朧月夜-漆-
※軍人臨也×男娼静雄

「シズちゃん」
どれだけそうしていただろうか。煙草吸いてぇなあ、などと静雄の思考が明後日の方向へ向かい始めた頃。かたくなに沈黙を守り続けていた臨也が、ようやく重い口を開いた。
「……君の、身請けをさせてもらってもいいかな」
吸い込んだ息を搾り出すように吐き出された言葉。静雄がそれを理解するより先に、臨也は矢継ぎ早に続けた。
「一年契約の上乗せで、女将さんに話を通そうと思うんだ」
「……は?」
「新しい住処なんかは、こっちで用意するから―」
「ちょ、ちょっと待て!」
淡々と自分の今後の身の振りについて進んでいく話に当の静雄自身は全くついていけず、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「……手前、急に何言い出してんだ。寝言は寝て言え」
「…………」
「おい、」
自分の顔を見ようとしない臨也に痺れをきかせ、静雄は抱きとめていた臨也の身体をぐっと押し上げその顔を覗き込む。
「お前……」
そこには静雄が初めて目にする顔があった。
口元は確かに笑みの形を作っているというのに、酷く苦しそうな、悲しそうな。
いつも飄々として、己の感情を滅多に表に出すことのない男が、今にも泣き出しそうな表情で自分をまっすぐに見つめ返してきた。


「戦地に、行くことになったんだ」
静雄は、一瞬何を言われたのか理解することが出来なかった。え、と小さく口から漏れた声は臨也の声に掻き消される。
「多分、帰って来られないと思う」
「まさ、か……」
まさか、まさか。静雄の中でずっと燻り続けていた不安が、急速に実態をもち胸の内で膨れ上がる。
「……君のせいじゃない」
「嘘だ。おかしいだろ、だって急に……そんな」
もはや自分が何を喋っているのか、静雄自身にも分からなかった。ただ頭の中では、ぐるぐると同じ言葉だけが空回りを続けている。
やはりこうなってしまったのか、と。
あの時、自分を専属にするなどとのたまった臨也を、殴ってでも止めるべきだった。静雄は震える拳をぎゅっと握り締めた。もう二度とここに来るなと思いつく限りの罵声を浴びせて、臨也が自分に向けてくれた想いごと、粉々に打ち砕くべきだったのだ。
こうなることを、静雄自身心のどこかで分かっていたはずだった。ただ、臨也と過ごす時間が余りにも穏やかで、心地よくて。今日まで強引に見て見ぬふりをして来たに過ぎない。いつかきっと、自分の存在が臨也を貶めると分かっていたはずなのに。
臨也の優しさに甘えた結果。化け物の自分が分不相応な幸せを願った結果が、この有様だ。
(俺に、関わったから――……)


「泣かないで」
臨也にしては珍しく、酷く弱々しい声音でそう言われて、静雄ははじめて自分の頬を濡らす涙に気が付いた。着物の袖で乱暴に目元を拭い必死に唇をかみ締める。
からからに乾いた口から言葉を吐き出すことはできないくせに。何でこんなものばっかり出てきやがるんだ、と苛立ちよりも情けなさが静雄の胸を埋め尽くす。それでも溢れる涙を止めることは出来ずに、ぼろぼろと流れ落ちる雫は静雄の白い頬をとめどなく濡らした。
「シズちゃん」
臨也はいつものように、まるで壊れ物を扱うような手つきで静雄の頬をそっと撫でた。
「……君に会えて良かった。最後まで一緒にいてあげられなくて、ごめんね」
それは不自然な程に穏やかな声だった。
「俺が君にできるのは、ここまでみたいだ。どうか、外の世界で……自由に――っ」
言い終わるよりも先に臨也の左頬に激痛が走った。ああ、殴られたのかと当人が理解するより先に更にもう一発。今度は反対の頬を殴られ、受けた衝撃に耐え切れずそのまま倒れこんだ。臨也の背中が勢いよく畳に擦れ、ざりざりと乾いた音をたてる。
「っつ、……ほんっと、君は最後まで……俺の予想できない行動に出るね」
「るせぇ!何言い出すのかと思えばべらべらと……っ!」
倒れた臨也に馬乗りに跨ると、静雄は声を張り上げ怒鳴った。その目は未だ涙で潤んではいるが、表情は怒りに満ちている。
「俺がいつお前にそんな事してくれって頼んだ!そうやってお前はいつも、俺の気持ちなんか考えずに突っ走りやがる……!」
「…………」
「俺が、…俺が今までどんな思いで……っ」
違う、こんな事が言いたいわけじゃない。
臨也がこんな状況に追い込まれた原因は自分だ。その上、己の気持ちをひた隠しておいて何という言い草かと、静雄は混乱した頭の中で自分自身を罵倒する。理屈では説明しきれない想いが静雄をただただ突き動かしていた。


―傷つくことを恐れていたら、愛することも愛されることもできやしないよ―


元より語彙の少ない静雄には、今の自分の想いを確実に伝える言葉など到底思いつかなかった。
それでも、するべきことだけは はっきりと分かる。
「シズちゃ……っ、」
馬乗りになったままの状態で、臨也の襟首を掴み上げぶつけるように唇を重ねた。
初めてのことで、勝手が分からないのだろう。ぎこちない動作で、ちゅ、ちゅ、と音を立てながら、少しかさついた臨也の唇に夢中で自分のそれを重ねていく。
「っ、…………」
突然の展開に半ば呆然とつたない口付けを受けていた臨也だったが、涙に濡れた目をきつく閉じ必死に接吻を繰り返す静雄を前に、胸の奥で膨れ上がった何かがぱちんと音を立てて弾けた。
「……っうわ!」
臨也は自分の襟首を握り締めていた手を強引に掴み、荒っぽい動作で畳に引き倒した。間髪いれずに静雄の身体を掻き抱くような形で覆いかぶさり、未だ涙の跡がはっきりと残る頬を両手で包み込んで、柔らかな唇に食らいつく。
「ん、ぅ……っ」
きつく結ばれた唇を強引に舌先でこじ開けると、臨也は迷わず口内に舌を差し込む。歯列をなぞり、奥に引っ込んだままの静雄の舌に夢中で自分のそれを絡めた。ぴちゃぴちゃと濡れた音を響かせながら互いの唾液を貪っていくうちに、いつしか静雄自身も臨也の舌の動きに合わせて舌を絡め始める。
「ん、は……っ、シズちゃん…はぁっ、シズちゃ、……」
唇が触れ合った状態のまま口付けの合間に何度も名前を囁いては、息を吸う間も惜しんで再び舌を絡ませていく。
「っぅ…ちゅ、は、……ん、くる、し……っ」
酸欠状態に陥った静雄に弱く胸板を叩かれ、臨也は名残惜し気に唇を離す。そっと体を引けば、混じりあった互いの唾液がつぅ、と糸を引き静雄の首筋を濡らした。
「は、…はぁ……」
「ふぅ……は、…がっつくな、よ」
「無茶言わないでよ」
どれだけお預け食らったと思ってるの、と。臨也が珍しく拗ねたように呟くので、静雄は思わず声に出して笑った。
「臨也」
欲に濡れた目で自分を見下ろす臨也の首に細い腕を絡め、静雄はその耳元で小さく小さく囁く。
「抱けよ」







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