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「トリック・オア・トリート!」


女性向けの雑貨店やケーキ屋などが愛らしいカボチャのオブジェで彩られるこの季節。
魑魅魍魎の類いを恐れるでもなく、ましてや宗教や神なんて存在ともほとほと無縁なこの男――
折原臨也はイベントにかこつけて恋人の家を襲撃していた。

初めに断っておくが、臨也はクリスマスにもバレンタインにも須らく興味などない。
それらに踊らされる世間や人間達を眺める事は、人間観察が趣味でもある彼にとっては愉快でもあったが
いかんせん自分がどうこうしようという思考に至るまでには気分が盛り上がらないのだ。
そう、今日はかつての臨也にとっては何の変哲もない十月の末日。
かつての彼であれば、時間の許す限り街を練り歩き、イベント一色に染まった街頭で人間愛を声高に叫んでいた事だろう。

しかし今年はいささか勝手が違っていた。
彼が愛を告げる対象は「人間」という曖昧な存在から、たった一人の男へと変わった。
そして長年に渡り衝突し続けてきた宿敵――平和島静雄と「恋人」という関係に発展してしまった今となっては
この10月31日という日すらも、見過ごす事などできない貴重な一日へと変化してしまったのだ。
「まさかこんなイベントで胸を躍らせる日が来るとは思わなかった」とは、当人の弁であるが
だらしない笑顔と共に吐き出された言葉に違わず、彼はとことん浮かれていた。

その証拠に、31日へと日付が変わるか変わらないかといった迷惑極まりない時間帯に
彼はこうして通いなれたボロアパートの扉を鼻歌交じりにノックしているのだから。

だるそうに顔を出した男に向けてどこか子供染みた笑みを向け
冒頭の台詞を意気揚々と口にして現在に至る。


「……てめぇ、今何時だと思ってやがる」


眠っている彼の安眠を妨害しようものなら、お決まりの台詞を述べる前に鉄拳が飛んできただろう。
Tシャツに高校時代のジャージ、という飾り気のない就寝スタイルに身を包んではいたものの
幸いにもまだ眠りにつくには至っていなかったらしい静雄は
予告もなしに部屋に押しかけた恋人の姿を視界に入れてもさほど顔色を変えなかった。
「声がでけぇ」と至極常識的な言葉を返されて、臨也は肩透かしをくらったような気分を味わう。


「寒ぃから中入れよ」
「…う、うん」


先ほどの静雄の発言を慮ってか、「お邪魔します」と小声で告げてから部屋の中へと足を踏み入れた。
家具もインテリアの類も極度に少ない殺風景な部屋はすでに慣れ親しんでいるものの
やはり何度足を踏み入れても味気ないものだな、と臨也は人知れず苦笑した。
パソコンもテレビすらもない空間は、あらゆるツールを使って世間の情報を手繰り続ける男にとっては不可解ですらある。
たとえば自分が丸一日同じような部屋に閉じ込められたとしたら、それだけで息が詰まって死んでしまうのではないだろうか。

壁際に寄せられたベッドの脇にガラス張りのローテーブルがひとつ。
さしあたって目に付く家具の類はその二つだけだ。
せめて小さめなソファの一つでも買ってやろうか、と思案しながらベッドを背にフローリングに直接腰を下ろした。


「で、何しに来たんだ」


マグカップを手渡しながら、静雄は臨也の隣に腰を落ち着けた。
チラリ、カップの中身に視線を落とす。


「…シズちゃんさぁ、さっきの俺の話聞いてなかったの?」
「トリック・オア・トリート、……ってあれか?」


臨也がはあ、と息を吐いたことで立ち上る湯気がゆらりと揺れた。
琥珀色の紅茶はカップのふちからティーバックの紐がはみ出していて、一目で安物のそれと分かる。
現に香りもほとんどないような代物ではあったが
以前彼が用意してくれた泥水のように濃いココアよりは幾分かましだと思えた。


「そう。今日はハロウィンだからねぇ」
「自称“無神論者”が何言ってやがる」
「嫌だなぁ。こんなの、本来の意味なんか無効のイベントじゃない」


やれやれ、と演技がかった仕草で肩を竦める臨也をじっとりとねめつけ
静雄はようやく此度の唐突な来訪の理由に思い至ることができた。

何のことはない。
この男の目的は魔女やドラキュラの仮装をしてパーティーを開くことでも
子供のようにお菓子を強請ることでもないのだ。

“Trick or Treat!”
―お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!

要はハロウィンという名目の元、可愛い恋人に“いたずら”ができればそれで良い、という訳である。
その発想自体は普段の臨也を思えば微笑ましいものであるが、問題はその“いたずら”の中身だ。
静雄の経験上、この男がとんでもなく性質の悪い要求を宛がう可能性は高かった。


「……と、いう訳で“お菓子くれなきゃ悪戯するよ”?」


臨也はニヤリ、おおよそ“いたずら”という単語が似つかわしくないあくどい笑みを浮かべ
カップに口をつけかけていた静雄の腕をそっと掴んだ。


「あぁ?」


己がかつてそうであったように、静雄もまた、イベント事にはとんと疎い。
そして自分とは違い、彼はそのイベント自体を知らない可能性が高いだろうと臨也は踏んでいるのだ。
ハロウィンという単語こそ聞きかじってはいても、静雄のような男が日にちまで把握しているとは思えない。
――となれば臨也は彼の思うがままに静雄に“いたずら”を仕掛けられる、という寸法である。


恋は人を盲目にする、とはよく言ったものだ。

折原臨也という男は抜け目無く計画を立て、それを思うがままに遂行する事ができる。
たとえば一つのプランを立てたとして、彼は様々な角度からそれを精査し
ほんの些細な穴すら埋めてしまうだけの頭脳を持ち合わせているだろう。
しかし今の臨也はそこら辺にいる彼が「愚かだ」と揶揄するような人間達と何ら変わりない。
現に彼はひとつ、とても簡単なそして重大な計算ミスをおかしていた。











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