▼ 食べられたい
ひゅう……息が漏れる。
その喉から漏れた息さえ奪うような勢いで唇を貪られる。顎を伝う雫をぺろりと舐められて、背筋が震えた。
相手の仕草、仕打ちに言いしれぬ興奮を覚え、ゆっくりと足を開く。どうやっても逃れられないのなら、この状況を愉しもうと思った。
「どうして逃げないんだ?」
頭上から酩酊したような声が聞こえる。ふわふわと実体のないそれは、聯(れん)の耳をすり抜けていく。
「だって、僕を食べてくれるんじゃないの?」
ぼんやりと熱に犯された視線を上に向ける。その先には整った容貌。鋭い目つきは漆黒で、聯とは真逆の色を持っている。髪も眼もなにもかもが漆黒の青年は、聯を強い力で傲然と組み敷いていた。
聯の言葉を聞いた途端、青年の顔がくしゃりと歪んだ。強く握られた両手首に、更に圧力がかかる。痛みを感じない聯の体は、それをただの感覚として受け取った。
青年の唇が聯の頬をなぞり、段々と耳元に移っていく。ぞわぞわと感じる感覚に、ゆるりと首を振った。
耳たぶを食んだ青年の唇と、熱い吐息と犬歯の感触に気付いた瞬間、聯は己の耳から生温かい奔流を感じた。どろりとそれは首もとを流れて、真っ白な聯のシャツを濡らす。
漸くそれが耳たぶを噛み千切られ流れ出た血潮だと悟った途端、言いしれない感情と快感が聯の内に溢れた。背筋をむず痒い電流が走る。
「あ……ああっ」
見上げた先で、青年が聯の耳たぶの欠片を飲み込んでいる。美味しそうに、とても幸せそうに肉塊を咀嚼する様子に、聯は再び愉悦を覚えた。
「もっと……もっと食べて」
酔ったようにふらつく頭を精一杯持ち上げて、聯は青年を誘う。色素の薄い聯の紅い瞳の中に、妖しい炎が踊っている。
それを見つめる青年の瞳には、烈しい情欲の色が宿っていた。
「お前、死にたいのか?」
訝しげに聞いてくる青年に、聯は穏やかな笑顔を返した。
「あたなに食べられるなら、死んでもいいよ」
初めて感じた激しい快楽と愉悦。どうしようもなく突き上げてくる劣情に身体が焼けそうだ。抑えようとしてもあとからあとから湧いてくる欲に、聯の身体は正直だった。疼く中心は緩く立ちあがり、控え目に主張している。耳たぶを噛み千切られて欲情するなんて、とてもまともではない。自分で自分の体質がおかしくて、聯は引き攣った笑い声を上げた。
「ははは」
青年は苦い表情で聯を見下ろしている。しかしその瞳は情欲の色を失ってはいない。冷え冷えとしているのに滾る感情を宿した瞳は、聯を虜にした。
シャツを残して衣服をはぎ取られている為、深夜の冷たい風に凍えそうだ。欲に駆られた身とはいえ、寒いものは寒い。
動かない相手に焦れて、聯は縛られた両手を上げておもむろに青年の首に腕を回した。
己から誰かに強請ることなんてしたことがない。いつも肌の上を滑っていく暴力と辱めは、聯にとって一瞬のものだった。何も感じないし、感慨もない。誰に犯され、殴られようと、聯の心は動かない。たとえ腕を切り落とされようと、聯の顔は人形のように固まったままだろう。
「ねぇ……」
初めて、心の底から震えた。
恐怖からではない。歓喜と快感に震えたのだ。
聯の琴線は青年を確かに捉えた。
夜陰に乗じて襲われた時から、路地裏に連れ込まれて組み敷かれた時から、聯は何故か青年に視線と意識を奪われたままだ。
「俺は……男娼なんか嫌いだ」
青年がやっと言葉を発する。それは完全に聯を否定する言葉で、それさえも聯を高ぶらせるものとなった。
血で濡れた唇を舐めて、表情とは裏腹な言葉を発する青年にひたすら溺れる。聯を否定し、また受け入れる青年は一体――何者なんだろう。
