短編or番外編 | ナノ


涙が枯れた頃 V




親父を失ってからというもの毎日をかなり怠慢に過ごしていた。
仕事はきちんとしていた。親父に任されていた会社だ。蔑ろにはできねぇ。

だが、私生活の事までは流石に気持ちが追いつかず、部屋の掃除もおろか食事なんて摂るのもさらに億劫だった。

もとから外食ばかりだったが、外で食うのも気分が乗らず一日に一食、摂らない日もザラだった。

そんな生活を一月近くしていれば当然体は衰える訳で、周りから心配の声が飛び交うが、正直どうでもよかった。オレが失ったものは計り知れない。


それから親父の法要の為に葬儀屋に足を向けたあの日、彼女と再び出会ったのだ。
葬儀の時も会っているのだが、あの時は全く周りなんて見ている余裕はなく、当然彼女の事も背景の一部としか感じていなかった。


だがあの日、オレの体調を心底心配している様子で飯を作ると言い出した彼女に、初めは驚き怪訝に思ったが、慌てふためく彼女を見ていると不思議に頬が緩んでいた。

笑ったのなんて久し振りだった。そんなオレは、彼女の申し出に少し高鳴った鼓動を覚え了承したのだ。


その日から毎日の様に飯を作りに来てくれる彼女。
正直初めは戸惑った。男の部屋に飯を作りに来る。その意味を彼女は分かって来ているのだろうかと。


だが食欲も無いに等しいオレだ。そんな奴が性欲なんてある筈もなく、かと言って彼女もその類の雰囲気さえ出さず、ただ本当に飯を作り共に食事をしているだけだった。

そんな日が暫く経って体調も元の様に戻った頃、オレはふと部屋を見渡し思ったのだ。

以前より綺麗に片付けられた部屋。ピカピカに磨き上げられたキッチン。そして何より彼女と共に過ごす今の環境。


”心地よい”そう思った。ぽっかりと開いていた穴が彼女のお陰でどんどん埋まっていく感じがした。
もしかしたら彼女は、親父がオレを心配して巡り合わせてくれたんじゃないかとさえ思う程だ。


そんな彼女に恋愛感情を抱くのは当たり前で、そして彼女もオレに好意を寄せてくれていると感じていた。
しかし、そう思っていても絶対的な確証がないと踏み出せない自分がいた。

失う事の辛さに底知れぬ恐怖を感じているオレは、自ら想いを伝えてそれを断られた時、今のこの日常が壊れる事に心の底から恐怖を感じてしまっていたからだ。

合鍵を渡すという行為で気持ちをぶつける事しかできず、臆病なオレは、彼女の行為に甘えっぱなしで前にも後ろにも行けない状態のまま、ただ時間だけが過ぎてゆくのを煮え切らない気持ちで過ごしていた。



そんなある日、今日も仕事を終えいつもくる彼女からのメールを確認し家路に向かう。

《今日はえびグラタンですよ。運転気を付けて帰ってきてくださいね》

そんな彼女からのメールを見て柄にも無く顔がニヤケる。
温かい、何か心の底から込み上げてくる幸せみたいなやつがオレを満たしていくのを感じた。

ガキの頃から家族と言う繋がりをとても大切に感じてきたオレだ。
いつか自分で、親父が与えてくれた様な温かな家庭を築きたい。そんな想いがあった。

#name#とならそんな家庭が築けるだろうと、未だ想いさえ伝えていないというのにオレは、淡い未来予想図を思い浮かべアクセルを強く踏み込んだ。


しかし現実はそう甘くはなく、出迎えてくれる筈の彼女の姿はどこにも居らず、代わりにオレを出迎えたのは…

「おかえり、マルコ」

「なんでお前が…#name#は!?ここに居た彼女はどうした!?」

「あ、なんか血相変えて出て行ったわよ」

「なっ…で、なんでお前が居るんだよい」

少し前まで相手にしていた女だ。別に付き合っていた訳でも好いていた訳でもない。あまりにオレの女面をするのが鬱陶しくてずっと連絡を絶っていた女だ。


それから事の状況を飲み込んだオレは、その女を追い出し#name#に電話を掛ける。
しかしいくらコールを鳴らしても彼女の声は聞けず、オレは愕然とした。

彼女はどう思っただろうか。間違いなくあの女をオレの女だと勘違いしているだろう。
そしてオレは更に顔が青ざめていくのを感じた。

何故なら、オレは彼女の家を知らない。いつも自分の車でやって来てオレが送る事もなく帰っていくからだ。

それに、よく考えればオレは彼女の事をあまり知らなかった事に気付く。
勤め先は勿論知っているが、話によると親父の葬儀に居たのは偶然らしい。ならば、いつもは何をしているのか?それさえもよく知らなかった。

食卓で交わされる会話は殆どが彼女がリードしていたが、日常の些細な出来事や、面白かった映画の話など、あまり彼女の素行を伺えるものはなかった様に思える。

近くに住んでいるのは知っていたが、それでも範囲が広すぎだ。
電話に出てくれない以上、彼女の会社に問い合わせるか、待ち伏せするか…


好きな相手の事を何も知らなかった、否、知ろうとしていなかった自分に嫌気がさす。

彼女が来て、飯を作り掃除をしてという現状にオレは甘え過ぎていた。
全て彼女の好意で行われていたものだ。辞めるのも彼女次第。オレには彼女を引き止める権利はない。


権利…そうだ。その権利を作ればいい話じゃないか。
今のあやふなな状態を変えればいいのだ。その方法は一つ。彼女に想いを告げる事。
もう既に失いかけている状況だ。なんの行動も起こさずに終わるよりは想いを告げて玉砕する方がマシだ。


そう決意を固めたのはいいが、彼女と接触する手段がない今、オレはどうする事も出来ずに佇んでいた。

失いたくない。切実にそう感じた。
こんな事になるのならもっと早く勇気を出せばよかったと、自分を咎めるだけ咎めながら、出来上がったグラタンと作りかけのサラダを見つめ、この空虚な空間の中張り裂けそうな胸を抑え彼女の事を想ったのだった。







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