Kissからはじまるミステリー
※SHに触発された探偵パロ
※モブシズ要素(女の子との絡み含む)有り
池袋のシンボルであるサンシャイン60。
ファッションからレジャー、フードコートまでを網羅し、平日休日を問わず人で溢れかえる人気のスポットである。特に若い男女に人気があり、水族館やプラネタリウムはデートスポットにうってつけという話だ。
長らく池袋に住んでいる静雄だが、残念ながらサンシャインでのデート経験はない。と、言うよりも女性とのデート経験自体がからきしだった。これから先もそんなシチュエーションとは程遠い生活を送っていくのだろうと思うと、少しだけ寂しい気もした。
職を転々としていた頃のように、金がないという訳ではない。ただ、純粋に時間がないのだ。案件によっては昼夜を問わず家を空けねばならないし、不定期的な休日では恋人を見つける暇もない。
それでも、彼は今の生活におおむね満足している。学生の頃に世話になった気のいい先輩が同じ職場で面倒を見てくれているし、子供の頃からあこがれていた仕事で食べていけているのだから。

オフィス用のエントランスは、一般客の来場スペースからは少し離れたところに位置している。スーツに身を包んだビジネスマンの間をすり抜けるようにして、静雄は正面の自動ドアをくぐった。ぴかぴかに磨かれたタイルに、すすぼけた自らのスニーカーがちぐはぐに映る。入り口の脇に立つ警備員は、背筋をぴんと伸ばして、通り過ぎていく人の波に「おはようございます」と挨拶を繰り返していた。
停止階層によって五つに分かれているエレベーターの、ちょうど真ん中に向かう。勤め先のオフィスは三十八階に位置し、眺めや日当たりは抜群に良かった。高低差のせいか、行き来するたびに耳の奥がツンと痛くなるものの、それにもすぐ慣れた。
「……っ、すんません」
みっちりと詰め込まれた人の壁にどうにかこうにか身体をもぐりこませると、目と鼻の先で扉がゆっくりと閉まった。幸いにも一便目に乗り込むことに成功した静雄は、階数表示のランプを目の端に捉えつつ携帯を開く。
(やべ、あと五分……)
三階、七階、十二階……、ああくそ。何回止まりやがる。さすがにキレはしないものの、焦りはつのる。
高層タワービルのオフィスは設備も眺めも最高だが、厄介なのは今日のように急いでいる場合だ。一階から三十八階までを往復するエレベーターは、それだけ利用者が多い。こまめに停止しては人を吐き出し、また飲み込み――急いでいる時に限って、遅々として進まない。

ようやく目的の階に到着した頃には、エレベーターの中には静雄一人だけがぽつんと取り残されていた。
扉が開くや否や駆け出して、まっすぐに廊下を突き進む。あらかじめ取り出しておいた社員証をセキュリティーロックに翳し、勢いよくオフィスに転がり込んだ。
「っはぁ、は…間にあっ、」
「……ってねぇよ。おはようさん」
顔を上げると、目の前にはコーヒーを片手に苦笑をこぼす上司の姿があった。
「す、すみません」
「いーっていーって。お前徹夜明けだろ?オマケしとてやるから、ほれ。早く行け」
紙コップになみなみと注がれたコーヒーを差し出しながら、トムは白い歯を見せて清爽とした笑みを浮かべた。
人当たりの良い彼は、総務部の女の子からも人気が高い。あまり褒められたことではないが、新人の女子社員あたりを言いくるめて勤怠表をいじくる腹積もりなのだろう。
「それよりお前、今日は朝一でミーティングだろ」
「うす」
「こう言っちゃなんだが、大丈夫か?」
「そんな酷い顔してますか、俺」
不安げに顔色を伺ってくるトムに、静雄は自らの顔を手のひらで擦った。
確かに、昨日は夜通し張り込みだった。ふらふらと移動する対象に合わせて行動していたせいで、神経は磨り減り、身体にも疲れが溜まっている。車の中で軽く仮眠はとったものの、睡眠時間は平常時の三分の一にも満たなかった。
「違うって。今日のメンツ聞いてねぇの?」
「はあ……」
気の抜けた返事を返す静雄の背中に、ごつりと硬い感触が当たった。ドアの前に突っ立っていたため、後からオフィスに入ってきた誰かが扉を明けた拍子にぶつかってしまったらしい。
すみません、と道を明け渡しかけたところで、静雄は身動きを止めた。肩ごしに背後を振り返りかけたポーズのまま、ぴくりとも動かなくなった後輩を見やり、トムはそそくさとデスクの脇へと避難する。
「やあ、シズちゃん。今日はまたずいぶんと重役出勤じゃない」
細身のストライプスーツに身を包んだ男――折原臨也は、作り物めいた笑みを浮かべてみせる。
「君と一緒に張り込みしてた紀田くんは、もうとっくに出社しているよ?肝心なところで寝入っちゃって使い物にならなかった君に代わって、きちんと証拠写真を持って、ね」
静雄の手の中に握れられていた紙コップがぐしゃりと潰れ、中身がオフィスマットにぼたぼたと零れた。あーあ、掃除のおばちゃんに謝っとかねえと、とトムは顔をしかめたが、それを口にするような命知らずではない。
「現場に出ねぇで引きこもってるノミ蟲野郎にとやかく言われる筋合いはねぇな。朝から不快なツラ見せてんじゃねぇよ、死ね」
「そりゃあ、人間観察もかねて現場で仕事ができれば、俺としても願ったりなんだけどさぁ。残念ながら、俺はもっぱら法人担当だしね。自分の無能さを、俺に転化するのはやめてくれないかなぁ。シ・ズ・ちゃん」
嘲り言葉を並べつつ、臨也は静雄の背中をつん、と人差し指の先でつついた。
一昔前のように、その手にナイフが握られているわけではない。しかし、凶器がなかろうが殺意がなかろうが、静雄にとってこの男がいけすかない存在だということには、ミジンコ一匹分も変わりがないのだ。
「だぁーかーらああ……」
ぶつり。
トムは、後輩の脆い理性が破裂する音を聞いた気がした。
静雄はオフィスの片隅にぽつりと立つ、大人の男の背丈ほどもある大型プランターをわしづかみ、頭上高く掲げる。
「その名前で呼ぶなっつってんだろうがあああぁ!!」
獣じみた咆哮と共に、探偵事務所の日常が幕を開ける。

