プライド・クライシス 納得がいかない。 毎日毎日心の中にその気持ちが居座り続ける。こんな風になっちゃったのはなんでだろうと、理由を考えるよりもとにかく、納得がいかない、それに尽きた。 今日もまた、そっと目尻に指を這わせ、肌の凹凸を感じて、絶望する。 ぺたぺたと顔に触っては気に入らない気にいらないと引っ張り、抓り。 もっと鏡に近づいて、見なきゃ、どこがダメなのか確かめなきゃ。前かがみになった拍子に何かの瓶が硬い音を立てて倒れた。新作の化粧水?それともオーストラリアから取り寄せた乳液? 洗面所の棚に入りきらなかった化粧品が犇めき合っている。倒れようが溢そうが、俺にはどうでもよかった。だってソレなんの役にも立たなかったから。 美しさを損なった顔に意識を戻す。 ああ、憎い。憎いとも! 初めて、おかしいと思ったのは二十代も後半になった頃だ。ある日突然、化粧のノリが良くないと感じた。 撮影を終えて写真の出来をチェックすると、いつもより翳っているようにも思える自分の顔。カメラマンもマネージャーもスタイリストもメイクも、変わらず褒めちぎって、何も、気づいていないと装っているような。 俺は急いで家に帰り洗面所に駆け込んだ。じっと三面鏡に移る自分とにらめっこをする。両手で頬を挟むと、少し、乾燥しているような、そんな気がした。 ああ、これか。 見つかった理由に安心して、引き出しを開けて愛用の化粧水を取り出した。 ぺたぺたと肌に馴染ませている最中は幸せすら感じた。 それから一週間程が過ぎると、今度は唇が気になった。血色が悪いような、それから少し、歪んだ? 日を追うごとに、何かが気になり、気に食わない、何が原因だ、こうしよう、あれはどうだろうと、鏡に向かう日々。 鏡に集中するあまり仕事に遅れることも、一回や二回ではなくなった。マネージャーからやる気があるのかと注意を受けたが、醜い顔を晒すならと、仕事を辞めた。 メス入れに踏み切らなかったのは、そうすれば俺の顔ではなくなるだろと思ったからだ。それは多分培ったプライドと、常識的判断。 先日買ったばかりの美顔器を試していると、ピンポン、と軽快な音。 誰だよもう、こっちは忙しいんだからと無視を決め込もうとしたが、チャイムは執拗になり続けた。 しょうがなく、インターホンの画面を確認してみると、そこには高校時代の先輩の姿。痺れを切らしたのかチャイムをならすことを止めた彼は、今度はドアをがんがん殴りつけてきた。ちょっとくらい我慢できないのだろうか。 「なんの用っスか、森山センパイ」 「黄瀬!出るの遅えよ!」 「なんの用っスか」 「…ちょっとな。電撃引退から三年、人気モデルキセリョの今に迫る!みたいな」 「ふざけてるでしょ、帰ってほしいっス」 「あっ待てって嘘だよ嘘!とりあえず入れろ」 先輩は足を捻じ込み無理やり玄関に入り込んできた。こういう強引なところ、全く変わっていないと思う。 リビングまで案内すると、先輩は眉間に皺を寄せた。 「で、調子どう?」 「別に、ふつうっスよ」 「普通ねぇ…今時こんな部屋、どーぶつの森でも見かけねえよ」 「なんのことっスか」 「いーえなんでも」 ぱたん、と。ローテーブルにのっていた100均の鏡を先輩が倒す。 用意した紅茶には何も言わずに手を付けた。 「なあ黄瀬、真面目な話だ」 「…?」 「自分でもわかってるんだろ?」 「だから、なんのことっスか」 「病気だよ、お前。今なら間にあうから、病院に行こう」 病気、だというのならなんの。 俺それ納得いかないっス。 は?心の病?どこがっスか? 「前に来たときは、仕事辞める前までは、お前んちもこんなんじゃなかったろ」 こんな鏡だらけの、薄気味悪い部屋。 そういって近くにあった鏡をまた、ぱたん、と。俺の顔がこの部屋から、一つ減った。 俺は急に、自分の顔を確かめなくてはと、怖くなった。俺の美しさが、少し見ないうちに、また損なわれたのではないのか。両手を顔に這わせると、ひやりとした感触。 「なあ、黄瀬」 「せ、先輩にはわかんないんすよ、だって俺、だって、今までずっとキレイだったんスよ?そりゃいまもそれなりにキレイっスけど、それなりとか、なにそれ…!!こんなんじゃカメラの前に立つのも恥ずかしいのに!何が悪いのかちっともわかんないんス!!」 「…大丈夫だ。病院に行こう」 「…せいけいは…やだ…!」 「しないよバカ。させねーよ」 「う、うぇえっうわあああんせんぱ、もいやませんぱいぃ」 俺はもう、昔ほど美しくはない顔をぐしょぐしょに濡らして、喚きながら顔にしわを刻んだと思う。 今はそれが、不思議と苦じゃない気がした。 魚臭いお店の店員さんへの愛の弔い合戦 131231 |