愛した彼女は不透明 | ナノ

13 間抜けな勘違い



不可解第二弾をお見舞いされた早朝、あれは以前同様彼女なりの精一杯な本気だと確信していた俺は、なんの戸惑いも無しに携帯を手にしていた。

勿論#name#が起きる時間を見計らったものだが、モーニングコールの様な真似を難なくしてしまう辺り、ぐっと縮まった距離とある程度は許される恋仲特有の関係になった事に、もぞりと尻の辺りがむず痒くなる。

そうして数秒鳴った無機質な電子音が彼女の声に変わった途端、痺れる様に胸の辺りが熱くなった。

たかが声を聞いただけでこんなにも心が揺れる自分に何か情けない感情が生まれないでもないが、受話器越でさえ手に取る様に浮かび上がるその姿に、だらしなく下がった口角はもはや隠しようがない。

「ん……マルコ…さん?」

「おう。おはよう、もう起きる時間だろい?」

「ん…ぁ、おはようございま、す?」

「くくっ、おはよう」

ごそごそと起きる気配を鼓膜に響かせながら、それでも朝っぱらからの着信に少し不思議がる様子を漂わせた#name#は何事かとゆるい疑問符を投げ掛けてきた。

そんな問い掛けに一瞬忘れていた本題を思い出し、ふわふわと思考を遮る#name#の気配を一先ず追いやり慌ててメールの打開策を捻り出す。

前回とは違って直接顔を見て説明出来る訳でもなく、ましてや寝起きの相手だ。それでもあの長文を今日も続けられては、送る側もそうだが受けとる側も一苦労してしまう。

一体なぜあんなメールを打とうと思ったのか問いたい所だが、結局の所俺の説明不足からなる結果だと判断し、手短に、そしてへこまない程度にやんわりメールの件を口にした。

「ぇ…もうメールしなくて…いいんですか?」

「ああ。大変だろい?それにメールより声の方が聞きたいしねい」

「は…はぁ。じゃぁ…電話、しますね」

「あぁ、そうしてくれよい。俺も掛けるからよい」

「はい!あ、じゃぁお昼休み!今度は私がマルコさんにモーニングコールします!」

「くくっ、そりゃいいな。頼むよい」

弾む声を最後に電話を切り、一先ず安堵の溜息が漏れた。お互いの仕事上、なんらかの策を練らなければ全くといっていい程接触は出来ない。

そんな訳で一番コンタクトを取りやすいだろうと思案したメールだったが、彼女にとってはあまり最優手段ではなかったようだ。

しかしメールの打ち方も知らないとはやはり不思議で仕方がない。友達なんかとメールはしないのだろうかと過りながら、考えてみれば俺もメールは普段しないなと思い直した。

それでも打ち方くらいは知っているが、まぁ、いいかと、この件を頭の中から追い出し、新たに決まった"モーニングコール"にだらしなく顔が緩んでいく。

そんな新たに加わった二人の決め事は、メールよりも格別に心地よく逢えない日々の寂しさやもどかしさを一気に拭い去る一方で、同時に週末への期待を何倍にも倍増させるものになった。


「お疲れさん、昼休みかよい?」

「あ、いえ、あの…」

「ん?どうした?」

「あ、あの…実は…ーー」

数日振りの再会を果たす待ち望んだ金曜の昼過ぎ。震えた携帯をまるで彼女の分身かの様に愛しさを込め握ったのも束の間、予期せぬ言葉にその分身はこれでもかというくらい圧迫されメキメキと悲鳴をあげていた。

「なっ!?骨折って…大丈夫かよいっ!?」

「はい!大丈夫です!それで…今日なんですけど…お泊まりに行けそうになくて」

「当たり前だよい!で?どこの病院だい?」

「へ?あ、うちの病院です。外科病棟の五」

「わかった。すぐ行くよい」

電話を切るや否や自己新記録並に部屋を飛び出した。擦り傷なんて可愛い怪我じゃない。骨折だ。幸い今まで怪我という怪我なんてした事ない俺にとって、骨折という響きは生死をさ迷うと同じ尺度で捉えられている。

