▼ 弐,


 ※ ※ ※


――憂鬱だ。この一言に尽きる。
詰襟とか、どこの時代の学生だよ、とか、体格より大きいサイズすぎて他の生徒よりも浮いている、とか、こんな時期に編入なんて、完全に浮いている、とか……。
言いたいことは沢山ある。しかし、こういう時に限って、文句を言いたい相手は傍にいない。
「……ほんと、あの人たちいつか見返してやる」
残念ながら、現在の青年の能力では、あの“二人”には絶対に敵わないのは理解している。
きっちりとめた詰襟が苦しい。真面目な生徒を演じるつもりはないが、なるべく目立ちたくもない。艶のないさっぱりした黒髪もちゃんと梳かして、少し変わった色をした虹彩を誤魔化す為に、黒のコンタクトレンズも着用している。どこからどう見ても、ちゃんとした学生だった。
「じゃあ、高崎くんの教室はここだから、2−3」
「はい」

高崎(たかさき)息吹(いぶき)――学生の殻を被った、それが命の名前だ。


「私立浅葉(せんよう)高校?」
「そう、ここの近くに、やたらと緑に囲まれた学校、あるでしょ?」
柘榴の言葉に、命は雑居ビル群の近くに建つ、古いばかりの校舎を思い出す。
確かに、都会のビルばかりの中に森林公園さながらに緑が目立つあの場所は、異様なオアシスだ。
雑然と生えているように見えるが、年に一度、大々的にメンテナンスは行っているらしい。緑の中に垣間見えるグラウンドに、何十台もの造園会社のトラックが止まっているのを、命はそばを通りかかった時に見たことがある。
学生は真面目で、偏差値もそこそこ高く、浮いた噂は聞かない。遠方の入学希望も多く、鬱蒼と茂る森のような雑木林の中には、大規模な寮を完備しているらしい。
命が知っているのはそれくらいで、あそこに何か問題があるとは思えなかった。
「その学校に、生徒として潜入して、入り込んだ妖怪を見つけ出す……できる? 釈迦戸くん」
「できる? って……やるしかないんでしょ。この事務所で学生できるの、俺だけじゃないですか」
「そ、そうだよね……」
どう見たって、柘榴が学生というのは無理がある。灰色のくしゃくしゃな髪、鋭い金茶の不思議な色合いの瞳、成熟した大人な雰囲気。どこをどう見ても、柘榴は二十代よりも下には見えない。命に向ける子供のようなしゅんとした表情は、正直不気味だ。柘榴にはまったく似合わない。
二人しか居ない探偵事務所で、柘榴が取る選択肢は決まっている。
「俺、今年で十九ですよ? 若い助手で良かったですね、柘榴さん」
「そ、そうだね……ははは」
「そんなんだから、天照さんにも馬鹿にされるんですよ」
仕返しとばかりに、冷めた声音で命は言い放った。
柘榴の曖昧な微笑が一瞬で固まる。天照の存在は、どうしてか柘榴の泣き所らしい。

天神天照(あまがみてんしょう)。
昔勤めていた探偵事務所の所長だと、柘榴は白状した。
天照が所長を務める「六月一日(うりわり)探偵事務所」はその手の世界でも有名で、柘榴の事務所など足元にも及ばない大手だ。依頼成功率は九十九パーセント、誠実な対応、仕事の迅速さが売りの、信頼度ピカイチとの噂が轟き渡っていた。
会社として活動する術師集団の中では、ダントツの実力派だ。
命もそんな素晴らしい業績の六月一日事務所に憧れていた内の一人で、柘榴に出会うまでは第一志望だった。
しかし、あの天照を目の当たりにしてからは、気苦労は絶えないが柘榴のもとに就職して良かったと本気で思っている。あんな強烈で激しい人の下で働けるほど、命の肝はすわってはいない。冗談ではなく、半日で音をあげる自信がある。
命の友人は六月一日事務所に就職したと、風の噂で聞いた。最近すっかり疎遠になっているが、彼は元気にやっているのだろうか。

