稲妻 | ナノ




※二人とも気持ち悪い
※ほんのりカニバリズム表現




「次は、どこにしようか」

 くすり。目の前の、橙色のつり目が愉しげにスッと細められた。

 どこにしようか、なんて。答えたところでこいつはそんな要望なんて聞きゃあしねえ。

「…どこでも」
「へえ? 随分と余裕だな」

 俺の転がっているベッドの空いたスペースに、佐久間がどかりと勢いよく座り込んだ。佐久間のポケットあたりからカチャリと金属のぶつかる音が聞こえた。ひどく愉しそうにクスクスと笑っている。何が愉しいのやら、……俺には理解しえない。

 何日間…―何週間前だったか。
 もう、時間感覚もおかしくなってしまう程長い時間、俺はこの、狭く薄暗い部屋に閉じ込められている。犯人は言わずもがな。この佐久間だ。ちょっと顔を貸せ、と言われて、そのままこの部屋に押し込まれたのだ。電気はちかちかと点滅しているし、家具といっては、俺の今居るこのベッドと、横に添えられたチェストだけという、人が住むにはなんとも粗悪すぎる部屋だった。今となっては、そんなこと気にしてなんかいられないのだが。

 俺がこの部屋に連れ込まれた原因がなんなのかははっきりとしない。佐久間は何も言わないし、俺も何も聞いたりしていないから。うっすら見当はつくといえば、つく。おそらく鬼道クン絡みだろう。よく『○○狂』などと言ったりするが、俺はまさにこいつみたいなやつが狂、と呼ばれるべきだと思う。俺が思うにこいつはきっと『鬼道狂』だ。教室であろうと、友人であろうと、チームメイトであろうと、たとえチームのキャプテンである円堂に対してであってでも、鬼道クンと話しているやつが居れば、佐久間は嫉妬心に似た狂気を抱くのだ。人によれば殺意を覚えることだって少なからずあるのだろう。例えば、そう、俺であったり。――もっとも、佐久間が殺意の対象として挙げるような人物など俺以外には見当すらつかないのだが。佐久間は何をしでかすか解らないところが一番怖い。一見まともそうに見えて、実は違うのだ。

「おい不動、聞いてるのか」

 どん、と不意に肩を押され、バランスを取ることも手をつくこともできないまま、決して柔らかいとは言い難いような硬いベッドにごろんと倒れこんだ。右肩から落ちたため、勢いも相俟って右半身に大きい負担がかかってしまった。切り落とされてしまって、既に無くなったはずの右腕がギリギリと痛んだ気がした。人間って不思議だと思う。何故、無いはずのものが痛むのだろう。結局人間は全て感覚で物事を扱っていて、あって当たり前のものを当たり前に考えて、そのものについては考えようとしないのだ。中々適当な生き物だと思う。

「耳、にするか。機能しないものなんて、あっても仕方ないだろ」

 カチリ。佐久間ぎナイフの刃を開いた。大きな刃が鈍い光りを放ちながら俺を覗いている。今までに沢山のものを切り落としてきた丈夫な刃には、錆ひとつ無い。綺麗に磨きあげられている。なんだかんだで真面目で几帳面なやつなのかもしれない。

 いつか佐久間は、「吐き気がするほど、俺はお前のことが嫌いだ」と言った。その嫌いなやつの肉を喰うとは、一体どんな気分なんだろうか。快感なのか、不快なのか、旨いのか、まずいのか、愉しいのか、哀しいのか、あるいは何も考えていないのか。

 初めて喰われたのは、左足の小指だった。その時は暴力を振るわれても、ナイフで切り付けられたのはさすがに未経験だったため、自分でも驚くような声で呻いたのを覚えている。自分の足から血がどくどくと脈を打ちながら流れてゆく様を眺めているのは、なんとも変な気分だった。佐久間は切り落としたそれを、なんの躊躇いもなく自分の口へと運び、もぐもぐと咀嚼した後、口の端から赤黒い血を一筋垂らしながらゴクリ、と呑み込んだ。終始無表情だったから、佐久間からは何一つとして感情を読み取ることはできなかった。

