Till death do us part
※ちょっとだけ痛々しい描写有り
「 臨也 」
振り返るよりも先に、背後から回された細い腕が俺の身体を包み込む。どこか甘えを含んだ声は、たった三文字の言葉を口にしただけで縺れていた。
回転式の椅子ごと身体を反転させ、俺に体重を預けてきた男の背中をやんわりと撫でてやる。また少し痩せた身体に、つきりと胸の奥が痛んだ。
「……もう起きたの?おはよう」
元々男にしては細かった腕は、今や病的なまでに痩せこけ見るに耐えない。食べては吐いてを繰り返していた彼の体重はみるみる減っていった。
俺達に馴染みの深い闇医者をマンションに呼びつけると、彼はシズちゃんの顔を見るなり「拒食症だね」と分かりきった診断を下した。精神的なストレスが原因とのことで、当たり前ながら特効薬などは存在しない。
仕方なく、手を変え品を変え実に様々な方法で彼に食事を与え続けた。彼が好んで摂っていたジャンクフードから、離乳食のような流動食まで。「食べる」という行為そのものを嫌がる事が大半ではあったが、俺が作った何の飾り気もない手料理だけは残さず食べてくれていた。
けれど、彼の意思に反して、身体は食べ物を拒絶し続けた。「美味い」と言って上機嫌に食べた後でも、しばらくすると胃の中身を全て吐き出してしまう。
シズちゃんは嘔吐する度に決まって泣きそうな顔をして俺に謝った。せっかく作ってくれたのにごめん、と。
「別に怒ってないよ」「大丈夫だよ」と言ってやった所で、今の彼の慰めにはならない事を俺は知っていた。だから、ストレスのかかる食事方法から、点滴で最低限の栄養分を投与するだけの方法に変えた。もちろん、そんな手段が長く続けば彼が衰弱していくのは目に見えていたし、本格的に摂食障害へと発展しかねないので、定期的に経口食も続けさせてはいる。
それでも、やはりシズちゃんの嘔吐は収まらなかった。


Till death do us part


一年ほど前、世間を騒がせるとある一つの事件が起こった。
閑静な住宅街で男が一人殺された。殺害方法は極めて残忍で、被害者の顔は見るも無残に潰されていたという。容疑者として挙げられる人物は被害者の兄で、凶器は見つかっていない。かなりの人員を動因して大々的な検問や聞き込みを行ったにも関わらず、犯人の男は未だ逃走中とのことだった。
身内を殺した殺人犯がまんまと逃げ遂せた――。それだけの事でであれば、今の世の中そこら中に転がっている平凡な事件で終わっていた筈だ。新聞の三面記事に紹介され、あるいは昼のワイドショーなんかで小さく取り上げられて、数日もしないうちに人々の記憶から消え去るような。そんな、ささいな出来事だったに違いない。
しかし、その事件の被害者は人気絶頂のアイドルで。そして、加害者でもある彼の兄は首都部の人間の間では伝説のように語られる存在でもあった。
犯人の人となりを知らない人々は口々に「恐ろしい事件だ」「犯人は鬼畜外道だ」と騒ぎ立てたが、当人達を知る人間は、みな揃って首を傾げたという。
確かに、男は人間離れした力を持った野獣のような人物ではあったものの、彼ら兄弟は仲が良い事で有名であったし、事件当時の彼はある程度自身の力をコントロールできるようになっていた筈だからだ。
二人の間に何があったのか。何が原因でそんな悲劇が起こってしまったのか。
残念ながらその理由に関しては、世間の人々と同じく情報屋である俺にも分からず終いだ。今となっては真実は全て闇の中。
当のシズちゃんは、一年前を境に壊れてしまったのだから。


「……身体が冷えてるね。何か温かいものでも飲む?」
それとも何か食べるかい?と問いかけると、俺の肩に鼻先を埋めていたシズちゃんは
消え入りそうにか細い声で「いらねえ」と答えた。予想していた通りの返答に曖昧に頷いて、俺は骨ばった手首をそっと手に取る。
「また……」
何気なく視線を落として、ぎくりと手元が強張った。彼が眠っている間に手首に巻いておいたはずの包帯が、いつの間にか消え去っている。青白い肌にはくっきりと赤線が刻み込まれており、いびつな曲線は新しいものと古いものとが幾重にも重なり裂けた皮膚が痛々しくめくれあがっていた。
彼の強靭な治癒力によって、新しいであろう傷口は不自然に癒着しはじめていた。恐らく、シズちゃんの両手の爪にはびっしりと血の塊が詰まっていることだろう。この一連の流れにすっかり慣れきった俺は、そっと溜息をついた。


本人も無意識のうちに、それは始まる。
初めのうちは肌の上をさする程度の仕草に過ぎないのだが、放っておくと爪を立てて肌を抉るような自傷行為へと移行してしまう。シズちゃん曰く「肌の下を何かが這いずり回っている」のだそうだ。細かい蟲が、皮膚の下を無数に蠢く感覚。それは一体どれ程のものなのだろう。
彼はそれこそが自分が「化け物」と呼ばれる所以であると信じているらしかった。だからこそ、「そいつら」が騒ぎ出すとシズちゃんはたまらずに自分の肌ごと掻き毟る。目を離した隙にベッドシーツに赤い染みができている、なんて事も既に日常茶飯事だった。
俺はできるだけ彼の傍を離れないよう努めることを決め、仕事中も眠る時も、何をするにもシズちゃんの傍らでこなした。
「……うぜぇから引っ付くな。暑苦しい野郎だな」
出来るだけ本人には悟られまいとしていたのだけれど、流石に同じ部屋に暮らして24時間ほぼ一緒となれば、いくらアホなシズちゃんでもそれが不自然な状態であると気付く。「そんなに四六時中監視してなくても、別に逃げたりしねえよ」とうんざりした口調で告げられたのは、彼をこの部屋に連れて来て一ヶ月が経った頃だったろうか。
事実、彼は決してこの部屋から逃げ出そうとはしなかった。
始まりこそ「監禁」という形式だった生活はすぐに「軟禁」へと変わり、そしていつしか「共同生活」へと変化していった。これには流石の俺も少し驚いた。
「俺の隣で仕事すんの、効率悪ぃだろ」
「別に?指と目さえ自由になれば、こんなもの何処でだって出来るよ。まあ、確かに肩はこりやすいかもしれないね」
「……だったらデスクでやれよ。何で常に俺の傍にいる必要があるんだよ」
広いベッドの上で膝の上に乗せたノートパソコンのキーを打ち続ける。
マスコミや警察の目を欺いて容疑者一人を連れ去る事など、情報屋を営む俺にとっては造作もない事だ。
報道の仕方が派手だった分、それなりにツテを潰す羽目にもなった。顧客は減ったし、「折原臨也」という名前も使えなくなってしまったので、新規で立ち上げた事業を波に乗せるまでは気が抜けない状況ではあったが、別段後悔などしていない。
「……まあ、愛の力の成せる技じゃないの?」
出来るだけ冗談に聞こえるように軽い口調で言うと、シズちゃんは苦々しい顔をしてみせた。
俺は目を細めて柔和に微笑む。彼が言うところの「胡散臭い笑顔」というやつだ。
「……うるせえ。うぜえ。うさんくせえ」
「……何その3U。君って超失礼だよね」
「はは」
珍しく歯を覗かせて笑うシズちゃんに釣られて、俺も素直に笑った。


これが冗談に聞こえているうちは良い。本気と悟られてはいけない。決して。
笑顔の裏で、俺は自分自身に必死に言い聞かせていた。






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