「ま、まあ、今回は僕も一緒に学校へ潜入するから、そんなに負担に思わなくていいよ、釈迦戸くん」
「……どうやって潜入するんですか? まさか……教師になりすまして、とか……」
「なりすまして、ではないけど。教員免許持ってるし、僕」
「えっ……」
「なに、その不審そうな目は……」
ひどい……と目を潤ませる柘榴に白い目を向けながら、命はデスクに置かれた資料と依頼書類を手に取った。
『浅葉高校に潜伏しているとみられる中級妖怪の駆除、あるいは調伏。そして被害の程度の調査』
手短な文章で書かれた依頼書に、命は久しぶりに感じる高揚感を持て余す。思えば、マトモな依頼を受けるのは何年ぶりか。柘榴のもとへ来て以来、身を削るような緊張、神経を消耗するような激戦、そう言った場所から命は遠くなってしまった。まだ修行中の時の方が、危険な仕事が多かった気がする。
段々と飼い殺しにされているような。靄のかかった世界に、取り残されているような。
有耶無耶になっていく自分の存在理由に、命は最近、悩まされている。
どうして、ここにいるのか? 悩んでも仕方のないことだが、命にとっては重要なことだ。
生きている実感が欲しい。命はそれだけを願ってこの世界に身を投じた。
軽々しい理由と言われれば、そうかも知れない。しかし、命にはそれしか縋るものがない。
黙り込んだ命を、柘榴はじっと見つめる。何も言わないが、柘榴はどこか寂しそうな、辛そうな表情をしている。
命は、それに気づくことはなかった。

「高崎くん、一緒に食堂行かない?」
教室に入り、自己紹介をして、命は窓際の一番奥の席に座った。
一時限目、二時限目、三時限目、四時限目……と何事もなく進み、昼休みのチャイムが鳴り響く。
生徒たちが慌ただしく教室を出ていく。それを眺めていた命に、突然一人の女生徒が声をかけた。命は驚いて視線を前に戻した。
まさか、男子生徒よりも早く、女子生徒に声をかけられるとは思わなかった。
「ええと……」
勝気そうな瞳、色素の薄い茶色い髪、小作りな顔――可愛らしい容姿をした女子生徒が、命を見おろしている。
困惑して言葉を継げない命に、女子生徒はにっこりと笑顔を浮かべた。
「初めまして、私、花柳こころ。高崎くん、昨日寮に入ったばっかりって聞いたから、もし迷惑じゃなければ、食堂一緒に行かない?」
「……ああ、うん、よろしく」
笑顔が眩しい。思えば、最近異性と話すこともなかった。新鮮な戸惑いに、命の表情が情けなく崩れる。
命の表情に驚いた顔をした花柳は、その後嬉しそうに表情を綻ばせた。
「高崎くんって、そんな顔も出来るんだ……ちょっとイメージ変わった」
「そんなに、硬い顔してた?」
「うん、触れたら切れそうだったよ」
自分の未熟さを再確認したようだ。命は固まった己の表情筋に悪態をつきながら、促されるままに花柳のあとに続いた。