脚を割り開かれ、その間に青年が入り込む。外気に晒された敏感な中心がふるりと震える。まだわずかに反応したままのそれを一瞥して、青年は聯の腕の拘束を解いた。自由になった右手首を捉われ、青年の舌が聯の右親指を素早く噛み千切った。血が噴き出す。それさえも美味しそうに喉を鳴らして飲む様は、聯をとてもとても興奮させた。血を失いつつある体が震えている。視界が回り、呼吸が苦しくなる。
食べられる愉悦――そればかり気を取られて、聯は己の後腔に宛がわれたものに気付かなかった。
「……――っ!!」
右の小指を噛み千切られたと同時に体内に侵入してきた灼熱に、聯の中心が一気に爆ぜた。
声のない絶叫が聯の唇から洩れる。絶頂を迎えた体は痙攣を起こし、びくびくと魚のように跳ねた。
貧血と激しい快感に息も絶え絶えな聯に、青年は下卑た笑みを向けていた。
※ ※ ※ ※
嶺(りょう)は男娼が嫌いだった。
理由は単純だ。昔、「小鳥」欲しさに騙して裏切った相手があの有名な「暁闇」の男娼だったのだ。
「暁闇」は政府にも通じている高級男娼館で、敵に回すと厄介なのは重々承知していた。しかし、あの頃の嶺は「小鳥」の禁断症状に苦しみ、何を引き換えにしても「小鳥」が欲しかった。
軽率な行動は後で多大なツケとして嶺の身に降りかかる。
チームの誰も連れず、一人で路地裏を歩いていた時に嶺は二人の少年に襲われた。いくら有刺鉄線内でも有数のチームのヘッドをしている嶺だとしても、「暁闇」の暗殺部隊に敵うはずがない。あっという間に袋叩きにされて、肋骨を数本、左足首、右手首を折る重傷を負った。
嶺はまだ「小鳥」の副作用が出ていなかった為に、この粛清を黙って受けるしかなかった。それでも痛覚が鈍くなっていた体は意識を手放せない。遅れてやってくる激しい苦痛に悶えながら、嶺は嵐のような暴力に耐えるしかなかった。
満身創痍――もう少しで死ぬという寸前まで打ちのめされた嶺は、漸くそのギリギリで「小鳥」の副作用に救われる。己の身体から灼熱の焔を発現させた嶺は、瞬く間に暗殺部隊の少年――恐らく双子だろう――を消し炭にしてしまった。
「便利なクスリだよなぁ……これ」
ちゃぽん……と、嶺の持つ小瓶の中で液体が波打つ。真っ蒼な――くどいほど真っ蒼な液体が、その小瓶には詰まっていた。
小瓶の中身の原産国は遥か遠い多種族の国で、花弁がハートの形をしている青い薔薇が主原料なのだという。原産国では第一級危険植物として取扱いも厳重に管理され、国民にも極秘で嶺の住む国に輸入されてくる。鎖国状態のこの国が唯一他国から仕入れているのがこの液体状の薬――通称「小鳥」。
飲めば天高く飛んでいるような心地よさを感じ、そのまま錯乱状態に陥る。痛覚が一時的に鈍くなるが、それはあくまで一時的。依存性が高く、一度でも飲めばやめられなくなる。何度も何度も飛ぶような爽快感と快感を得るために、小鳥に手を出す者は多い。しかし、この薬にはもう一つ恐ろしい副作用があった。
嶺の住む国は、政府が公に「能力者狩り」を推奨し、すべからく超能力を嫌う国だった。兎に角、その執念は凄まじい。
能力者はすべて能力を発現させた瞬間に殺してもよし。通報があればその対象が子どもであっても容赦はない。例外なく普通ではない「力」を発現させた者は人間とは認めない――。
この国には、能力者を監視粛清する特務機関まである。その機関はしかし、能力者の集まりだというのだから、皮肉な話だ。政府に尻尾を振って狗になるか、それともお尋ね者として生きるか。「力」を持ってしまった者にはその二択しか存在しないのだ。
嶺はその「小鳥」で「発火能力(パイロキネシス)」を授かった。