♂♀

会議室に集まった面々にコーヒーを出していた沙樹は、カップの横にそっと絆創膏を添えた。おや、と顔を上げた臨也に笑いかけ「少し血が出てますよ」と、その左手に目線を落とす。
静雄の怒声と共に手元を離れたプランターは、臨也の顔面めがけて一直線に向かっていった。とっさに頭部をかばった甲斐あって、脳震盪を起こすことだけは免れたものの、両手には細かな擦り傷が残ってしまっている。
「ありがとう。沙樹はよく気付く子だね。紀田くんは幸せ者だ」
「でも、顔に傷がつかなくて良かったですね。今日はこれからクライアントとの打ち合わせがありますし」
絆創膏の包装を丁寧に剥がし、薄く血の滲んだ手の甲に張り付ける。沙樹と臨也のやりとりを苦々しい表情で見やり、静雄は窓の外へ顔を向けた。
怒りのほとぼり冷めやらぬ静雄が殴りかかってこないのは、臨也の秘書でもある彼女がこの場に居合わせているからなのだろう。
「まったく、君は化け物のくせに妙なところで自制的かつ常識的だね。本当、むかつくよ」と煽ることは簡単だが、それをすれば本格的に事務所が壊滅しかねないので、そっと胸の内に留めておく。
臨也はカップに口をつけ、壁掛けの時計へと視線を向けた。催促の電話でも入れてやろうかと携帯を取り出しかけたところで、図ったように入口のドアが開く。
「いやぁ。参ったよ、道が混んでてさ」
グレーのスーツにハーフタイプのバイクメットという出で立ちから推測するに、セルティあたりがバイクで送ってきたのだろう。
飄々としてどこか抜け目のない表情や、幼さを残す面差しは、学生の時分から少しも変わらない。臨也と静雄の同窓生であり、現事務所局長の岸谷新羅は、遅刻に対する謝罪を口にするでもなく、会議室の上座にすとんと腰を落とした。
「ところで、入口のところ、どうしたのあれ?うちのフロアに天災地変でも起こったのかい」
メットをデスクの上に置いた新羅は、すでにそろい踏みしている他の面々を見渡し、すぐに納得したように小さく頷いた。
部屋の入口付近に座する臨也と、ぶすくれた表情で窓の外を睨み付ける静雄。その隣では、静雄の現相棒でもある紀田正臣が机につっぷしてすやすやと寝息を立てている。
「頼むから、この狭い空間で暴れるのは勘弁しておくれよ。僕もまだ死にたくないからね」
臨也と静雄は互いに手の届かない距離に離れて座ってはいるが、何が原因で喧嘩の口火が切られるかは分からない。小さく肩をすくませる臨也と、舌打ちでもって返答する静雄に、新羅はやれやれと首を振った。

