稲妻 | ナノ




 部屋の隅にちんまりと座り込む緑川を見た。緑川の入っているサッカーチームの練習は今日もあったはずで、汗だくになっているだろうに、シャワーを浴びることは疎か着替えることすらせず、俗に言う体育座りで死んだようにただ座っている。「緑川?」少し心配になって問い掛けてみると、小さく

「お腹空いた」

と呟いた。まさかそんな返答が帰ってくるなど予想していたわけもなく、思わず吹き出すと「仕方ないだろ!」と殴られた。練習で失敗したとかそんなのだと思ってたのに。

「お腹空いた」とまたさっきより少し大きな声で言った緑川に再び笑いかけてしまった。なんとか抑えたけど。

 そうだ、緑川は大食いなんだよなあ。あの細い体のどこに消えていくんだってくらい食べる。初めて知ったときは驚嘆した。

 しょんぼりと抱えた膝に埋めたキツすぎない緑色の頭をふわりと撫でて「久しぶりに外食でもしよっか」と微笑んでみる。俺達は普段基本的に家で作って食べるから外食はあまりしない。珍しい誘いに緑川は「うん!」と目をきらきらと輝かせた。先程の沈み具合はどこへやら、である。

 ちゃんとシャワー浴びて着替えるんだよ! そう言うと緑川は「ちゃんとお洒落するよ!」と言いながら自室へ飛び込んで行った。お洒落、という言葉を聞いて久々のデートのような気分になって心が躍る。俺も頑張ってお洒落しようっと。

― ― ―


 暫くすると、精一杯のお洒落をした緑川が少し緊張した面持ちで遠慮がちに部屋から出てきた。前に俺がプレゼントしたパーカーを着てくれている。緑川は恥ずかしそうに小さく身じろぎをして、俺の感想を待っているように思えた。

「いいんじゃない、似合ってるよ」
「そ…そうかな」

 そう言うと緑川はたちまち嬉しそうに表情を明るくさせて、顔を赤らめた。そして

「ヒロトも……その、かっこいいな」

 照笑いをしながら放った言葉に思わず手がピクリと動いてしまった。今すぐにでも抱きしめてやりたい衝動に駆られたのだ。なんていうか、今のは…反則だ。


「何が食べたい?」
「あっ、俺新しくできたとこ行ってみたい!」
「了解」

 ハンドルを回して買ったばかりの新車を発進させる。本当は少し寄り道をしようと思ってたのだが、緑川の腹の虫がそれを許してくれそうにないので真っすぐに店へと向かう。まあ帰り道にでも悪いことはないし。

 新しくできた店は二つ目の交差点を曲がって少し行った角のところにある。まだ車の多いところを走るのは怖いところもあるけど、緑川のためなら頑張るさ。たとえ道に迷おうとも!

「おいヒロト、どこだよここ!」
「交差点なんてあったっけ?」
「あったよ馬鹿! 言ったじゃん俺…集中しすぎなんだよヒロトは!」
「それはありがとう」
「褒めてないってば!」

 先程の甘い雰囲気は一転、車内は緑川の俺を叱る声に包まれた。話しながらもどんどん知らない道に突き進んで行く俺を制し、ブレーキを踏ませ一先ず車を止まらせた緑川は伸びをして「Uターン」と呟いた。言われるがままに車体を回転させた俺は突然鳴り止んだ緑川の声に驚くばかりだった。

「……右」

 Uターンした後に目を閉じたまま緑川が言った。「へ?」思わず間抜けな声で聞き返すと、「右に曲がって」と少し言葉を足してもう一度言った。言葉のままに車を動かす。分かれ道や交差点になると緑川が「右」やら「左」やら、一言だが指示をだしてくる。しかし緑川は地図など持っていなかった。けれど今は相変わらず目を瞑ったままの緑川が出す指示に従うほかなかった。



「着い……た?」

 気がつけば俺達は目的の場所にたどり着いていた。こぢんまりとした大きさ、白い外壁に、店名が書かれた黒い看板がかかっている。間違いなく緑川が言っていた店だ。

 緑川はすでに車から降りて、早く早くと店の入口あたりで俺を呼んでいるのが見えた。車のキーを抜きとって緑川のもとへと急いだ。

「っねえ、緑川」
「なに?」
「ここまでの道、なんで知ってたの」
「んーん、知らないよ」

 ふるふると首を横に振って一言。

「勘だよ」

 そう言って店名へ入っていってしまった。カランカランと軽やかな鈴の音が鳴って、中からはいらっしゃいませ、という声が聞こえた。俺はその場に立ち尽くしたまま、頭の中は一つの概念で埋め尽くされていた。

 緑川って、なに。

― ― ―


 店にはふわりといい香が漂っていた。白を基調とし、観葉植物やクロスなどで綺麗に装飾された店内は、高級な雰囲気を醸しだしつつもどこか安心できる雰囲気もあった。

 店員に案内され、奥から2番目のテーブル席についた。メニューが手渡されると緑川は早速開いて内容を吟味し始めた。俺も続いてメニューを開く。

 しばらくして決まったメニューは、簡単に言えば緑川がハンバーグ、俺がパスタだ。緑川に言わせれば「パスタなんかで腹が膨れるのか?」だが問題ない。俺は緑川に比べれば少食だから足りるんだ。そう言ってやれば「うっそだあ」と心底驚いた顔を見せた。

 そうだね、お前と比べた俺が悪かったよ!

― ― ―


「おいしかったねー」
「ああ、また来ようね」

 美味しい料理にすっかり満足したのか緑川は肌をつやつやとさせている。本当に美味しかったのかは解らないけど。5分とせずに食べきってしまっていたし。

 車に乗り込んでとりあえずエンジンをかける。となりでは緑川が「あの野菜がー」とかをにこにこしながら話している。どうやらきちんと味はわかっていたらしい。

「少し寄りたいところがあるんだけど」そう言ってみると緑川はいいよ、と快く返事をしてくれた。

 目的の場所は最初に行こうと思っていた景色のいい丘だ。ここからだと少し時間はかかるだろうけど、することはしたし、ゆっくり行けばいいだろう。

― ― ―


「緑川ー、着いたよ」

 辺りはすっかり暗くなり、俺達を照らすものは月の光だけになった。雲はなく、影がくっきりと地面に映し出されている。

「……緑川?」

 なかなか降りてこない緑川に心配になりドアを開けた。

「あ、……」

 寝てた。とても気持ち良さそうに眠っていた。こんなに綺麗なのにもったいないなあ。

 くすりと笑って、顔にかかった髪の毛をはらう。月明かりが淡く緑川を照らし。聞こえる寝息のリズムを崩さぬよう、静かに車を発進させた。



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8888hitキリリクです!瑛ちゃんに捧げます(´▽`)

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