「小鳥」は稀に人間の潜在能力を引き出し、増大させる副作用がある。それは百人に一人の確立などと言われているが、嶺は小鳥の副作用で能力者になった人物を三人ほどしか知らない。
本当に稀なことであるのだと、嶺は自分の力を恨むことはなく寧ろ喜んだ。これでチームは、もっとこの有刺鉄線の荒んだ世界で大きくなれる。
嶺が住む国は、貧富の差が激しく、貴族とその下に連なる者意外は人間とは認められない所だ。
嶺の親は人間以下と見下される貧困層に生まれ、そして死んでいった。嶺も裕福な者が暮らす市街地には一歩も足を踏み入れたことはない。いつも有刺鉄線で囲まれた狭く、寂れ廃れたスラム街で娼婦と男娼に囲まれて生きてきた。小さな頃からそれが当たり前で、嶺も少しの間だが男娼まがいのことをしていた時もある。しかし、それでも嶺は男娼や娼婦たちが嫌いだった。平気で他人を陥れて平然としている彼ら彼女らが、嶺は大嫌いだった。
同じ穴のムジナ――同族嫌悪だというのは自覚している。まるで自分を見ているような感覚がとても気持ち悪い。
嶺は生きるためなら何でもする。他人なんて関係ない。嶺のテリトリーを侵すのなら、相手に全力で牙を剥く。どんな姑息な真似だってする。下種だと何度罵られたか覚えていないほど、嶺の骨身には色んな「邪道」が染みついている。
「小鳥」の所為で、嶺にはもう一つ深刻な悪癖がある。
これはもう既に諦めているし、半ば病的だと認識している。治したくても治らない。やめたくてもやめられない。
「小鳥」は依存するものを増やす。この副作用は人それぞれで、嶺のような激しいものは珍しいと仲間は言った。
「や、やめて……」
怯えた瞳で許しを乞う相手は、仲間が連れてきた少女と言っていい歳の女だった。
すらりと伸びた健康的な肢体は貧困層に住む者とは違う。裕福な場所で育ち、生きてきた者の持つ健康的な容姿は、彼女がこのスラム街の外から連れてこられたことを意味していた。
黒い髪、黒い瞳。貴族だけが持つという高貴な色を持つ少女は、純粋な色を不安に揺らして嶺を見上げている。滅多にお目にかかれないご馳走を目の前に差し出されて、嶺の咽喉は自然とごくりと鳴っていた。
「お前ら……これ?」
「何でも、政府に逆らった両親の所為でこっちに売られたらしいぜ? 嶺好きだろ、柔らかそうな女」
権力を奪われた貴族の娘――その境遇だけでも嶺の加虐心は刺激される。怯えた兎のような姿はまさに嶺が好むもの。
凶悪な顔の青年に囲まれて、自分の置かれた状況を飲み込めない少女はただ戸惑いの表情を浮かべている。それに恐怖と不安が相俟って、嶺のどす黒い感情を更に擽るのだ。
「じゃあな、嶺。精々楽しめよ」
下卑た笑みを浮かべて、仲間は次々と部屋を出ていく。今から始める嶺の「お楽しみ」を邪魔しないためだ。
「なぁ、お前。普段何食べてた?」
高鳴る鼓動は嶺の中の欲望を高めていく。目の前の少女の顔は嶺を見て嫌悪感を露わにしている。恐らく、己の置かれた状況をやっと理解したのだろう。恐怖を塗り替えるほどの嫌悪の表情に、嶺は益々興奮していく。
他者を虐げ、屈服させるのは楽しい。
「菜食主義だったなら、俺はとっても嬉しんだけどね」
歪んでいるのはとっくの昔に自覚しているので、今更何を言われようが気にしない。色んな人間に「狂っている」だの「外道」だの言われてきたのだ。今更純粋培養のお嬢様に何を言われようが嫌悪されようが、まったく気にならない。
「いいね、その顔。益々気に入った」
「この……変態……!」
可愛い声で囀る少女は嶺にはとても質のよいご馳走だ。
己を守るように体を抱き締める少女に、嶺はゆっくりと近づいていく。
――激しい空腹を感じた。
「弱いやつほどよく叫ぶんだよね。まあ、お貴族様だし仕方ないか?」
