稲妻 | ナノ
※かみさまパロ(?)
ある日を初めとして、俺の最近の日課は神社参りだ。別に何というわけでもなく、ただ、まぁなんとなく。
実を言うと俺は昔お寺や神社といった類の場所が大嫌いだった。時折聞こえてくるお経の声や木魚の音がこわくて、なんだか行く気になれなかった。しかしあるとき見つけたこの神社。見つけた途端に俺は吸い込まれるようにこのお寺に入った。そのお寺がなんだか不思議と落ち着く雰囲気を纏っていて、以来毎日といってもおかしくないようなペースでこの神社を訪れている。
今日も予定通り神社に来ることができた。きちんと手を洗ってから、賽銭箱の前に立つ。ぱんぱん、と手を叩いて、一礼。見よう見真似で覚えた作法、それが間違っているとしてもお参りしてるのには変わりないだろ?
お参りを済ませ、いつも座っている場所に座って買ったばかりの温かい缶のココアを開けた。ふんわりと甘い匂いが香って、思わず笑みが零れた。かっこよく缶コーヒーでもいいかもしれないけど、俺苦いの苦手だし。冷えた手を温めるココアは、まだ買ったばかりなので熱い。舌を火傷しないようにふぅ、と冷ましながらゆっくりと口に含んだ。柔らかい甘さが口のなかに広がる。あー、幸せ!
「ねえ」
誰かに声をかけられた。反射的に後ろを振り向くが、誰もいない。あれ? 勘違いかな。
「ねえ。……緑川リュウジ」
勘違い…じゃないみたいだな。名前呼ばれたし。誰が、どこから声を…。
「上だよ」
ばっ、と上を向くとそこには綺麗な白い衣装を身に纏い、赤い髪をしたおそらく年上――20歳くらい?――の男性が、重力の掟に逆らって、宙に浮いていた。誰こいつ。
「……誰ですか」
「緑川リュウジだろ?」
「あ、うん、そうだけど」
質問に答えて欲しい。
「かみさま、だよ」
その男は自らの事を『かみさま』と名乗った。不信極まりないの、だが…。
「そうなんですか」
思わず肯定してしまった。その言葉を聞いてかみさまは「そう」と言い、それからくるんとその場で一回転。ところでこのかみさまは何のかみさまなのだろうか。ふとそう思って尋ねると、かみさまは
「恋愛成就だよ」
と答えた。このかみさまは恐らくここの神社のかみさまなので、俺は毎日恋愛成就の神社にお参りしてたわけだ。成就もなにも好きな人すらいないのに。なにしてたんだろう、俺。そんな事を考えているのを聡ったのか、かみさまは冗談だよ、と笑った。
「なら、一体何のかみさまなんですか…」
「ん? ひみつ」
意味がわからない。ひみつにする必要なんてあるのか、かみさまなのに。かみさまだからひみつにするのか?
目の前にいる、よくわからないかみさまをじっと見つめてみると、かみさまはまたにっこりと笑って「どうしたの?」と聞いてきた。いや、どうもしてないです。
どうも変な気分になって、かみさまを見ることもできずに俯いた。足元に小さなアリの行列ができている。どうやらポケットに入れていたクッキーのカスが零れたらしい。せっせと働くアリの姿を眺めていると、不意に声をかけられた。
「ねえ、緑川リュウジ。君最近毎日来てくれてるよね」
「はあ」
「何かあるの?」
何かあるのか、と聞かれたら困る。俺にだって毎日参拝している意味がわからないのだから。ただ、何となく居心地がいいだけで。しかし何も言わないのは失礼なので、それを伝えた。適当な嘘をつけばよかったかとも思ったが、なにしろ俺は嘘が苦手だった。友人が言うには、嘘をついても顔に出てしまうらしい。あ、あと目が無駄に泳ぐとか。「願いは別にないです」とは言わなかったのがせめてもの気遣いだ。
「そう? ……それでもいいんだ。居心地だって良くないとね」
あんな理由だったのに、かみさまがあまりに嬉しそうに言うので、なんだか少し俺も嬉しくなった。それと同時に何だかいたたまれなくもなった。
「ところで緑川リュウジ」
「……はい」
「取り憑いてもいいかな」
なんてこったい。
ところで、って…話変わりすぎだろ。ていうか、かみさまが人に取り憑くなんて聞いたことないんだけど。幽霊やらなんやらが取り憑いたとかなんとかは聞いたことあるけど、無いって……かみさまは無い!