浅葉高校の校舎は三つに分かれている。
東棟、中央棟、西棟。中央棟から翼のように各校舎が続いており、まるでカタカナの「コ」が変形したような造りだった。
中央棟に各学年の教室、職員室、食堂がある。最近改装したらしく、外観と違って内装は綺麗だった。クリーム色で統一された壁と床、真新しい照明、明るい雰囲気。
しかし――。
命は天井の隅に集まる、黒い靄のような存在に視線を向ける。常人には見えない邪気がそこかしこに集まり、群れをなしている。
浮幽霊、ここに縛られている低級の地縛霊、妖力の弱い下級妖怪などが、廊下と言わず学校の至るところに蔓延っている。学校は鬱屈とした空間になりやすく、子どもの意識から発せられるモノは幽霊や霊的な存在を寄せつけやすい。学校には怪談が多いのはそのせいだが、ここは霊的な存在が多すぎた。
さすがに、慣れているとはいえ、命も溢れる邪気の濃度に眩暈がしそうだった。気を抜いたら、体調を崩してしまうだろう。
「鬼門も霊道も、塞がってるのか?」
前を行く花柳を追いかけるように歩きながら、命は校舎の中を観察していく。
思っていたより、校内の霊障がひどい。
生徒の中には、頭上に邪気を纏わりつかせている者もいる。放っておけば、ストレスを溜め込み、体調を崩す。既に何人かはこの霊障の影響で体調不良を訴えている。
霊道、鬼門が塞がれているとしか、考えられない多さだ。早く場を浄めなければ、ここは悪霊と妖怪の巣窟(すみか)と化してしまうだろう。
厄介な依頼だと、再認識した。道理で、柘榴が嫌がる訳だ。ターゲットを駆除したあと、場の浄化もしなければならないなんて。
花柳の案内で辿りついた食堂も至ってシンプルな内装だった。長机が均等に並び、生徒が座って賑やかに談笑している。美味しそうな匂いが漂い、調理場の方からは妙齢の女性の威勢のいい声が響いている。活気づいているからか、食堂には余り幽霊や邪気はいなかった。
「ここのおススメはカツサンドだよ。毎朝おばちゃんたちが手作りしてくれるの」
手慣れた様子でトレーを持って注文していく花柳のあとを追って、命もきつねうどんとカツサンドを注文する。
命には何もかもが新鮮だった。命のかつて通った学校には、学食はなく、弁当か給食かを選ぶだけだった。給食は恐ろしく不味かったのを覚えている。
先日の夜は飯抜きだったため、命の胃袋はご馳走を前に悲鳴をあげていた。

いつもは通行者として外から見ていた学校は、思ったよりも古めかしい雰囲気だった。
昨日、命が案内された寮は、まるでどこかの団地のマンションのようで、はっきり言って薄暗い印象を受けた。
この男子寮で生活しているのは全学年合わせて三十人程度で、その他の生徒はすべて自宅からの通学らしい。うら寂しく、広く、どんよりとした雰囲気を感じるのは、規模にしては少ない入寮者のせいかもしれない。
命は入寮者の少なさからか、一人部屋をあてがわれた。二人用の部屋に、一人……寧ろ好都合だが、通された部屋はやはりどこか暗い。
照明や壁紙が汚れている訳でも、家具が老朽化している訳でもないのに、そう感じるのは気のせいではないのだろう。
ここも、かなりの数の浮幽霊と地縛霊がいる。邪気も集まっていて、既に何人かの生徒に纏わりついているのを見た。
入寮者に一通りの挨拶はしたが、青年たちの顔はどことなく憂鬱そうだった。口数も少ない。
命は結局、今朝まで自分の部屋に閉じこもって過ごした。