笑みが浮かぶのを止められない。こんなに楽しい気持ちになったのは久しぶりだった。
少女の絶叫がアジトにこだまする。広い空間に広がる残響は、まさしく少女の最後の命の叫びだった。
「あーあ、また食い散らかしてるじゃん」
夥しい赤錆びた液体の海の中で、嶺は苛々と先刻まで少女として存在していた肉塊を踏みつぶす。ぐしゃりと飛び散った赤いものに、嶺は不満げに唾を吐いた。
「どったの、嶺ちん。最近食欲ないのか?」
嶺に話しかけたのは、チームの中でも嶺の右腕を気取っている青年だ。彼はいつも嶺の「食事」が終わる頃合いを見計らって、アジトにやってくる。そして嶺の食い残しを、頼んでもいないのにどこかへ持って行って処分するのだ。
嶺は正直この青年のことなどどうでも良かった。右腕的存在などと思ったこともないし、親しくするつもりもない。相手が勝手に嶺を親しげに呼び、世話を焼くのだ。いざという時は切り捨てることも構わない存在――嶺の中ではそんな立ち位置の青年だった。
「別に……」
嶺の不機嫌さに気付くことなく、青年はどうでもいいことを一人でしゃべっている。それさえも嶺の不愉快でもやもやした感情に拍車をかける。
「なぁ、嶺ちん――」
「五月蠅い。さっさと消えろ……じゃないと、今度はお前を喰うぞ」
「……っ」
青年が息を呑む。そしてすぐに踵を返すと、一目散に部屋の出口へと走っていった。
嶺の顔と声はそれほど不穏なものだった。殺気を一切抑えようとせず、鋭く青年を睨みつける様は一匹の獣のような獰猛さを持っていた。
慌てた様子でアジトを飛び出す青年に舌打ちし、嶺はどっかりと血の海の中に腰を下ろした。衣服に粘つく赤が瞬く間に侵食してくる。その不快な感触さえ、今の嶺にはどうでもいいことだった。
甘い血の味、柔らかい肉の食感――至福の時間のはずなのに、嶺の思考には違う人物の影がちらついて離れない。
この女はあの少年には遠く及ばない……。
噛み千切った瞬間に広がった甘い甘い血の味はあの少年が一番だった。砕いた骨もまだ未成熟な柔らかさで――。
少女の骨はもう固く成長してしまっていた。噛み砕くこともできずに、地面に吐き出す。肉も所々固く筋張って、贅沢な食生活のせいか生臭さが目立った。思わず何も言えない肉塊となってしまっているのに、少女の身体を罵りながら蹴り飛ばした。
「くそっ……」
どうしてあの少年を逃がしてしまったのだろう。後悔はじわじわとやってくる。嶺は彼の得も言われぬ味を思い出して、沸々とわいてくる食欲と劣情に悶えた。
今度会うことがあるのなら――逃がす手はない。
口の端についた血を舐めて、嶺は狂気じみた笑みを浮かべた。
※ ※ ※ ※
「聯、最近無断外出多くないか?」
帳簿に目を落としたまま、「暁闇」の最高責任者は聯に言った。
暁闇のエントランスは外国の文化を取り入れた内装らしく、だだっ広い天井に派手な硝子細工で出来た照明がぶら下がっている。
色素の薄い聯の目には眩しすぎる照明に、思わず下を向いたまま「はぁ……」と低く答える。彼の説教には慣れていたが、始まると長いのでうんざりするのだ。
「それに、なんだその指? 利き腕じゃないにしろ、なんでそんな大けがしてんだ」
「野犬に……襲われて……」
血の滲んだ右の小指と親指があった場所を見下ろした聯の唇には、微笑みが滲んでいる。二日前のあの出来事が、鮮明に脳裡によみがえる。
「耳朶もなんだ……? それも犬にやられたっていうのか?」
「これは……」
彼の吐息がすぐそばで聞こえる気がする。熱くなる耳朶を感じて、痛みを感じてくれない体が恨めしいと思う。熱くなる感覚とは別に、痛みも感じたなら――自分はどんな人生を生きていたのだろうか?