SS総合探偵事務所。
従業員数は事務員も含めて三十人程度の小規模の事務所ではあるが、都心を中心にそこそこの業績を収める調査会社である。
臨也は三年ほど前、新羅が企業するタイミングでこの事務所に引き抜かれた。
情報屋で培った技術を人のために活かさないか、などという胡散臭いことこの上ない誘い文句に、始めこそ難色を示していた臨也であったが、結局は強引な幼馴染に押し切られるような形で、現在は事務所のアドバイザーという立場に腰を据えている。
ある時、臨也は「なぜ探偵をやろうと思ったのか?」と新羅に尋ねたことがあった。
医者の家計に生まれた彼は、昔から解剖や手術といった医療行為にこそ生きがいを見出していたし、まさか二十歳を超えてから、今までの人生プランを棒に振って方向転換するとは思ってもみなかったのだ。そこにどんな思惑やドラマが待ち構えているのだろうか、と密かに期待していた臨也は、新羅の回答に大層がっかりした。
「セルティが、海外ドラマの探偵モノにお熱でね。『こんな仕事ができたら、きっと楽しいだろうな』なんて言うものだからさ。俺、今までの貯蓄を全部投資して、彼女にこの会社をプレゼントしてあげようって決めたんだ」
へらへらと笑う幼馴染の顔は、一点の曇りもない充足に満ち溢れていた。

コンコン、と軽やかなノックに続き、会議室のドアがゆっくりと開く。両手いっぱいに抱えた書類の束でふらふらと足元をふらかせた青年――竜ヶ峰帝人は、テーブルの端に書類を積み上げると、ひと仕事終えたとばかりに安堵の息を吐いた。
「すみません、遅くなってしまって」
「いや、問題ないよ。私も今着いたばかりだからね」
短く切りそろええられた前髪の下で眉尻をハの字に下げ、帝人がぺこりと頭を下げる。ぬるくなったコーヒーをすすりながら、新羅はいつもの調子でへらりと笑った。
「ちょっと量が多いんですが、出来るだけまとめて来ましたので。まずはこちらを……」
帝人は付箋ごとにまとめられた書類を小分けにすると、各人の手元に手際よく配っていく。熟睡中の正臣の肩をゆさぶり起こし、「仕事中なんだから」と至極まっとうな指摘をしながら、彼は寝ぼけ面の友人の鼻先に資料を突きつけた。
「さてと。じゃあ始めようか」
臨也、静雄、正臣、沙樹、帝人。全員の手元に資料が行きわたったことを確認して、新羅が口火を切る。
「ちょっといいか」
臨也はパラパラと資料を捲る手を止め、顔を上げた。見ると、対極に座る静雄が片手をあげている。
「あー……。俺と紀田は、何でここに呼ばれたんだ?」
同意の声こそ上げはしなかったが、当然といえば当然の問いに、臨也も上座へと視線を向けた。
事務所の方針として、依頼を受ける際にはいくつかの手順を踏むことが義務づけられている。依頼人は初め、帝人のいる事務局でおおまかな依頼の相談をし、そこでまず受注の可否が下される。
会社自体は新羅が恋人の道楽の延長として立ち上げたものだが、現実の探偵はドラマや映画の世界のように華々しい仕事ではないのだ。刑事事件に関わるような案件はそもそも請け負うことができないし、身元調査を依頼してきた相手がストーカーでした、なんてオチがついては商売にもならない。だから、受けられる仕事と受けられない仕事は比較的明確に線引きがなされていた。
晴れて依頼を受けるという段階になると、アドバイザーである臨也と実質事務所のトップでもある新羅によって、実際の調査方針をまとめる会議が開かれることとなる。そこで段取りや予算、調査員の確保やその他もろもろの手筈を整えていくのだが――この段階で、調査員が絡むことはまずない。
「そっすね。俺らがここに居ても、仕方ないと思うんすけど。ていうか、珍しくないですか?このメンツで会議って」
正臣の発言に頷き、静雄が続ける。
「こっちも暇じゃねぇんだ。まだ抱えてる案件山積みだしよ、早いとこ外出てぇんだけど」
静雄や正臣は分かりやすいほどに頭脳労働の部類が苦手な人種であったし、実際のところ実地調査を行う調査員としてこの会社に在籍していた。
事務所を立ち上げて一年目に「静雄を引き抜いた」と新羅から聞かされた時は、彼の正気を疑ったものだ。
感情のままに行動するような男が、尾行や調査などという「忍耐」とイコールで結ばれた仕事をこなせるわけがないと思っていたし、案の定静雄は何度か調査対象にキレもした。
しかし、臨也の予想以上に、彼の適応能力は絶大だった。地道な努力とノウハウを詰んだ静雄は、それなりに探偵業をこなしているらしい。早めに事務所からたたき出してやろうと目論んでいた臨也としては、面白くないというのが本音だ。
「うん。今回の案件はちょっと、そうだね――普段とは違う方向から攻めてみようかと思って」
人差し指と中指でメガネのブリッジを押し上げ、新羅が言う。ガラス越しの瞳に鈍く光が差すのを見て、臨也は言葉では表しづらい不穏さのようなものを感じていた。




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