▼ 参,


 ※ ※ ※


職員寮の一室。狭苦しい部屋は簡単なキッチンと家具が据えてあるだけの質素な部屋で、ここで暮らしている教員は少ない。原因は薄暗い雰囲気と、校舎からかなり離れた森林のように深い場所に建つ不気味さだろう。おまけに、程近い場所には旧校舎が建っているのだ。この立地で怯えない猛者はいないだろう。
風呂とトイレが共同で、それもトイレは今時、水洗ではない。それだけでホラーな雰囲気を醸し出している。
学校七不思議にも選ばれている場所でもあった。
学生寮が天国に思える不便さだった。
「それで、潜入して二日で接触してみたら、見事に返り討ちにされて、その上一般人に助けられた……ってことかな、しゃかど……じゃなかった、高崎くん?」
「……はい、その通りです」
「ううん、それは早計過ぎたね。いくら中級だと言っても、相手は人ではないものだと、認識していなければね。それと、プロとしての集中力が足りないよ」
「反省、してます」
そう、痛感している。己の愚かさと至らなさを。未熟なのだと、今回のことで強烈に自覚した。
ぐっと奥歯を噛み締め、命はそれでも柘榴から視線を逸らすことはしない。

柘榴は現国の臨時教師として、浅葉に潜入している。名を上島創(うえしまはじめ)と名乗り、中々評判も良い。
灰色の髪を黒く染め、カラーコンタクトで金茶の瞳を隠し、黒縁眼鏡をかけた柘榴は、普段よりも雰囲気が柔らかくなっている。危険な美男子から、一気に優しげな美男子へと早変わりした柘榴に、命は思わず感嘆の息を漏らした。
柘榴が教師なんて、ここに来るまでは想像も出来なかったのに、いざ生徒として柘榴に接していると、かなり様になっているのが不思議だ。
三時限目に初めて柘榴のお披露目授業があり、教師の実力も相当なものだと理解した。
柔らかい物腰、柔和な笑顔、そして整った容姿。まるで普段とは正反対な印象を与える柘榴に、命は少しばかり、不気味なものを感じた。これが、あの仕事嫌いな柘榴なのか――と、別人ではないのかと疑ってしまうほどに。
やれば、出来る人。ずっとそういう認識だったはずなのに、命は柘榴がきちんと仕事をこなしていることに、違和感しかわかないのだった。

何故――こんな力強い助っ人が身近に居るというのに、命はあんな無謀なことをしてしまったのだろうか。
驕り昂ぶったら最後、この仕事は足元をすくわれる。それは経験していたはずのことだ。決して、自分の実力を過大評価したわけではなかった。
「――ごめんね、君が何でも一人でしようとしてしまうのは、僕のせいだね」
「……! そ、そんなことは――」
「違わないでしょう? 僕がなにもしないから、君は自分だけで動くことに慣れてしまった」
「……」
命は言葉が出ない。
柘榴の言うとおりで、彼の悲しそうな顔は誰の為の表情なのか、わからない。
自分を貶めての顔なのか、柘榴に頼らない命への忖度(そんたく)の顔なのか。
「それで、その目撃しちゃった子は、どんな子なの?」
話を逸らすように、柘榴が言う。
命は複雑な気持ちではあったが、今は心を切り替えることにした。
「俺のクラスメートで、最初から俺が本当に学生なのか疑ってたみたいでした。名前は花柳こころ」
「……花柳?」
「柘榴さ……じゃない、上島先生知ってるんですか?」
「うーん……今は何とも言えないけれど……高崎くん」
「はい」
「この学校が何故旧校舎をそのままにしているのか、知っているかい?」
「いいえ……その辺りの噂はまだ、何も」
小さな古ぼけた卓袱台(ちゃぶだい)に座って、茶柱の倒れた薄い緑茶を啜りながら、柘榴は向かいに座る命に語りだした。
「この学校は昔、小さな病院が建っていた場所に建てられていて、その名残でかなり大きな霊道の始まりの場になっているみたいなんだ。さっき旧校舎の中を見てきたけれど、あちこちに悪霊の通り道が出来ていたよ。最も大きな霊道は――高崎くん、君がターゲットと戦ったあの四階の教室らしいね」
「あそこが……道理で」
「そう、相手の方の力が強かっただろう? 霊道から流れてくる低級を喰って力を増して、ヤツは着々と強くなってる……」
「……ここで、食い止めないといけないんですね」
「そうだよ、高崎くん。この霊道のせいで、旧校舎の取り壊しを依頼された会社からは死人が出てる。だから、今は悩んでいる場合じゃないんだ。ぼくも頑張るから、文句ならこの仕事終わってからいくらでも聞くから――だから、」
――もう少し、肩の力を抜こうか。
「……!」
最後の言葉は、柘榴の霊力が宿ったものだった。
言霊は命の身体に沁み渡り、強張っていた心ごと緊張を解していく。
仕事をしてくれない上司なのに、こういう力を自然と使えることを見せつけられると、捻くれた命の感情は綺麗に溶けてしまう。
この人は、なにを考えているのだろう? その疑問ばかりが、命の脳内を占めていく。
最初出会った時から、真意の見えない人だった。優しいようでいて、突き放した態度を取ることもあったり、まるで気紛れで、理解しようとしてもするりと躱される。
「逃げてばっかりだと、ダメだよね、やっぱ……釈迦戸くん、本当に、今までごめん」
仕事中だということを、忘れたように素の表情のままで、柘榴は痛々しい微笑を浮かべる。こんな柘榴の一面は初めて見るもので、命は戸惑うことしか出来ない。
「……柘榴さん?」
「大人って、卑怯だよね」
「――え?」

ぽつり、柘榴が呟いた言葉を、命が聞き返そうとした刹那――。
柘榴の部屋のドアが強い力で何度もノックされる。
「上島先生!」という叫び声のあと、鍵のかかっていないドアが勢いよく開いた。
暗い廊下をバックに、教頭が蒼白な顔で立っている。柘榴は慌てて腰を浮かせて、狭い部屋を一息で玄関まで通り抜けた。
「教頭! 一体どうしたんですか?」
「君たちを雇ったのは、こういう事態を防ぐ為だったのに――! 2‐3の百田くんが、今日、寮で倒れて意識不明だ。医師もまったく原因がわからんらしい。上島先生、これはそういうことだろう! 調査はどうなっとるんだ!」
「……っ!」
柘榴の背後で、教頭の切羽詰まった非難を、命は呆然と聞いていた。
――百田栞が、意識不明。
それは即ち、憑いていたモノに生気を吸い取られ、限界まで来てしまったということで……。
そして、憑いていたモノは百田の身体を捨てたということを、意味している。
柘榴が教頭と何か話している。命の思考はノイズだらけで、音を拾ってくれない。痺れた思考は、愚鈍に事実を拒絶する。
――百田は、命のせいで、こうなったのだ……。

薄い職員寮の窓硝子を、突然吹いた強風が揺さぶっていく。
生臭い邪気の臭いを含んだ風は、威力をそのままに学生寮の方へと流れていった――。




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