 大量の血が流れ、いよいよ意識が朦朧としてきたところで、佐久間は止血を始めた。指の付け根をきゅっと紐か何かで縛り、そのまま包帯をぐるぐる巻き付けただけの簡素なもので、これで意味があるのかは解らなかったけれど、何もしないよりはまだマシだと思った。「おやすみ」がつんと頭を殴られて、その日は意識を手放す、という形で眠り込んでしまった。目覚めはこれ以上無いほどに最悪であった。左足は切り落とされた小指の所為でびくびくと痛むし、昨日流れた血の量の所為か貧血でふらふらする。しかしこうして目覚めることができたことすら奇跡なのかもしれない。あれほど雑に扱われたのだ。死んだっておかしくなかった。今思えば、あの場で佐久間が俺を殺していてもよかったのだ。歯を食いしばって少しだけ包帯を解いて指先を見てみる。青黒くなっている。腐っていたのだろうか。

 その後も佐久間は俺を殺そうとしなかった。生かそうとしている風にも見える。こんなに部品は無くなってしまって、身体もまともに動かないような状況なのに。どうしてまともに頭を動かして、正常に、いつもどおりの思考を保っていられるのか不思議で、不安でたまらない。俺は佐久間の歪んだ性癖の隙間を満たすために生かされているのだろうか。切り付けられ、落とされ、喰われるためだけに生かされているのだろうか。まともに痛みすら感じることなくなった俺を傷つけて愉しいのだろうか(まあそんなこと、佐久間は知るはずないのだけれど)。佐久間はきっと鬼道クンの肉を喰いたいんじゃないのだろうか。あいつは鬼道クンを傷つけるようなことはできないから、俺を? ああ解らねえ。あの酷く愉しそうな笑い声の裏側には何があるのだろうか、

「なあ不動、『耳なし芳一』って知ってるか?」

 背筋が凍るような気がした。
 ひんやりと冷たいナイフの切っ先を後ろ首にそっと宛がった。

「知らねえ」なるべく短く、簡潔に答えた。少しでも動けば、そのままグサリと傷つけられてしまうような気がしたからだ。首をやられてしまえば、終わりだ。この期に及んで、俺はきっと生きようとしている。もともと死にたいと思っているわけではないのだが。死んだほうが楽なんじゃないかとかいう、いかにも中学生じみた考えは少しだが持っていた。そこまで考えて、俺も実は大分精神面をやられてしまったんじゃないかと思った。前はこんなこと考えなかったのに。

「そうか、知らないのか」

 佐久間はクスリ、とまた笑って話し出した。

「あのな、『耳なし芳一』ってのは、耳の無くなった琵琶法師の昔話だよ。むかぁしむかし、とある寺に盲目の琵琶法師さんが居ました。まあ当たり前だけどな。なんでもその琵琶法師さんは弾き語りがとても上手で、人気があったらしい。詳しくは知らないけど、ある時なにかが芳一の身体を奪おうとしたんだと。夜中、だったかな。ところがそいつは芳一の身体を奪えなかった。盲目だから戦えたわけじゃない。……何故だかわかるか? お経をな、身体中に書いていたんだ。そいつは邪悪な存在、その時代でいうアヤカシっていうようなやつだったんだな。だから仏陀…神様の言葉であるお経に触れることはできず、身体は奪えなかった。ああ、大切なことを忘れてたな。何故『耳なしなのか』。まあそのままなんだけど。芳一はうっかりしてて、耳だけにお経を書き忘れてたんだよ。だからその部分だけひさそのアヤカシさんも触れることができた。しようがないから耳だけでも、ってブチッと契って持っていかれちゃったらしい。山口県だったか……気になりゃ調べてみるといい。まあ俺が言いたいのは耳がなくたって、人間は生きられるってことだ。実際芳一だって生きたらしいしな」

 じっと、後ろから聞こえる『芳一』の話しを聞いていた。その間にもナイフの先はつつつ、と静かに耳に近づいていった。耳が無くなったって、芳一はどうやって生きたんだろう。それにこれはあくまで昔話だ。今俺の耳が無くなったところで、生きることができるかなんて解らない。時間は絶えなく進み、歴史が移り変わり、そして俺達人間の肉体だって少しずつ変わっているはずなのだから。

 ナイフが耳にたどり着く。
 ぐっと、唇を噛み締めると、仄かな血の味が広がった。



∴命数かぞえ

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