「かみさまって人に取り憑けるんですか」
「だってかみさまだよ」
「納得できませんけど!?」
ていうか、かみさまが自分の住家を放ったらかしにしていいのか。他にも参拝に来る人は居るはずなのに。俺なんかも参拝客だけど目的なんかさらさらなかったから、どうせなら他の人に取り付いたらいいのに。
「神社、放ったらかしにしてもいいんですか」
「ああその事か。それなら大丈夫…じゃないけど大丈夫だよ。あと二人、かみさまはいるから」
「ふたり?」
「赤いのと白いのがいるんだ、俺よりちょっぴりランクは下だけど、それでも立派なかみさまだよ。まぁ俺のランクが高いし、それを基準にしてるからあの二人も相当ってことだよ」
あれ? 神社に三人もかみさまが居ていいのか。そして神社のかみさまがこんなに適当でいいのか。しかも大丈夫じゃないって言いかけたよな。
「なんで俺なんですか。他にも参拝客は居るでしょう?」
「……ああ、まあ、居るっちゃ居るんだけど。君は毎日毎日来てくれたじゃない。大した用もないのに」
…なあんだ、ばれてたのか。かみさまは人の願いが視えるらしい。まあ見れないとかみさまなんて、やっていけないのだけれど。願いを叶えるかみさまなのに願いがわからなかったら意味がないしね。
「でさ、用もないのになんで毎日来るのかなあーっ、て。気になってるうちに興味っていうのかな。それが湧いちゃったんだよね」
「はあ」
よくわからないけれど、俺はどうやらこのかみさまに好かれてしまったらしい。いや、何もないくせに神社に来るやつに興味が湧かないって言うのもなんだか変な気がするけれど。興味が湧いたからって取り憑くものなのかな、かみさまって。
……うん、俺も興味湧いたかも。
「迷惑かけないで下さいね」
「え、いいの…本当に?」
「迷惑かけないで下さいね」
「二回言っ……ありがとう。君はやっぱり優しい人だったんだ!」
かみさまが憑いてるなら安心だし、かみさまがどんなものか見てみたいからね。かみさまはもう一度ありがとう、と言って俺の首に抱き着いた。え? 抱き着…。
「触れんの!?」
今日一番の張った声を上げた。だってかみさまって幽霊みたいにふわふわしてて、触ろうとするとスルッて通り抜けちゃうような、そんなイメージだったから! え、触れんの?
「俺は触りたいと思ったら触れるし、触りたくないと思ったら触らないってこともできるよ」
「……そうなんですか」
苦笑いで盛大なため息を吐き出すと、なんだか肩の力が抜けた。飲みかけだったココアは既にすっかり冷めてしまっている。あーあ、もったいない。
「家ついて行っていい? 本当にいいの?」
「うん、大丈夫だから、離れてください」
渋々というふうに離れたかみさまは、ふと俺の手元に視線をやった。すると、かみさまはするりと腕まくりをして、ココアを両手で優しく包みこんだ。ぱぁっ、と暖かい光が小さく見えた気がした。
「え」
なに、今の。
ふわりと笑ったかみさまは「はい、元通り」と言って細く綺麗な指で俺の手元を指指す。指先に感じた温もりに気づく。
「……おお、家電要らず」
なんとも色気のない感想が口から思わず出てしまった。かみさまも「ははっ、何その色気のない感想」と言った。もっともである。冷めきってしまっていたココアはかみさまの手によって温められた。とくに何をしたかは聞かない、だってかみさまだから。(なんで納得したのかは俺にだってわからないけど、こんなもの披露されちゃったら信じる他ないじゃないか)
「あっ、ていうか。そろそろ帰るんだけど、本当に来るの?」
「え?」
もちろんじゃない、と当たり前のように言った後、かみさまは「行こうか」と続けた。かみさまはいくらかご機嫌なようで(普段の調子は知らないが)体に纏った帯のようなものをぱたぱたとはためかせている。
本当に来るのか。一応覚悟を決めたとはいえ、かみさまを家に連れて帰るのには緊張する。かみさまって何を食べるのだろうか。そんなことを考えながらゆっくりと、所々朱色の禿げた鳥居を潜った。
「いだっ」
後ろからかみさまの短く呻く声が聞こえた。いだっ、って…「痛っ」? かみさま、頭でも打ったのか。案外抜けてんのな…かみさまって。振り返ると、痛みに苦しむかみさまがいた。え? なに、そんなに痛かったの。
「かみさま…?」
「ごめん…俺取り憑けないみたい」
「?」
頭を押さえながらうずくまっているかみさまが身に纏う帯は感情に比例するのかしんなりとうなだれている。
「けっ…結界がね、張ってあったんだ」
「けっかい?」
かみさまは痛みに涙を浮かべながらゆっくりと話し出した。
「そう、結界。多分赤いほう…南雲がやったんだろうな。俺がここから出ないように。ほら、俺放浪癖あるからさあ。普段の態度が祟っちゃった…みたいな」
「……」
「……ごめんね」
「……うん」
放浪癖って…お前…。呆れの意味を込めたため息を盛大に吐いた。なんだ、それ。馬鹿じゃないの?
「じゃあ俺帰っていいの?」
既に空はオレンジ色、腕に嵌めた時計を見れば午後5時を指していた。そろそろ肌寒い時間である。
「うん」
寂しそうにひっそりと呟いたのが聞こえて、俺はくるりと背を向けて階段を降りはじめる。少し寂しいような気もしたが仕方ない。だって、けっかいとかなんか分からないし。
かみさまに温めてもらったココアをすすりこんだ。初めに飲んだときと同じ甘さが口の中に広がった。
「ねえ! リュウジっ…」
半分ほど降りたところで、鳥居の上からかみさまが呼ぶのが背中から聞こえた。何で乗ってんだ。
「また…来てくれるんだよね。こんなに話したあとだし、もう来てくれないとかになったら寂しいんだけど。女々しいようで、ごめんね」
かみさまは遠いはずなのに、声自体は目の前で話されているような距離感で聞こえた。これもかみさまの力なのか? しかし生憎俺はそんな力は持っていないので、ちゃんと声が届くように大きく息を吸った。
「当たり前だろ。毎日来るのが日課なのにいきなり止めるとか、俺が許せないっ!」
遠くでよく見えなかったけど、今日一番の笑顔だったことは確かだった。