったなと、頭の隅に用意していた抱えてタクシーまで運ぶという選択肢が瞬く間に消えた処で少し空ぶった感情が湧き出てきたが、何はともあれ無事解決と数分もせぬ内にその女の存在は頭の中から消え失せていた。
そうして今日も無事閉店を迎えしっかりと戸締りをし、店から数十メートル離れた本屋と連動するレンタルビデオ屋に向かう。
ここ最近俺の帰宅コースはもっぱらビデオ屋経由が日課になっていた。お目当ての物は既に完結している海外ドラマのシリーズで何気なしに手にした物だ。しかし観てみれば意外と面白くそして続きを煽るよういい具合に一話が終わる仕組みになっている。
本音は纏めて全話観たい所だが、それは時間的にも体力的にも不可能と判断した俺はまるで楽しみを分散するかの様に三話収録されているDVDを一本借りては返すを繰り返し、今では閉店と同時に頭の中はそのドラマの事でいっぱいになる程だった。
そんな僅かな楽しみを抱えながら蛍光灯がびっしり敷き詰めてある明るい店内に踏み込めば、深夜だというのに若者や風呂上がりだろと突っ込みたくなる輩がちらほら窺える。
その間を通り抜け今ではすっかり場所を把握している棚へと足を向けた途端、そのお目当ての棚の前にまだ記憶に新しい人物がコテコテと首を傾げながら佇んでいた。
「……あー、よい」
「…ん?あ、」
「…何してんだい?店出てから一時間以上経ってるだろい?」
「えっと…はは…」
「…終電乗り遅れたのかい?」
「ぅ……はい」
「そりゃ…ご愁傷様だよい。で?何してるんだい?」
「え、あ…朝まで…時間潰そう…と…へへ」
「……そうかい」
自分でも何故声を掛けたのか疑問に思いながら、まるで以前から知り合いだったかのように自然と話し掛けていた。
目当ての棚の前に居たからなのか、店に来てくれた大事な客の一人だったからか、可愛い顔はしていたが特にタイプでもないその女がバツが悪そうに微笑むのを横目に、本日借りる筈だった巻を目で追えば何の嫌がらせかスッポリとそこだけ抜けている。
最悪だと内心悪態を吐き本日の楽しみが消え失せた事に落胆すれば、ふと目に付いた女の手元にしっかりと握られている目当ての品。思わず女とそれを交互に見比べている俺がいた。
「え…っと、あ…これ…借りたかったんですか?」
「……ぉぅ」
「あ、どうぞ、私いつでもいいので、はい」
「え…いいのかい?」
「はい。どうせ今日借りても観れませんし」
「あー……悪いねい」
「いえいえ」
「………、このシリーズ、観てるのかい?」
「はい!面白いですよね、これ!私も次はその巻からなんです」
「……、朝までここに居るつもりかよい?」
「え?あ、そうですね、暫くしたらファミレスにでも入ります」
「……、家、すぐそこなんだが、よい。一緒に観るかい?これ」
「え…」
「あー、いや、よい、その…変な意味はなくて、その…」
「い、いいんですか!?一緒に観ても?」
「っ…、あぁ、どうぞい」
何故そんな言葉が口から飛び出たのか、何故名前も知らぬタイプでもないその女を家に招こうと思ったのか、自分の思考がさっぱり理解できないままニコニコと笑みを浮かべ横を歩く女を体半分意識しながら、それでも不思議と嫌な気持ちも、違和感も、そんなものは全く生まれなかった。