私の中の優先順位 | ナノ
06 晴れない心
逃げるようにマルコさんのもとを去った後、タクシーの中で少しは落ち着いたと思っていた気持ちが部屋に着いた途端再びグツリと煮え出した。
今までにもしつこく誘われた事はあるが、それなりにうまくあしらいやり過ごしてきた筈なのに、今日のように手をあげる程感情が揺れたのは初めてだった。
何か、うまく言葉で言い表せない想いが胃の中で蠢きあっているような気持ち悪さに襲われながら、ガサガサと鞄を漁り携帯を取り出す。
「もしもしロー?」
「あぁ…アフター終わったのか?お疲れさん」
「今日は先客いる?いないなら行っていい?」
「…あぁ」
煮え切らない想いを抱えながら同じマンションに住むローの部屋へと向かった。
もともと彼とは面識がありこの世界に私を引き摺りこんだのもローだった。そうして店で溜まったストレスは全て店長であるローにぶつけ発散するのが、私の働く店の暗黙の常識になっている。
「アフターはどうだった?がっちり掴んだか?」
「んー…それよりさ、まず抱いてよ」
「…なんかあったのか?」
「…ロー、早く」
「……ったく」
働きだした当初、不慣れな仕事内容に悪戦苦闘している私に一から教えてくれたロー。
客のあしらい方から営業の仕方。いろんなノウハウを彼に叩き込まれた。そうして彼が今でも口を酸っぱくして言うのが――
「こんなに早ぇって事はホテルには誘われなかったのか?」
「んっ、誘われたよ…」
「上手くあしらったか…#name#は身体を張ってまで客は取らなくていいからな」
「ぁっ、ん、うん」
「男も作るなよ、お前みたいなタイプは男が出来ると仕事にならねぇ」
「ぁんっ、ゃ…わかってるよ」
「フッ…それでいい」
十人十色。その言葉の通りローはお店の子一人一人に合った営業方法を考えてくれている。
そして私には客と寝るな、男は作るなとあくまで清純を売りにしろと教え込まれた。
確かにお金は欲しいが、好きでもない親父に抱かれてまで手に入れたい訳じゃない。そんな心情を察してか、ローはこのやり方を今でも厳しいくらいに強要する。
しかしそのお陰で恋人はこの仕事を始めてから出来ていない。心は満たされる事はないが、身体に溜まった欲ならこうして彼に発散してもらい憂さを晴らすという訳だ。
それでも他の子には枕営業を強要していると聞いた事もある。しかしそれもその子に合った営業方法なのだろう。
この甘いマスクに一体何人の子達が言いなりになっているのか、幸いローに恋愛感情は抱いた事はないが、彼に本気になっている子もいるだろう。いつか事情の縺れで刺されはしないかと内心心配だったりする。
「…で?どうかしたのか?」
「ん……ひっぱたいた」
「……誰を?」
「アフターの客」
「……はぁ、お前なぁ。あしらい方なら教えた筈だが?」
「っ…気付いたら…手が」
溜まったモヤモヤを吐き出した後、当然問われる内容に怒られると分かっている私はしどろもどろに答えていく。
溜息を絶えず吐きながら聞き終えたローは、怒るというより呆れ顔で私を見据えていた。
そんな顔をされても過ぎた事は仕方がない。開き直るように謝罪を口にすれば今度は頭を抱えるように深く息を吐かれた。
「少しお前には優しくし過ぎたか?」
「…なによ、それ」
「この仕事楽しいか?」
「……わかんない」
「ククッ…怒るなよ」
揶揄するように言葉を投げ掛けるローにくるりと背を向け口を尖らした。
楽しいか何て聞かれてもどちらとも言えない。ローが一体何を言いたかったのかはわからないが、この時私は恋人も作れないこの仕事をいつまで続けるのだろうと、せっかく拭い去ったモヤモヤが再び身体の中で蠢き出すのを感じていた。