短編or番外編 | ナノ


妥協から始まる恋物語 1


いつもならものの数秒で役目を終えている筈の目覚まし時計は、もうかれこれ五分以上鳴り続けていると思う。

手を伸ばせば容易に止められるのに、私はそれを後回しに布団の中でぐるぐると思考を巡らせ我が身に起こっている身体の異変を分析していた。

ぞわぞわと全身を駆け巡る悪寒に倦怠感。もわりとする目頭に軽い頭痛。熱は今のところなさそうだけれど、間違いなく上がる気配を感じる。

これは、風邪だな。寝起きの頭で弾き出した病名に記憶を呼び起こす。いつ振りだろうか?小学生?中学生?思い出せない程昔の話で認めるのに時間が掛かってしまった。

そんな久々過ぎる風邪に面倒くさい溜息を吐きながら、今やBGM化しつつ目覚まし時計を漸く黙らせ、再度自分の体調を見直してみる。

非常に気怠い。そして悪寒の所為で身体が小刻みに震えている。これにもし熱も加われば、絶対に仕事所じゃない筈だ。

そう判断すれば話は早い。元より休むなんて選択肢になかった頭には、直ぐ様病院という文字が浮かび上がった。

幸い今日は週末で、明日、明後日と休日が控えている。今日さえ乗り切れればいい。風邪なんて二日もあれば治るだろうし、それに注射の一本でも打ってもらえば、この忌々しい体調の悪さも消えるかもしれない。

そんな安易な思考のもと、まるで着ぐるみの様に服を着込み、簡単に髪を纏めマスクを装着。そのまま出勤したい処だけれど、生憎フルメイクをする元気はない。遅刻は免れそうにないけど、欠勤よりはましだろうと、財布と保険証、それから携帯電話を鞄に押し込み一番近くの内科へと朝一で乗り込んだ。


有難い事に早朝から開いているこの病院は、仕事前に寄れるとあって既に待合室はかなりの人で埋まっていた。受付を済ませ空いていた椅子に腰を下ろせば、周りからひっきりなしに聞こえる咳や、病人独特の唸り声に当てられ寝起きよりも更に具合が悪化した気がする。まさに病は気から。心なしか熱も出てきたようだ。

そうして混雑の割には意外と早く呼ばれた診察室で、無表情な初老の医者に告げられた病名は流行りのインフルエンザ。
成る程なと納得する。やたら滅多に風邪なんて引かないこの身体。ただの風邪なんて言われても釈然としないだろう。

そんな納得顔の私を気にも留めず、医者は淡々と治療や対処法を告げていく。
まるで朗読でもしているかの様にさらさらと流れる話の中で、一つ引っかかるワードがあった。
“一週間は自宅で安静に“ その言葉に再度説明を求めれば、感染力が高いこの病、人に感染させないよう引き篭れ、という事だった。何てことだ。

病原菌扱いに内心溜息を吐きながら、それでも事実なのだから仕方ないと自宅に帰る途中で会社へと連絡を入れる。

自慢になるのかわからないが、入社して約三年、一度も遅刻も欠勤もした事がない。別に真面目でも皆勤賞を狙ってる訳でもなく、ただ身体が丈夫で暇なだけという理由が、単純過ぎて笑えるけど、取り敢えず医者の指示通り一週間の欠勤を告げると、日頃の甲斐あってかなんの疑いもなく心配した口調で了承を得た。

まぁ、疑われても事実なのだから戸惑いはしないとしてだ、この不意に訪れた一週間もの休みを前に、妙に気持ちがそわそわと落ち着かない。

しかしこの連休はバカンスに行く訳でものんびりする訳でもなく、何の楽しみもないインフルエンザとの戦いなのだから泣けてくる。

先程告げれた話だと二、三日は間違いなく高熱がでるそうだけど、いまいち高熱とやらの感覚がわからなかった。熱なんて風邪同様、思い出せない程でていないからだ。

それでも確かに悪寒に混じって目の奥辺りがズーンっと熱を発しているのが分る。これがどの程度のダメージを及ぼすかはさて置き、思い付く限りの対策は立てておかなければならない。
なんたって、悲しいが看病してくれる相手がいないのだから。

独り身の寂しさをこんな感じで噛み締めながら、若干ふら付き始めた足取りでコンビニで温めるだけのお粥にポカリスエット、それからおでこに貼り付けて熱を冷ますという冷却シートを買い込み、このインフルエンザなどという流行りの病に一人で立ち向かう準備を整えていく。


