マルコ社会人編 | ナノ
#13 私の居場所
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彼とは”フラットな関係を”をもっとうに、私は日々を送っていた。
あの膝に乗せられた事件以来、マルコさんはキスどころか触れてさえこない。
私が望んだ事なのだが、少し寂しい。
たまになら、ほんとたまになら体を重ねてもいいのに…
そんな矛盾した考えを抱きながらも、この静かな室内で私と彼は今日も淡々と仕事をしていた。
「マルコ専務。またあのメールが届いてますよ」
「ん?あぁ、あれかい。訳してプリントアウトしてくれよい」
「はい」
仕事はキチンとしている。遅刻もサボりもせず、彼のサポート役として私なりに精一杯こなしているつもりだ。
幸い、注意もお叱りも受けた事はない。
「出来ました。はいどうぞ」
先程のメールを完璧に訳し彼の元へ持っていく。
実はこのメール。アメリカから毎週届いているのだが、個人が開発したプログラムを売り出すためにこの白ひげにスポンサーになってくれという、いわば売込みだ。
「んー。しつこいねぃ。#name#はどう思う?」
「え?私ですか? えっと…他にはない内容だとは思いますが…専門ではないので詳しい事は分かりません」
「オレもだよい。ちょっと、専門家に解析してもらおうかねい」
「は、はい。手配します」
「あぁ、頼んだよい。…#name#」
「はい」
そう私を呼ぶ彼は、おいでおいでと手招きをしている。
そうして、数日振りに彼の腕の中に収められた私は、久々の彼の温もりにくらりと眩暈がした。
「何か…あったのかい?」
「何もないですよ」
まるで別れ話をされている様に、切ない眼差しでそう口にする彼に胸が締め付けられる。その表情、私がしたいくらいだ。
「はぁ…言う気はないみたいだねい?」
「だって、何もないですもん」
「あんま無理すんなよい」
「はい…ン…」
私から何の答えも聞きだせないと諦めたのだろう彼は、優しく頭を撫でながら唇を重ねてきた。
なんだ。キスしてくるんじゃないか。
この数日、毎日の様に迫ってきていたこの行為を止めた彼に、私のポジションが変わったのかと思っていたのに。
「んっ…久し振りですね、キスするの」
「っ…#name#が嫌がってたんだろい」
「そうでしたっけ?」
「はぁ。女ってのは怖いねい」
彼の溜め息を聞きながら、同時に私も胸の中で溜め息を吐いた。
彼が求めてくるのならば、私も割り切って答えてあげた方がいいのだろうか?
それとも、しっかりと予防線を張って上司と部下という関係を保つ方がいいのか…
深く考えるのはよそうと思ったが、惚れた弱みか思考が定まらない。
そんな不安定な心のまま数日後、私は普段は使わない下層のトイレにたまたま入ったのだ。
そこで私は、聞かなければよかった事実を耳にしてしまう事になる。
「はぁ、私もマルコ専務の秘書したかったなー」
「ねぇー、なんであの子なわけ?ずっと秘書なんて付けなかったのに」
「でもあれでしょ?もともと秘書にする為に入社させたらしいわよ」
「あ、そうなの?じゃぁ、専務の恋人?」
「どうだろ?でも、男と女の関係である事は間違いないわね」
「やっぱり?でもやるわね、あの子」
「そうね、どうやって付け込んだのかしら?」
「きっと凄いのよ!ベットの上で…」
「いやー! すずしい顔してやるわね、あの子」
「でも私はパスだな。専務秘書」
「え?なんで?」
「だって…どうせいつかは飽きられてポイッよ?そんなの耐えられない」
「それもそうね。常に下手に出るのも疲れるしね」
「大変ね、あの子も」
彼女達が出て行った後も、私は暫くその場から動く事が出来なかった。
あぁ、確かにそういう風に見られても仕方がない。
今まで秘書なんか付けなかったらしい彼が、いきなり何の実績もない新社会人の私を秘書に付けたのだ。
しかも、男と女。誰が見てもそうだろう。
でも…それでも、私はそんな事を言われる為にこの会社に入りたかった訳じゃない。
何の為に勉強して、留学までしたのか分からないじゃないか。
彼に会ったのは偶然であって、コネを使いたくて近寄った訳でも抱かれた訳でもないのに…
そんな事を次々と考えながら、気付けば涙がポロポロと頬を伝っていた。
これは、好きな気持ちに蓋をすればいいという問題だけでは収まらなくなってしまった。
彼と出会ってしまった時から、私の人生は狂ってしまったのではないだろうか。
私が財布なんか落とさなかったら。
彼がそれを拾わなかったら。
偶然街で会わなければ。
彼に電話を掛けなければ。
彼が、専務なんかじゃなかったら。
そんな過ぎてしまった行いを後悔とやるせない気持ちで埋め尽くしながら、私はもうこの会社には居られないと、彼の元には居られないと思った。
私の居場所はここにはないのだと。
もともと私の実力では入れなかったのだ。
それに、もともと居なかった秘書が居なくなろうと彼は痛くも痒くもないだろうと考え、涙を拭ってこの決意を彼に伝えるべく、四角く閉鎖的な空間から外へと私は足を踏み出したのだった。