愛した彼女は不透明 | ナノ

10 浮き沈む心



その日の目覚めはここ一番に気分がよく、身体が甘い空気に覆われ部屋中がまるでお花畑にでもなったように浮わついた空間に変わっていた。

眠る寸前までピットリ引っ付いていた#name#は、目覚めてからも満べんの笑みでどこかしら俺の体に触れていて、まるで片時も離れたくないのだと言っているその様は登り詰めるだけの感情に拍車を掛けるばかりだ。

しかしいつまでも触れ合っていたいと願う心と裏腹に甘い時間はあっという間に時を刻み、結局何をする訳でもなく一日中部屋でじゃれ合う内に、時刻は無情にも深夜に差し掛かりお別れのカウントダウンが始まってしまう。

「んな顔すんなよい、また…週末泊まり来い」

「はい」

「ん、じゃぁ…明日寝坊するなよい」

「はい…」

自宅のマンション前で、名残惜しさ全開に助手席から微動だにしない#name#に精一杯の虚勢を張り見送った。

俺だって離れたくはない。しかし仕事の日は朝六時には起きなければならないという#name#をこれ以上拘束するのはいけないと泣く泣く背中を押したのだ。

そうして少し買い物をした後自宅に戻れば、そこはまだ甘い空間が広がったまま#name#の気配を漂わせていて、そんな気配を手繰り寄せ微かに残る香りを楽しみながら、この急速に始まった恋に身体中が痺れる程の幸福感に包まれ#name#と初めて過ごす甘い休日は幕を閉じた。



「ボサッとしてねぇでちゃっちゃとコレ持ってけよいっ!」

「うおっ!?マルコ機嫌悪ぃな…喧嘩でもしたのか?」

「してねぇし煩せぇよい、さっさと手を動かせ」

「いや…あからさまに機嫌悪ぃだろ。どうした?」

「どうもこうもなんもねぇよい!!」


ご名答だ。俺は今すこぶる機嫌が悪い。俺だってこんな事であたり散らかしたくはないし子供染みていると重々承知だ。しかしどうにも治まりそうにないこのムカつきは今や破壊魔になる寸前の所を往き来している。

何も瞬間湯沸し器の様に一気に悪くなった訳じゃない。朝から…いや昨夜からだ。じわじわと不安や焦りや苛立ちなんかを積み重ね今や爆発しそうなまで膨れ上がった結果がこれだ。

その理由は単純かつなんとも子供染みた内容で、単に#name#からの連絡が何もないという事。

何もない。そう何もないのだ。普段はマナーモード必須の俺が着信音全開に設定し枕元にまで置いていたにも関わらず、おやすみもおはようのメールも、手が空く可能性が最も高い昼休みにさえメールの一つも寄越さない。生憎俺はメールなんてものは煩わしくて滅多にしない方だが女は違うだろ?普通しないか?始まったばかりのこの甘過ぎる関係で会えない分せめてメールという手段で繋がりを感じたいとは思わないのか?そして極めつけはこれからだ。

現在時刻は午後八時過ぎ。終わってるよな?間違いなく仕事は終わってるだろ?なのに何故か連絡を寄越さない。アドレスは確かに交換した筈だ。交換した筈なのに、だ。

「…………………チッ」

定期的に漏れる舌打ちで過ごすこと三時間。再び携帯を目にすればやはりメールも着信もきていない。

もう我慢の限界だと自棄気味に発信ボタンを押した俺は更なるドン底に突き落とされる事になる。

「だァァァーー!!ふざけんなよいっ!!」

思わず奇声と共に側の椅子を蹴り上げた。何かに当たらなければ頭が破裂しそうだったからだ。

でやしない。そう、#name#は電話にさえでやしなかったのだ。何故?何故なんだ?数分待ったが掛け直してもきやしない。昨日の今日で嫌われた訳でもあるまいしそれとも俺と#name#には計り知れない温度差でも存在するのだろうか?

そうして治まらない苛つきの中閉店を迎え、怖い恐いと冷やかしつつ距離を置く同僚に溜息を吐きながら自宅へと帰る。

当然あの日のように桃を抱えた#name#が居る筈もなく、甘い空気がすっかり抜けちまった部屋で電池が切れたようにソファーに座り込んだ。

なんだって云うんだ。何かあったのか?そんな心配も頭の隅に入れながら無性に居たたまれない気持ちが胸に押し寄せる。

たがが一日されど一日だ。次に逢う約束はまだ四日もある。それまでこの音沙汰無しが続けば俺は間違いなくどこか壊れるだろう。

そんな晴れない思考のまま気付けば朝日が差し込む時間帯に本日何度目か分からぬ溜息を吐き出した。考えても仕方がない。声が聞きたいのならまた俺から掛ければいいだけの話だ。そう結論付け腰を上げた瞬間、鳴り響いた着信音に落ち着き出していた心臓が再び早鐘を響かせた。

「もしもし?おはよう御座います#name#です」

「………………おぅ」

「あ、寝てましたか?ごめんなさい。あの…昨日は電話出れなくてすみません、あの、気付かなくって」

「…………そうかい、なら仕方ないよい」

「本当にすみません。何か用事かなにか…」

「あー…いや、とくにねぇんだが………あのよい、」

待ち望んだ#name#からの着信はみるみる鼓動を高鳴らせ嘘みたいに苛つきや不安を拭い去っていく。

しかし僅かに残った残骸が女々しくも昨日の素行を聞き出し始め、その返答に胸を撫で下ろしながらもやはり言わずにはいられない。

「…メール、しろよい」

「メール?ですか?」

「あぁ…内容は何でもいいからよい」

「メール……あまり得意じゃないんですが、頑張ります!」

「……ぉぅ」

「へへ、ではお休みなさい」

「あぁ、#name#も仕事頑張れよい。それと…部屋着、楽しみにしてるよい」

「はい!忘れずに持っていきますね!」

弾むような声を最後に携帯を耳から離せば、顔は見えずとも#name#の気配が間近に感じられ頬がだらしなく緩んでいく。

先程までの自分が滑稽過ぎて笑いしか出てこないが、#name#の声を聞いた所為か一気に睡魔に襲われた。浮き沈みの激しかった今日だがそれはそれで恋愛の醍醐味だなと薄笑いを漏らしながら、それでも瞼に映るのは愛しい#name#の笑顔だけで、俺は再びお花畑に足を突っ込んだのだ。






「…………あ?」

寝起き早々間抜けな声を出した俺の手には#name#から届いた待望の初メールが刻まれた携帯が握りしめてある。しかしその画面にはどんなに目を凝らそうとも新たな文字が浮かび上がる筈もなく、ただ一文字。『あ』とだけ綴られていた。

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