私の中の優先順位 | ナノ

17 二人の隔たり



呼び止める声を振り切り外へ飛び出せば、なんとも都合よく通りかかったタクシーに滑り込むように乗り込んだ。

一応、うまくやり過ごそうと作った演技は、最後の振り切りで私の心情があからさまに伝わっただろう。

それでも込み上げる苛つきや息苦しさに苛まれている自分を抑える術は、あの場を逃げ出す事しか思い付かなかったのだ。

考え事をしていた所為かあっという間に着いた自宅で、昨夜からお預けを食らっていた煙草を取り出し直ぐ様火を点けた。

肺一杯に吸い込んだ煙を吐き出すと同時にゆっくりと鎮まっていく動悸。有害な筈のソレに苦笑いをもらしながら、今しがたの出来事が頭に浮かぶ。


「『あんな仕事』か」


ごく自然に彼が口にしたその言葉を自ら口に出してみれば、やはりグサリと胸に痛みを覚えた。

「はぁ……なんだかねぇ…」

行き場のない何度目かの溜息を吐きながら、あのたった一言で全てを水の泡に帰すような、そんな拭いきれない隔たりと苛立ちのような感情を感じながら、それでも彼を責めるのは筋違いだなと自嘲する。

彼の価値観を責める気も覆す気もない。ただ、私とマルコさんとは住む世界が、思うところが、違っていただけのことだ。

人に恥じるような仕事をしていたつもりはないし、寧ろこの仕事をしている今の私はそれが軸となって生きているようなものだ。

そして、それをマルコさんは受け入れていないという事は、イコール私を受け入れていないという事に結び付く。極論過ぎるかもしれないけれど、そんな相手と到底この先うまく行く筈なんかない。

それにしても付き合って一日で終わるとはーー

自己記録更新だなと、それでも早めに彼の真意を見られた事は、私にとっても、そして彼にとっても良かったのではないかとそう思った。



そうして少し冷静な心を取り戻す為その日は音信不通を決め込み、翌日。一晩経っても変わらぬ思いを告げる為に私は携帯を取り出した。

「もしもし?今…いい?」

「#name#!昨日は悪かったよい!あの、そのよい」

「いいからいいから。話、あるんだけど…いつ時間取れる?」

「は、話…かい?な、なんの話を…」

「時間。取れないの?なら電話でもいいけど?」

「と、取れるよい取れる。夕方なら…大丈夫だよい」

「そ。じゃぁ六時でいい?」

「あ、あぁ…」

昨日の音信不通が余程効いたのか、受話器越しの彼はいつも以上、いや、それ以上に動揺が窺えた。

そして冷たさを纏った私の声色からも、何かを悟ったように思えた。

そんな今頃俯いてそうな彼を想像し、盛大な溜息を漏らしつつ仕方がないじゃないかと開き直る。あんな仕事だと自分を蔑む相手と、この先どう歩んでいけばいいのか検討が付かない。


「私これから仕事なんだからあんまり遠くいかないでよ?」

「……よい」

「…ちょっと、どこ行ってんの?」

「あぁ…家だよい。話、あるんだろい」

「家?マルコさんの家?……、ねぇ、そんなに時間ないんだけど」

「………あぁ」

さっと告げてさっと帰ろうとしていた当初の予定は、何故か車で現れたマルコさんによって大幅にずれてしまった。

どんどん遠ざかる待ち合わせ場所から嫌な予感が走り、困惑顔で問い掛ければ彼の自宅に向かっていると言う。

自宅。なんて別れ話に不適切な場所なんだと僅かに抵抗を見せるも、彼の纏った不穏な空気が私の口を黙らせた。

「…お邪魔します」

「…#name#」

「ぇ、ちょっと!あ、ねぇ、珈琲飲みたい珈琲!」

「…………よい」

家に足を踏み入れるなり、甘い声色と共に包み込まれた身体に咄嗟にでた防衛策。

狡いな、と脳裏に浮かんだ思考は一先ず置いて、浮かない顔でキッキンへ消えた彼を横目にリビングのソファーへと腰掛け溜息を一つ。

別れ話なんてどのくらい振りだと、すっかり記憶にない修羅場にどう切り出そうかと頭を捻った。

「カフェオレで…いいんだよねい?」

「ん、ありがとう」

「…#name#昨日は」

「たんま!その前に、単刀直入だけど今日は別れ話をしにきたの」

「っ!?な、なに言ってんだよいっ!別れるって…まだ始まったばかりじゃねぇかい」

「ん、でも無理なものは無理なんだよね。マルコさんの彼女でいるの」

「昨日の言葉が原因かい!?あれはよい、違うんだい!その、なんつうか」

「ちょっと落ち着いてよ、無理なものは仕方がないでしょ?私、マルコさんの事嫌いになっちゃったから」

「っっつ!!き、嫌い…に…」

「そ。あー、本当はちゃんとマルコさんが納得するまで話そうと思ってたんだけど…時間がないんだよね、ごめん、じゃぁそういう事で」

「#name#っ…!!!ま、待って、くれよい」

「もぅ……時間がっ!?な、なに!?ぇ…泣いてんの?」

「ぅっっ…嫌だよい…」

「っ、……うっそぉ」


結局私が用いた言葉は、なんとも簡潔で要点のみを伝えるという思いやりの欠片もないやり方だった。

正直なところ面倒臭くなったというのが本音だけど、浅過ぎる私達には許されるのではないかと踏み出した結果だ。

口を開く度にビクビクと強張る彼を少し呆れた心情で見つめながら、予想外な遠出の所為で時間が迫っていた私は徐に話を切り上げ席を立った。

そこですかさず腕を捕られたがそれは想定内。ここであっさり別れを受け入れられても癪な上に少し腹ただしい。

そうして捕まれた腕から伝わる必死さに苦笑いを漏らしながら振り向けば、そこに映った光景にガクリと膝が崩れそうになった。

そんな奇想天外な彼の行動を前に、私はとてつもない戸惑いと、そして途方もない脱力感を感じこの居たたまれない空気に今にも逃げ出したい衝動に駆られていた。

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