朧月夜-睦-
※軍人臨也×男娼静雄

「臨也の奴の様子がおかしい」
「……静雄、またその話かい?」
大鍋相手に忙しなく手を動かし続ける男は、静雄の話を聞いているのかいないのか、鍋とまな板の間を行ったり来たりしながら汗でずり落ちかけた眼鏡をぐいと持ち上げた。
「……っ、んなにしてねえよ」
「先週、折原様が帰ってからずっとその話ばかりじゃない」
「…………」
「気になるなら本人に直接聞けばいいでしょ」
「……聞いても答えねえんだよ」
朧亭の調理場で働く岸谷新羅はいささかうんざりした表情を浮かべながら、そんなでかい図体で入り口を塞がれると邪魔なんだけどなぁ、とぼやいた。


口下手な静雄には、要点だけをかいつまんだ旨い説明はできず。先日の臨也の様子や事の顛末を何とか伝え終わる頃には、調理の山場を過ぎたのか新羅も幾分か落ち着いた状態で静雄の話に耳を傾けるようになっていた。
「ふむ、成る程ね。しかし、あの人が君に隠し事をするとは思えないけどねぇ」
朧亭で働く人間にとって「折原臨也」はそれなりの有名人となりつつあった。静雄を一年買い上げた財力もさることながら、衆道に走るとも思えぬ臨也自身の外見の美麗さや静雄に対する熱烈な入れ込みようといい、もはや遊女や客の間でも知らぬものは少ない。
「普通に聞いて駄目なら、床の中で聞けばいいじゃない」
「ぶっふぁ!……げほっげっほ!」
新羅の言葉に吸い込んだ煙管の煙を盛大に吐き出し、静雄が勢いよく咽むせ返る。
「もう専属になってふた月近く経つんだし、君にぞっこんな彼ならてててていてて痛い痛い痛い!!」
「臨也とはヤってねえって言ってんだろ」
精一杯体重をかけて新羅の足を踏みつけてやると、悶絶した新羅は目じりに薄っすらと涙をにじませてその場にしゃがみ込んだ。
「あー痛かった……」
「次言ったら捻りつぶすかんな」
「なにを」
「ナニを」
冷ややかに笑ってみせる静雄にぶるりと肩を震わせる新羅。
「そもそも、何でそんな関係が未だ続いてるのか私にはさっぱり分からないね」
理不尽な暴力にも慣れているのか、早々に立ち上がると、吹き零れかけている鍋の前に立ち、火力を見ながらぽつりと呟いた。別にあの人の肩をもつつもりはないけど、と前置きをした上で、新羅は静雄を諭すように静かに語りかけた。
「想い人と一夜を共にして抱くことも、ましてや口付けることすらできないなんて
男としては生き地獄もいいところだろうに」
新羅が何となしに呟いた一言に、静雄はぐっと押し黙る。決して嫌味ではないにしろ、静雄にとって耳の痛い話には違いなかった。静雄の弁解などはなから聞く気もないのか、新羅は新たにこう問いかけた。
「君は折原様の事が嫌いなのかい?」
臨也に想いをぶつけられたあの日から、その問いの答えを静雄自身ずっと考え続けてきた。未だ明確な答えを出せずにいる静雄を、臨也は決して急かしも責めもしない。
好きか、嫌いか。そう問われれば答えは一つだ。
「……嫌い、じゃねえ、と…思う」
いつからか、臨也が座敷に訪ねて来る日を待ちわびるようになっていた。臨也が隣にいると、抱きしめられると、優しく微笑みかけられると、静雄の胸の奥はほかほかと暖かくなる。
しかし、それが「好き」という感情と同義であるのか。静雄は未だ迷っていた。
「それを折原様には伝えた?」
新羅の言葉に、黙って首を横に振る。
静雄自身、漠然と今のままではいけないと思いつつ、このままぬるま湯のように心地よい関係を続けられるならばそれ以上は望まなくても良いのではないか、と臨也にそれを告げる事はしてこなかった。
「何だ、だったらお互い様じゃないか」
手にしたお玉で中身を掬い上げると、軽く息を吹きかけてすする。黙って立ち尽くしたままの静雄には目線もくれず手際よく足りない味を足しながら、新羅はやれやれ、と溜息まじりに言葉を続けた。
「自分は気持ちを隠しておいて、相手にだけ何もかも曝け出させようなんてずいぶんと都合がいいね?」
「…………」
「ねえ、静雄。君の境遇には同情するし、すぐに何か変えろとは言わない。けど、誰かに想いを寄せるってことは、傷つくことと隣り合わせなんだ。それは君だけじゃない。僕も、折原様だってきっと同じだ」
珍しく茶化さずに、凛とした声で話す新羅に静雄は僅かに目を見開いた。
「傷つくことを恐れていたら、愛することも愛されることもできやしないよ」








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