稲妻 | ナノ
「……何度言ったら分かるんだ!」
ここは稲妻学園中等部第二学年B組。現在廊下に響いている声は言わずもがなその教室からのものである。
現在、稲妻学園は文化祭シーズン真っ只中におり、各教室は放課後だというのに合唱コンクールに向けての練習準備に忙しく動き回っている。毎年出店やイベント等を押しのけ、メインイベントとなりつつある合唱コンクールは、各教室ともその状況に相応しい程に手の込んだものを用意している。例えば一昨年とそのまた一年前は、合唱の綺麗さはさることながら五分にも満たない発表時間のなかで、セットをステージに持ち込み歌ったクラスがあった。ほかにもステージ正面の二階から、照明を駆使し綺麗にステージを彩ったクラスもあった。やがてそれは伝統となりつつあり、現在はそれを受け継ごうと頑張っているクラスがほとんどである。そしてB組も例に溢れず、その「ほとんど」のなかに入っている。
だがしかし皆が皆、その気持ちを持っているわけがないのだ。
「…なんで俺がんなことしなきゃなんねえんだよ」
教卓にどかりと座りそう不満を漏らすのは、孤高の反逆児とも称される不動明生である。周りとは違う独特の雰囲気を持った彼はやはりクラスではすこし浮いていた。その不動を仲間に入れて、“心をひとつにして歌おう”としているのだ。甚だ無理な話なのである。
「不動。皆で一緒に歌わなきゃ駄目だろ? 皆頑張ってるんだからさ。伴奏の子だって困ってる」
「ッたく、鬼道ちゃんも円堂も面倒くせえんだよ。この俺がお前らの言うことに従うとでも思ってんのか?」
挑発的な目で見下す様は、さながら女王様のようであった。言葉がつまってしまった円堂達を一瞥して、ふふんと鼻で笑った不動はそのまま教室から出ていってしまった。ぴしゃんと音を立てて閉まる扉を見つめながら、円堂達の間には沈黙が続いた。
「……不動」
一番に沈黙を破ったのは円堂だった。一瞬で円堂のもとへと視線が集まる。
「不動くんは、子供だなあ」
円堂に続いてヒロトが話し出す。まったく大人な意見である。おそらくこのクラスで一番大人なのはヒロトであろう。きっとクラスでアンケートをとったとしても満場一致でそれに落ち着くのではなかろうか。
二人が話したことで沈黙が解け、教室内は少しずつざわつき始めた。歌いすぎで喉が痛い、暑い、不動がどうしただのと思い思いに喋り始めるクラスメイトのなかで一人だけ一言も喋らない者がいた。
鬼道有人だ。
一人俯いたままその場に立ち往生していた。ゴーグルの奥の瞳は果たして何を考えているのだろうか。如何せん目が隠れているので表情が読み取りにくく、何を考えているのかなどわかりえなかった。
「鬼道?」
様子の違う鬼道に気づいたのだろう、円堂が声をかけた。下を向いた鬼道を覗き込むようにして、心配そうな顔で見ている。
「どうしたんだ?」
「いや。…すまない、少し用事を思い出した。練習は続けておいてくれ」
「え? …ああ」
鬼道はそれだけ言って教室から出て行ってしまった。きょとんとするクラスメイトたちの中で、ただ一人円堂だけは何なのかわかりきっていた。いってらっしゃい、笑顔で小さく呟いて練習再開の声をかけた。
― ― ―
「っはぁ……はっ…」
鬼道は走っていた。
校内からはだんだんと人が減り、先程までは騒がしい声に隠されていた廊下を走る鬼道の足音がよく響くようになった。
クラスひとつ減っただけでこの静さとは、……D組は余程五月蝿かったんだな。
そんなことを考えつつ、しかしやはり鬼道は走っていた。目的はひとつ。不動を見つけることである。
二年の教室がある一階、その上の二階は既に回った。入れ違いになっていないことを前提として、あと居るとすれば…。
「屋上か、図書室だな」
図書室は不動が睡眠場所として使っていることを知っている。本を読むことはそこまで好きではないが、本のにおいは好きなのだと鬼道は聞いていた。屋上も図書室と同じく不動の睡眠場所だ。
さて、……どちらから行こうか。
効率を考えればここから近い図書室から屋上へ行くほうが良いのだが、確率を考えれば屋上のほうが良い。
鬼道は散々悩んだ末に、確率の高い屋上へ行くことにした。決めた理由などたかがしれている。勘だ。
― ― ―
不動は屋上にいた。先程の女王様はどこへやら。秋風に柔らかそうな髪を靡かせながら、フェンスに背中を凭れ膝を抱えていた。
近づき、肩でも叩いてやろうと思ったそのとき。
「…誰だ」
気配に気づいたと思われる不動が、口を開いた。
「俺だ」
鬼道は不動の声にそれだけ答えてその場で足を止める。ゆっくりと不動の頭が持ち上がり、翠色の目とまっすぐに対向した。
「ッはは、なんだ鬼道ちゃんかよ。なんだよ、説教か? そんなんなら帰れよ。聞く気ねえし」
不動の後ろのフェンスがかしゃんと揺れた。
「そんなんじゃない」
「じゃあなんだよ」
「何故歌わないんだ?」
なんだよ結局説教じゃん。不動の頭が再び下がる。そしてそのまま「俺歌下手だし」そう答えた。
しかしそんな答えでは納得がいかなかった。鬼道は一度だけ、本当に一度だけだが不動の歌声を聞いたことがあったのだ。冗談にも下手とは言えなかった。歌は得意でない鬼道にとっては少し癪だがお世辞抜きで、本当に上手かったのだ。
「…嘘をつけ」
「はぁ?」
言葉の意味を理解しきれなかった不動は素っ頓狂な声をあげたあと、「とにかく俺は歌わねえからな」と釘を刺した。
話に区切りがついて行き場の無くなった鬼道がうろたえていると、不動が不意にため息を吐いた。
「……不動?」
「なんで俺はあんな言い方しかできねえんだろうな」
不動の言う“あんな言い方”が指すものは先程の教室での発言だと気づいたのは二秒ほど経ってからだった。
「…知らん」
「んだよ鬼道ちゃん、ここまで来たくせに冷てえなあ」
不動が自嘲気味に笑う。不動も不動なりに反省をしていたのだ、鬼道が次の言葉をかけようとしたときには不動は立ち上がっていた。
「…あーあ、鬼道ちゃんに言うんじゃなかったかな」
秋空をバックに見る不動の笑顔にはいつものような邪気はなく、秋空と同じようにすっきりとしていた。
「…そうかもな」
∴小さく咲いた紫君子蘭