「#name#!?大丈夫かよいっ!」

「わ、ものすごい早かったですね、吃驚です」

「……、足かい?痛いだろい?」

「あ、今は麻酔が効いてるみたいで痛くないですよ。全然大丈夫です!」

「大丈夫って…全治はどの」

「#name#、薬の時間だ」

「あ、はい!」

「っつ!?お前は…」

怪我人らしからぬ笑顔に迎えられホッと胸を撫で下ろした刹那、ガラリと戸の開く音に反射的に振り返えれば、白衣を身に纏った医者らしき男がスタスタと薬の乗ったトレーを抱え歩み寄ってきた。
そこまでは何も問題はない。なんせここは病院だ。医者が遠慮なしに入ってくるのもまぁ、分かる。分かるのだが一番の問題点はこの医者だ。あぁ、忘れもしねぇよい。こいつは俺に喧嘩を売ってきた、あいつだ。

「痛みは?あぁ…後何か食いたい物はあるか?今なら買いに行けるぞ」

「痛くないよ。んー…じゃぁチーズケーキが食べたいな」

「この前の店のか?分かった。買ってこよう」

「やった!プリンもね!」

そんな突然現れたいい記憶のない男をジトリと見つめながら、やたら親し気な二人を前に頭の中が急速に回転しだす。

同僚にしてはあまりにも親し過ぎるその様子に直ぐに浮かんだのは色恋絡みの関係だった。しかし#name#は俺の女だ。もし仮にこいつとデキていたとしても、まさか俺の目の前でこうもいちゃつく度胸はないだろう。ではこの男が一方的に好意を寄せているのだろうか?何でも大っぴらに話してしまう彼女の事だ。こいつにサラリと俺の事を話したに違いない。だとしたらあの日の粗相に合点が付く。あれは嫌がらせを兼ねた偵察か何かだったのだろう。

そんな勝手な結論で締めくくりながら、男の手が#name#の口に到達する寸での所でその手から薬を奪い取った。

構いたくなる気持ちも仲良しアピールをしたい気持ちも分からなくもない。だがそれはお前の仕事じゃねぇしましてや俺の目の前でなんてさせてたまるか。そう胸の内で呟き、この嫌がらせしか出来ない憐れな負け犬に勝ち誇った眼差しを向けてやる。

「薬は俺が飲ませるよい。それよりお前…ここの医者だったのかい?」

「ん?なんだ、知らなかったのか?」

「知る訳ねぇだろい、だいたいアレは何のつもり」

「それより薬を返せ。こいつは錠剤を上手く飲み込めないんだ。#name#あーんしろ」

「え、あ、はい」

「おいっ!つうか#name#も薬くらい自分で飲めるだろい!?何口開けてんだい」

「え…だって喉に引っかかって上手く飲み込めないんです」

「だからってよい」

「何を怒ってるんだ?変わった奴だな、#name#あーんだ」

「てめぇ…」

あまりの傍若無人さに、憐れんでいた心がみるみる苛立ちに変わっていく。それに少しばかりの焦りと不安。なんだ?#name#のやつやけに懐いてやしないか?言葉使いもそうだが、俺と接する時以上にリラックスしているようにも…見えなくはない。

彼女は俺の女で…いや、待て。確かに好きだとは言われたが、果たして#name#に恋人意識はあるのだろうか?

以前言っていた『好きな人以外はー』という言葉が脳裏に浮かぶ。つまりだ。#name#にとってこいつも好きな人のくくりに入る訳で、つまり俺と同じ様な関係をーーー

「何だ、今度は百面相か?やはり変わった奴だな」

「っ、#name#…こい…こいつとはどんな関係だい?」

「ん?ロー先生ですか?兄です、へへ」

「そうかい………兄!?」

「なんだ?それも知らなかったのか?」

「あ…そういえば言ってなかった気がします、へへ」

「………………兄貴…こいつが?」

「ああ、そうだ。妹が世話になってるな、礼を言おう」

「#name#の…兄貴………」

「マルコさん?どうかしましたか?マルコさーん?」

「#name#、そっとしておいてやれ。余程嬉しいんだろ、俺が兄で」

「嬉しかねぇよいっ!!」

最悪の事態を頭に浮かべ意を決して問うた質問は、さらりと、そしてへにゃりと彼女の口から返された。

そんな彼女を前に間の抜けた反応を見せてしまった俺は、何か今世紀最大の衝撃を受けた気分に襲われている。

先程まで感じていた不安は瞬く間に消え失せ、変わりに恥ずかし過ぎる勘違いへの羞恥と、衝撃の事実に困惑する感情と、そしてさざ波の様にじわじわと押し寄せる嫌な予感にぶるりと身が震えるのを感じていた。

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