席についた瞬間、猛烈に空腹を感じて、命は夢中になってうどんに箸を伸ばした。ほかほかと湯気を立てるうどんはコシが強く、カツサンドはさっぱりとした素朴な味だ。
独り暮らしの身では、つい手抜き料理ばかり食べて過ごしてしまう。こんな家庭的な食事を食べたのは、久しぶりだった。
「で、この学校の感想は?」
「へ?」
うどんを啜っている途中だった命は、花柳の言葉に間抜けな返事を返す。
オムライスをつついている花柳は、世間話の類で聞いたようだ。命は首を傾げた。
「うーん……普通の学校だと思うけど?」
「本当に? 本当に普通に見える?」
「……どういう意味?」
しつこく聞いてくる花柳に怪訝な表情をして、命は一旦箸を置いた。
花柳もスプーンを置き、どこか緊張した顔で口を開く。
「私……貴方を疑ってるの」
「!」
命の顔が強張る。花柳がこちらを真剣な面持ちで見ている。一気に緊張が高まった。
「だって、こんな時期に編入なんておかしいし、貴方が来てから、ここの変な空気、更に重くなるし……」
「ちょ、ちょっと待って! 花柳って、その……幽霊とか、視えるのか?」
「少しだけだけど。校舎のあちこちに黒いもやっとしたのが見えるの。気味悪くて……」
「……」
厄介だ、と命は心中で嘆息する。中途半端に視える人間が、傍に居るのは危険だ。色々探りにくくなる。
どうやって、この問題を解決するか……今夜はやっぱり、柘榴のもとへ行かねばならない。花柳の問題にしても、寮の状態にしても、相談することは山のようだ。
「最近、あの黒いの騒がしいな〜とは思ってたけど、高崎くんが寮に来た日からもっと騒がしくなったっていうか……」
「最近、騒がしい?」
「うん、夏休みに入る三日くらい前から、ずっとうるさくって」
今は九月の半ばだ。夏休みに入る三日前といえば、もう二か月近くこの学校はこの有様ということか。
温くなったうどんを喉に流し込む。もしかしたら、花柳を通してこの依頼は速く解決するかも知れない。
「だからね、高崎くんは実は学校が依頼した霊媒師か何かで、このモヤモヤのこと解決しに来たのかな〜って」
「いや……俺も少しそういうの視える方だけど、ここには本当に両親の都合で来ただけだよ」
「そうなんだ……がっかり」
「期待を裏切って悪かったな」
命が苦笑しながら言うと、花柳は慌てて首を横に振った。
「あ、ごめんなさい。私ったら失礼よね……栞(しおり)にも言われたのに」
「友達?」
「……だった、かな。今は話しかけても冷たくて。夏休み明けからずっとそんな感じ」
「どんな子?」
命は自分の勘はあまり当たらないと思っている。しかし、今この時、思考の隅で何かが光った。花柳は霊感がある。そういう人種は人ならざる者を寄せつけ易いはずだ。
「百田栞(ももたしおり)って子。うちのクラス委員よ。おさげで眼鏡の」
「そうか……」
当たりだと、命は確信した。
綺麗に平らげたトレーを持って、命は立ち上がる。そうなれば、早速行動した方がいいだろう。
昼休みももうすぐ終わる。生徒も疎らになった食堂は、正午の暖かな雰囲気を湛えていた。
「じゃあ、俺先に行くから」
「えっ……うん。また授業でね、高崎くん」
驚いたような表情で見送る花柳に背を向けて、命は思考を目まぐるしく回転させる。
『百田栞って子。うちのクラス委員よ。おさげで眼鏡の』
花柳のセリフで、強烈に命の記憶が刺激される。
百田栞――今日の朝、ホームルームで見かけた、あの女生徒。
『高崎くん、よろしくね』
朝、隣から華やかに笑んだ彼女の笑顔を見た時、命は悪寒が背筋を這い上がっていくのを感じた。邪悪な華。そんな印象を受ける笑顔だった。
花柳の話が正しいならば、命が探している標的(ターゲット)は、百田栞の身体(なか)にいるはずだ。
思考に没頭している間に時が過ぎ、背後で五時限目を知らせるチャイムが鳴り響く。確か五時限目は英語で、教師が不在で自習だと名前も知らない生徒が言っていた。
――この機を、逃すのは惜しい。
百田栞を誘い出すことは難しいだろうが、やってみる価値はある。
この学校は、二年ほど前に新しい校舎を建てている。旧校舎は職員寮の近くにあり、今では雑木林に侵食されて廃墟のようになっていると、昨日寮を案内してくれた寮監が言っていた。
そこならば、罠を仕掛けても誰にも気づかれないだろう。力を欲しているはずの標的は、必ず引っかかる。

命の短所は、猪突猛進するその短気さだと柘榴に言われたことがある。
冷静沈着に見えて、命は感覚で突っ走る時が多々ある――この時も、まさしくそれで。

そして、感情のままに暴走した結果、冒頭の場面に続く。
敵は思ったよりも賢く、命を一目見ただけで術師だと見抜いていたのだった――。




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