「ま、俺には関係ないことだけどな。お前を表で働かせる気はないからな。“白い子ども”は古代人の先祖がえりだ。そんな男娼、誰も買わない」
冷えた眼差しが聯の真っ白な髪だとか、薄い紅の瞳を見詰めている。産まれた時からその視線に晒されて生きてきた聯には、慣れてしまった眼差しだった。
「傷を腐らせて、面倒なことにはならないようにしろよ。お前に出す治療費なんてないからな」
珍しくあっさりと解放されて、聯はほっと息を吐いて雑用に戻った。
この国には昔、古代人と呼ばれる人々が住んでいた。
その人々はすべからく髪が真っ白で、肌もアラバスターのように白く、瞳は薄い紅か蒼だったという。整った容姿をしており、十八歳で成人してもその容姿は少年のようだったらしい。
神の御使いとまで呼ばれた古代人は、不思議な力を使いこなし、この国を平和に治めていた。
しかし、その古代人が住んでいた国を、外から来た者たちが奪い取った。
それが今、貴族だと崇められている者たちの先祖だ。
古代人はほとんどが惨殺され、残されたのはなんの能力も持たない一部の欠陥品だけだった。
力がなければ白い人々はなにも怖くはない。触れずに物を動かしたり、火を操ったり、遠くを見通したり、様々な力を使えたからこそ、彼らは新しい国の者たちにとっての脅威となっていたのだ。
古代人はそうやって、段々と劣化していき、血は混じった。……生き残った古代人のほとんどが、新国民の人種と無理矢理交わらされたのち、差別を受けた。
連綿と古代人に対する差別意識は残っている。今でも時々、髪も肌も真っ白な子どもが産まれることがある。その子どもは大体が産まれた途端に殺されるのが普通だが、そのまま生かされる時もある。
聯は、そんな“白い子ども”の一人だった。
白い子どもは何かしらを欠損して産まれてくる。
視力だったり、声だったり、感覚だったり。
聯は「痛覚」を母親の胎内に忘れてきていた。聯は痛みを感じることが出来ない。
「聯」
支配人から解放され、与えられた粗末な寝床に戻ろうとしていた聯を、一人の青年が呼び止める。
聯は声を聞いた途端にそれが誰であるのか悟っていたが、わざと背中を向けたまま「なに?」と答えた。
「手、腐るよ。こっち来い」
「僕なんかに構ってたら、また先輩たちに苛められるよ」
「いいから、来いって」
強引に指が二本欠けた右手を引っ張られる。衝動的に振り払おうとするが、相手の手はびくともしない。青年は黙々と聯をつかまえたまま、店の奥――男娼の住居スペースへと突き進む。聯はこの奥には雑用を命じられた時にしか入ることは許されない。
青年――雲雀(ひばり)は、殺風景な部屋に聯を招き入れると、ベッドに座らせた。雲雀は聯の前に椅子を引っ張ってきて腰をおろして、丁寧に聯の手に巻かれた包帯を解いていく。するすると解かれた場所から覗く血塗れの右手に、雲雀は目を眇めて吐息した。
「で? 今度は誰に食べさせたんだ。この指」
「……」
「マジ、図星ってか? 勘弁してくれよ……なぁ、聯。いい加減俺の言うこと理解してくれてると思ったんだけどな」
呆れたような雲雀の声に、聯は静かに首を振った。
雲雀は聯が十に歳になったくらいにこの「暁闇」に売られてきた。
雲雀の生家はさる大貴族の血筋だったが、雲雀だけに汚らわしい古代人の力が発現した。みるみる内に白銀に近い髪色になり、念動力を開花させた雲雀は、両親の手によってスラム街に追い立てられ、暁闇に売られてきた。
