稲妻 | ナノ




「かぜ…まる」

 信じたくなかった。
 信じられるわけがなかった。

「もう、走れないのか」

 風丸が事故に遭ったと聞いたときは、一瞬心臓が止まってしまったかと思った。たった一人の生死のせいで、カラフルに色づいていた世界が、一気にモノクロへ落ちたのだ。頭の中が真っ白になって、電話で聞いていたため思わず受話器を落としてしまっていた。何も考えられなくなったあと、それからふつふつと怒りが沸いてきた。誰が風丸を、殺してやらなければ、と、冷静に考えればあまりにも異常な考えだったんだけど。しかし、たしかに風丸は俺の中でそれほど大きな存在だったのだ。

 明らかに相手側の不注意だったという。歩行者用の信号も青だった。運転手が居眠りをして、それで。幸い命も助かり、心配されていた脳の影響もなかった。奇跡だと、医者は言った。俺だって本当に奇跡だと思った。電話を受けたときから心の中では生きている、と信じてはいたが、大部分は半ば諦めたようなものだったから。しかし奇跡を起こしてくれた神様は、命を助けることでいっぱいいっぱいで、風丸の唯一自慢にしていたものまでには手をつけられなかったらしい。

 足が動かない。……つまり、風丸の特技であり、自慢であり、そして宝物であったはずの「走る」ことが出来なくなってしまったのだ。風丸は走る、ということに心のよりどころを持っていたように思う。辛いことがあれば、走っていた。河原の周りや、鉄塔の下、もちろんグラウンドだって、そこは常に風丸の足によって地面が踏み固められていた。あの時、俺の敵として現れた風丸だって、走ることがなんたらって理由で、だったはず。良かれあしかれ、風丸の走りは、いつもその行為への愛に満ち溢れていた。

 そんな風丸なのだから、俺は病院に行くのが本当に怖かった。走れない、という事実を受けて、風丸はどんな感情を持っているのか。きっとあの茶の瞳は暗く影っているのだろうか、心は黒くくすんでしまったのだろうかと、勝手にそんな考えを俺は持っていた。


「…ああ」

 俺の問いに、風丸は答えた。そう言った風丸の瞳はまぶたが赤く腫れてこそいたが、影ってなどいなかった。俺を見る瞳はまっすぐで、心のくすみなど、無かった。「ああ」とたった一言。その前の空白には風丸の思いがたくさんたくさん詰まっていたのだろう。(生憎俺には読みとれなかったけれど。)やけにクリアで、はっきりとした声だった。なにもかもを全て受け入れてしまったのだ。風丸、は。強くなったんだ、と思った、けど、違う。風丸は弱いままなんだ。だから現実に抗うことを諦めてしまって、なにもかも嫌になってしまって、もう受け入れてしまえば楽なんだろうって、泣いて泣いて、そして、受け入れてしまったんだ。風丸はあの時のままだった。弱いままだった。そして純粋なままだった。ただ少し受け入れたあとの行動が違うだけで、風丸は変わってなんかいなかった。

 思わず風丸を抱きしめた。

「……頑張ろうぜ、なあ」
「…ごめんな」

 俺の声のほうが涙に揺れて、震えていた。馬鹿みたいだ。

∴弱い俺を赦して
(ごめんな。俺はやっぱり、)

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