稲妻 | ナノ
※南雲目線
※ヒロトが異常
狂人を見た。
否、見た…というより体験したというほうが妥当だろうか。とにかく異常だと思った。ヒロトは、狂っているのだろうか。
おそらくあいつの頭な中では『緑川』という存在が絶対的な位置にあるのだろう。いつだって見るたびに緑川にくっついていたり、緑川のためだなんだと言って動いていたりする。しかしそれならばまだ良いほうだ。緑川は昔から虫が苦手なようで、今でもトイレや風呂、部屋なんかに蜘蛛やらなんやらの虫が出るたびに「虫が出た!」と叫びながら俺らの所へ走って来たりする。俺や風介は「男なんだから自分でどうにかしなよ」とか「放っておけばいいじゃねえか」などと突き放すのだが、ヒロトだけは違った。
「どこにいるの?」
どこにいる、とは虫のことだ。緑川がそれに答えると「ちょっと待っててね」と言われた場所へ一目散に走っていく。そして数分して帰ってくると、決まって「もうやっつけたよ、大丈夫だからね」と言うのだ。初めの頃こそきょとんとしていた緑川だが、最近はといえば、ヒロトって優しいね、などと花を飛ばしている始末である。ヒロトが行っている退治方法も知らずに。俺は一度だけ見たことがある。口に出すのも悍ましいほどに、実に酷い退治の仕方だった。ヒロトが狂っているのでは、と思い始めたのは調度この時だったと思う。
ヒロトが狂っているという予想が(自分のなかで)確定となったのは一つの事件からである。
緑川と本当に些細な事で喧嘩をしてしまった。たしか緑川のアイスを俺が食ってしまったとかそんなことだった筈だ。正直こんなことはしょっちゅうで、食べるのが俺か緑川かどっちかで折れる方が変わるくらいだ。一日経てば仲直りできる程度なので、その時も喋ることはせずに、お互い部屋に篭っていた。その中で、起こらなくてもよいアクションが一つ起きてしまったのだ。緑川がヒロトに相談を持ち掛けたらしい。その所為で俺は恐ろしい体験をすることになったのだ。時間は十日程遡る。
― ― ―
俺はふて腐れてベッドに俯せ寝転がっていた。誰も部屋に入ってこないようにとドアには鍵をかけて。アイスを食べてしまったのは不可抗力なのだ。緑川が俺と同じアイスなんて買ってくるから。あとからちゃんと同じやつを買ってやったっていうのに緑川がいつまでたってもブーブー煩い所為だ。
そんなことを考えていると、カチャンと鍵が下ろされる音が静かに聞こえた。あれ、俺ちゃんと鍵閉めたはず…だよな。
「晴矢」
ヒロトの声が、確かに響いたのだ。にっこりと貼付けたような笑みを浮かべている。開け放したドアから差し込む蛍光灯の光に後方から照らされたヒロトは電気を消した暗い部屋から見ると酷く不気味だ。
「ヒロ…ト…?」
目を凝らして見ればヒロトの手元には鋭く光る長い…包丁? いや、ナイフか。でもなんで…。
「ヒロ…」
「ねえ晴矢、緑川と喧嘩したんでしょ。緑川の話を聞く限り原因は君だよね。緑川のアイス食べちゃったんでしょ。仕方ないよね、だって同じ種類で同じ味のアイスだったんだもんね。間違えても仕方ないよね。でもなんで喧嘩になっちゃうの。謝れば済むことだっただろう? なんで謝らなかったの、緑川はもう晴矢のことなんかキライだって」
ヒロトは途中で制止や返事を入れたにも関わらず、そんなもの聞くそぶりも見せずまくし立てるように一息に喋った。相変わらずの感情のない笑みのまま、感情は悟らせまいとしているようだ。しかしヒロトのなかに少しだけ感情が見えた。
怒 り 。
感情が大きすぎて溢れ出てしまったようだ。冷たい空気が流れた気がした。
――ヤバイ、逃げよう。
しかし気づいたときには既に手遅れだった。ヒロトが俺に馬乗りになるように押し倒したのだ。ドアはやはり開けっ放しで、光に反射してナイフがきらりと不気味に光った。ひゅ、と細い空気が流れたと思えばヒロトが大きく腕を振りかぶっていた。無論、ナイフを持った方の腕である。
「緑川がきらいだって言うものは俺もきらい。―――要らないんだよ」
ヒロトの笑みが更に冷たくなった。
ナイフが振り下ろされる様子がやけにゆっくりと見えた。声を出そうとしても喉の奥がきゅ、と締まってしまっていて声が出せない。お日様園からの記憶が頭の中を駆け巡った。ああ、これが走馬灯―――。
― ― ―
そこで俺の記憶は途切れてしまっている。しかしこうして思い出すことが出来ているということは命に関わることはされなかったのだろう。多分。もしかしたら刺されたかもしれないし、たまたま急所を外れたかもしれない。ただ俺は、今こうして生きていれることを奇跡だと信じて疑わない。それほどまでの殺気を、その時のヒロトは纏っていたのだ。
こんな愛の形はどうですか
(これだって立派な愛だよ?)
…………………………
サイコパスヒロトを目指して撃沈。意味を履き違えた感が拭えない…