朧月夜-弐-
※軍人臨也×男娼静雄

「どうぞ、ごゆるりとお寛ぎくださいませ」
将校からかなり良い値を積まれたか、女将は上機嫌にそう言い残すと座敷を後にした。狭く薄暗い座敷の中には布団が一組敷いてある。臨也はそれを避けるように少ない畳のスペースに腰を下ろしてベルトからサーベルを抜いた。
「はじめまして。津軽君」
窓のふちに腰を下ろして煙管をくゆらせている津軽の横顔に声をかけてみるが、返答らしいものはない。沈黙の中には紫煙だけが漂った。 月明かりを浴びて青年の金色の髪がキラキラと淡く光を放っている。窓枠に脚をかけているせいで、緩く羽織っただけの襦袢から先程目にした白い脚が惜しげもなく晒されていた。どこか浮世離れしたその姿は、まるで昔話に登場するかぐや姫のようだな、と臨也は心の内で呟いた。
「…………何見てんだよ」
程よく引き締まった均整の取れた身体を思わずまじまじと眺めていると、さすがに沈黙に耐え切れなくなったのか津軽が唇を尖らせながらぼそりと呟いた。
「いや、綺麗だなぁと思って」
「きれっ……阿呆か、そういうのは女に言う言葉だろ」
「そう?綺麗に男も女もないんじゃないかな?」
「…………」
津軽は灰拭きに吸殻を落とし傍らにそれを置くと、ゆっくりと臨也の前に腰を下ろした。
「今宵は、ご指名……ありがとうございました」
畳に指先をついて深々と一例すると目線を落としたまま、うやうやしく呟く。急に作ったような言葉をかけられて目を丸くしていた臨也の軍服の襟に手をかけ、一つ一つぎこちない手つきで釦を外し始める津軽に、臨也は慌てて身を引いた。
「ちょ、ちょっと待った」
「あ?」
「……ずいぶんと性急だね」
「これが俺の仕事だからな」
その言葉に、臨也は今更ながら自分が此処に何をしに来たのか、そもそも此処がどういった場所であるのかを思い出していた。
「あんただって、俺を抱きに来たんだろ?」
「まあ、ね……」
「はは、正直な奴は嫌いじゃないぜ」
しどろもどろ答えると、津軽は小さく笑った。長い睫で縁取られた吸い込まれそうに青い瞳が、真っ直ぐに臨也を見つめる。
先刻、巨漢の男を投げ飛ばした青年と同一人物とは思えない色香に、臨也の頭の中は混乱を極めた。これがこの青年の本質なのだろうか?では先程見せた苛烈な性格は?
男を相手にする趣味はない、という問題とは別に折原臨也は大きく戸惑っていた。全く異なった顔を晒す津軽という青年に少なからず興味を持っている自分に、だ。
他人に全く興味を持てないこの自分が、できることなら彼の他の面を見てみたいと思っている。 今ここで彼を抱けば、また違う一面が見れるのだろうか――。
着実に、しかしどこか事務的な動きで自分の衣服をくつろげていく細い手首を掴み、ぐっと引き寄せると、行動を制限された津軽はむっとした表情で臨也の顔を見上げた。
「……んだよ」
「こういうのは、もう少し雰囲気を出した方がいい」
もう片方の手で細い腰を抱き寄せ、ぽかんと口を開けたままの津軽の顔に唇を寄せた。
しかし
「……っま、待てっ!」
「んぐっ」
薄い桜色の唇に臨也のそれが重なる寸前、津軽が慌てたように近づきかけた互いの顔の間に掌を差し込んだ。
「……何」
「てめえ、何しようとしてんだよ」
「何って……接吻だけど?」
「せっ……!」
もう後一息で唇が触れ合う距離まで来てお預けを食らった形の臨也は、眉根を寄せた不満げな顔で津軽を見つめる。と、これでもかと目を見開いた彼の顔はみるみる耳まで赤く染まっていった。
「せ、接吻は無しだ!」
「は?」
「……か、身体は好きにしていい。あんたのしたいように抱いていい!けど、……接吻だけは駄目だ。他の客にもさせてねえんだ」


まただ。この短時間で、また予想外の顔が現れた。
身体を売る仕事をしている癖に、まるで初恋も知らぬ少女のように接吻を拒む。
「そもそも、こんなとこで男娼の俺に接吻しようとした奴なんてあんたが初めてだけどよっ……」
「あは、あははははっ」
「……あぁ?!」
「いや、君面白い。実に面白いね」
「……んだよ。俺は別に面白いことなんか…」
「ふふ。いや、良いよ」
臨也は掴んだままの津軽の手を引き寄せるとそのまま布団に寝転がった。引き寄せられた津軽は臨也の上に覆いかぶさる形で横になる。
「っおい、何なんだよ」
「接吻が無しなら、今日はこのまま添い寝でもしてもらおうかな」
「は?」
「子守唄代わりに、少しお喋りでもしようじゃないか」
本当に面白い子だな。
粗野でチンピラみたいに暴れたかと思えば、男を惑わせる顔も持つ。その反面、初心でまっさらな一面をも隠し持っているとは。商売柄、そういった多様な面を売りにしているのではないかとも考えたが彼の反応を見るに、これは素だろうなと中りをつける。
(おっと、いけないいけない)
こうやって他人の本質をすぐに分析しようとするのが自分の悪いところだ。臨也は津軽に気取られぬよう、小さく首を振った。
「……金、払ってんだろ。そんなんで良いのかよ」
「ん、良いんだよ。それとも、期待させちゃってたかな?」
首筋をくすぐるように唇で食むと津軽はびくりと身体を強張らせた。
「っ……ん、なわけねえだろ!殺すぞ!」
「ふふ、怖い怖い」
赤い顔でそっぽを向くと津軽は臨也に背を向けて布団に寝転がった。
「あれ?怒った?」
「っぅ……、くすぐってえから耳元で喋んな!」
薄い背中を抱きこむように背後から抱きしめると赤く染まった耳が目の前にくる。臨也は面白がるように耳元で囁くが、これ以上機嫌を損ねては元も子もないので大人しく枕に頭を預けた。
「津軽、って芸者名だよね?君の本当の名前は?」
「……静雄」
「ああ、だからシズちゃんか。良い名だ。俺もこれからは本名の方で呼んでいい?」
「勝手にしろ」
「ありがと」
「……変なやつ」
今は素直にこの青年と話がしたい、そう思った。彼という人間を暴いてやろうという意図からではなく、静雄という人間をただ知るために。








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