白い髪でなく白銀のような髪だった雲雀は、差別もなく暁闇で瞬く間に頭角をあらわしていった。
今では暁闇一の売れっ子であり、同じ歳の男娼たちのリーダーでもあった。
「俺がお前の手を治すの、これで二度目だぞ。どんな生き方してたらそんな怪我するんだよ」
雲雀の手から、青白い光が漏れる。聯がこの光を見るのは何度目だろう――。他にも怪我をして、治療費を上乗せされて年季が長くなるのを嫌がった男娼に、雲雀はとっておきの方法だと言ってこの光で傷を癒していた。
「雲雀……体調はもう平気なの」
「心配すんなよ。最近はマシなほうだ」
雲雀の癒しの力は己の気力を対象者に分け与えてしまう。その所為で、雲雀はここ最近体調不良で仕事に出ない日が続いていた。支配人の覚えめでたい雲雀は咎められはしないが、日増しに年上の男娼たちの目が冷ややかになっていく。
「どうして……雲雀は僕なんかに構うの」
聯は不思議だった。空気のように、そしてたまに家畜のように周囲の人間は聯を扱う。そんな人間の中でずっと育ってきた聯にとって、雲雀は奇怪な人間としか映らない。何かにつけ聯を気遣い、話しかけ、構う雲雀は一体何を考えているのだろうか。
「さてなぁ……なんだか、放っておけないんだよ、お前のこと」
青白い光が聯のじゅくじゅくと膿んだ傷口を癒していく。ぐんぐんと肉が盛り上がり、あっという間に噛み千切られた部分が治っていく。慢性的に残っていた倦怠感と熱も引いたようで、体が軽くなっている。
「つるむ相手は選べよ、聯」
「……わかってるよ」
「ほんとかよ」
雲雀は苦笑して聯の頭を撫でる。穏やかな笑みを浮かべる雲雀はとても綺麗で、聯は自分にないものをたくさん持っている雲雀に、嫉妬と理解出来ない感情がわいてくるのを止められなかった。
紫の瞳でじっと見つめてくる雲雀は、どこまでも真剣だ。男娼という立場に居ながら、彼は生来の性分を歪ませることなく、どこまでも真摯だった。
「雲雀は凄いね。だから、虎影(こかげ)も雲雀を好きになったのかな」
「莫迦。俺の話にすり替えんなよ」
それでも照れたように目線を伏せた雲雀の頬に、赤みがさした。
彼は恐らく、もうすぐ身請けの話が来るのだろう。街に這入れば能力者として死ぬ運命の雲雀だが、有刺鉄線の内側から出なければ、その命は保障される。それを利用して、雲雀に一緒になろうと言っている青年が居る。雲雀はその申し出を断りはしないはずだ。
雲雀とその青年――虎影が二人で笑い合っている姿を見るのが、聯は嫌いではなかった。
幸せになって欲しいと、聯にしては珍しく、他人の未来を祈る言葉が浮かんでいた。
聯には未来なんて思い浮かばない。
早く終わればいいと――願うのは人生の終わり。
あの青年なら、聯の生を終わらせてくれるだろうか?
もしまた会えるなら、聯は再び乞い願うだろう。「食べてくれ」と。
美味しそうに聯の指を丸ごと呑み込んだ青年の嬉々とした顔が、忘れられない。
どうか――どうか。
生きたまま、自分が食べられることこそ、聯の切実なる願いだった。
畢
ゲスBL企画様に提出しました!
ありがとうございます^^*
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