そうして自宅に戻った時には体調は明らかに悪化していて、動くのさえ億劫に感じる程弱った身体に少しだけ泣きたくなった。普段元気なぶん、この不意に訪れた病気がやたら心細さを連れてくる。

そんな思いを溜息と共に吐き出しながら、今直ぐにでもベットにダイブしたい気持ちをぐっと堪え、買ってきたばかりのお粥を少しと薬を口にした。そして思わず顔が歪む。苦い。なんのつもりでこんな味にしたのかと、薬の開発者に一人愚痴を零しながら、飲み物と冷却シート、それに着替え一式をベット脇のチェストにセッティングする。

これでトイレ以外は動かずに事足りるだろうと、何かやり遂げた様な達成感の中、漸く横たわる事が出来た身体は病人よろしく一気に気だるさに襲われていった。そんな午前十一時。

そうして幻聴の様に聞こえるチャイムに意識が浮上したのが午後三時過ぎ。熱が上がっているのか頭が上手く働かない。

ぼんやりとその音を聞きながら、それでもこの時間帯に鳴るアポ無しチャイムは訪問販売かなにかだろうと、対応する気は微塵もなく再び目を閉じた。

しかし一向に鳴り止む気配を見せない電子音に加え、更には戸を叩く音まで聞こえ出す。これは扉が開くまで続きそうだなと、うるさ過ぎるその音に渋々重い身体を起こすはめになった。

だいたい平日のこの時間帯に訪れる訪問者なんて考えても全く思い付かない。それでも明らかに自分に用のある人物なのはなんとなく理解していた。なんたってしつこ過ぎる。

一体誰だ何の用だと、気だるい身体で漸くたどり着いた扉の錠を外した途端、触れてもいない扉が一気に全開になり思わず前のめりになる身体をふわりと誰かに支えられた。そうして訳が分らぬ面持ちで見上げた先には、想像だにしなかった人物が心底ホッとしたような溜息と共に此方を見つめている。


「……ぇ?」

「はぁ…生きてたよい、よかった」

「ぇ…あの……」

「かなりキツそうだねい、ほら、布団に戻るよい」

「や、あの…コホコホッ」

「大丈夫かい!?起こして悪かった、っしょ、布団は…こっちかい?」

「っ!?ケホッ、は?いや、あの」

「俺がしっかり看病するから、安心して寝てくれよい」

「?!?!?」

酷く間抜けな顔をしていたと思う。熱で思考回路が犯されているとはいえ、この状況は理解出来ないとしか言いようがない。

何故?なぜ?ナゼ貴方がここに?

定まらない疑問が目まぐるしく飛び回る。どんなに記憶を掘り起こしても、この目の前で心配そうな眼差しを向けてくる人物に、家に上がり込みベットまで運ばれ、あまつは看病なんてされる覚えも接点も何も浮かばないからだ。

そんな如何にも親しげに接してくる訪問者を怪しげな眼差しで見詰めながら、熱の所為でもわりとする頭を奮い立たせもう一度記憶を探ってみる。
入社して以来、交わした会話は事務的な内容ばかりだし、会社の外でなんて会った事もなければ勿論携帯番号すら知らない。言わずもがなプライベートな事情なんて何一つとしてお互いが知らないただの上司と部下。そんな関係で、間違いない筈。

「……あの、コホッゲホッ、なぜ、室長が…ここへ?」

「あーほら、喋るなよい、大丈夫かい?」

「大丈…夫、です。で、あの…」

「ん?あー、#name#が風邪で休みだって聞いたらよい、居てもたってもいられなくなっちまって…来ちまった」

「は?なっゲホッゲホッ」

「あーほらほら、薬は…飲んでるな。後で粥作るから、今はゆっくり寝てくれよい」

「ぅ……」

しっかりと彼との関係を認識した上で問い掛けた言葉は理解しがたい返答でかわされてしまった。まるで当たり前の様なその口調にただただ戸惑うばかりの私を他所に、母親の様な手付きで掛け布団を首まで掛けられ、よしよしと優しく頭を撫でてくる上司を怪訝な表情で見上げながら、どんな角度から解釈しても理解不可能な言葉と行動を前に、寝ているにも拘らずクラリと立ちくらみの様な感覚に襲われる。

もっと詳しく、納得できるまでこの状況を聴き出したい処だけれど、どうやら身体が限界らしい。激しく頭を使った所為か、目を開けている事さえ苦痛を感じている。なんとも言えない身体のだるさと、目の奥でジーンと高まっていく熱に意識が沈んでいくのを感じながら、それでも頭の中では膨大な疑問符が未だ引っ切り無しに飛び交っていた。

だからどうして貴方がここにいる?と。







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