稲妻 | ナノ




※綱海さんの過去少し捏造




 綱海さんのこんなに嫌そうな顔を見たのは俺が初めてなんじゃないか、と思った。それほどまでに綱海さんの顔は歪んでいたのだ。涙でぐちゃぐちゃになった顔は綱海さんにはやはり似合わない。

「綱海、さん」

 ぽそりと呟いて綱海さんの濡れた頬を指で拭った。きれいなピンク色の髪の毛が額や頬に張り付いているのを剥がすように撫でていく。

「……やめ、ろよっ…」
「っ……、すみません」

 ひくひくと肩を震わせて泣いて、息苦しいのか呼吸のリズムが崩れている。ああ、ああ。罪悪感に苛われる。俺が、俺の、所為で綱海さんが。

「いまはっ……顔も、見たくねえ」

 つきんと心に刺さった。綱海さんの言葉は、ストレートで直接心にくる。そしてそれ以上に、綱海さんの言葉は俺にとって一番の影響力を持つ。じわりと涙で世界が滲む。その涙が零れる前に綱海さんの前から去らなければ。今泣いていいのは、綱海さんだけなのだ。

「……ごめんなさい」

 それだけ言って部屋から出た。ガチャ、扉を閉める音は小さな音だったがやたらと大きく聞こえた。途端に足の力が抜けてずるずると扉に背中を預けたまま座り込む。

「……あーあ」

 綱海さんが泣いている理由。……俺が綱海さんにキスをしたのだ。流石にそれ以上のことはしなかったけれど。

 時間は少しだけ遡る。

― ― ―


「立向居、いいか?」

 いいか、と言うのはおそらく「部屋に入ってもいいか」というのであろう。いいですよと言えばゆっくりと扉を開けて静かに入ってきた。

「どうしたんですか、綱海さっ……」

 机に向いていた体を扉のほうへ向けた途端に目一杯にピンク色が飛び込んできた。綱海さんが首に抱き着いて来た、と気づいたのはまたその数秒後のことである。

「つっつっつっ綱海さ!?」
「立向居いいっ」

 ど、どどうしたんですか! と吃りながらも聞いてみる。聞けば「また今日シュートチャンスあったのに外しちまった」ということらしい。どうやら綱海さんは最近やたらと不調らしく、今までも何度かこのようなことがあったとか。

「立向居……悔しい……」
「……はい」

 こういう時に綱海さんに頼ってもらえるのは、やっぱり俺たちが恋人同士という特別な間柄だからだろう。綱海さんにはいつも頼ってばかりだから、頼ってもらえるのはすごく嬉しい。

 不意にぎゅう、と綱海さんが腕に力を込めた。当然のことながら部屋にはクーラーなんてなくて、綱海さんが抱き着いている所為で大分暑い。でも今はそんなことを言える場面ではなくて、というか俺には綱海さんがいるだけでこの暑さすらも心地好いとか、は尚更言えるわけなくて。俺はただ宥めるように綱海さんの広い背中を撫でることしかできなかった。

「たちむか……」
「悔しいです」
「? なんで立向居、が」

 こんなにも恋人が苦しんでいるのに、何も出来ない自分が悔しいです。なんてことは言わずに苦笑いで答える。そんなことを言って更に困らせちゃったら、それこそ恋人失格になってしまう。

 俺の肩が涙でじんわりと濡れてきた頃、暫く何も言わなかった綱海さんがぽつりと呟いた。

「ありがとな」

 それから一息置いて、いきなりだったのに付き合ってくれて、と続けた。俺のほうに向けた顔が可愛くて、そしてあまりにも近くて。それこそ唇と唇が当たってしまいそうなほどに。

 ちゅ、と思わずキスをしてしまった。

― ― ―


 思わずだ。本当に、思わずだった。
 綱海さんは、キスが嫌いなのだ。前に一度何故嫌いなのか聞いたことがある。キスをするときに目を閉じるのが嫌なのだと。近くにいるのにいないみたいで怖いのだと。そして、何より昔にあったことがトラウマになっているのだと。過去のことは詳しくは聞いていなかったけれど、嫌いだということは知っていた。俺は知っていた、知っていたのだ。

 扉の前に座りこんだまま、立てた膝に顔を埋める。

 はあ、とため息を吐けばじんわりと収まっていたはずの涙がまた滲んできた。悔し涙。生温い水が頬を伝って膝を濡らす。

 こんなの、素直に思ったことを伝えて困らせるほうが幾らかマシだったじゃないか。あああもう! ……いや、今更後悔しても遅いんだ。許してくれなくても、謝らな、うわっ。

「た、たちむかい…?」

 急に背もたれが無くなって、後ろにひっくり返りそうになる。なんとか重心を前にやって体勢を立て直した。見れば扉を少しだけ開けて、その間から綱海さんがちらりとこちらの様子を窺っている。

「……立向居」
「すみませんでした!」

 後に何か続けようとした綱海さんの声を遮った。

「……俺っ、綱海さんがキスするの嫌いだって知ってたのに! 俺、俺っ……恋人、失格ですよね……」
「立向居、」

 綱海さんの声が耳に低く響く。この時ばかりは、その声を怖いと思った。恐る恐るはい、と返事をする。

「……泣いてんのか」

 酷く心配そうな声で、そう言った。すみません、と目を擦る。そうだ、今泣いていいのは。

「立向居、謝りすぎだ。俺だって謝んなきゃなんねえ。顔も見たくねえなんて嘘だ。顔が見えなきゃ不安なんだ、立向居が居なきゃ、不安なんだ。だから、ごめん」

 初めて聞いた綱海さんの中の独占欲に驚いて、下げていた頭を上げた。綱海さんの頬には涙の跡が沢山残っている。それが至極痛々しくて、堪らなくなって手を伸ばしかけたが、先程のこともあって、あと少しというところで手を止めた。一応気を使ったのだが、綱海さんにはそれが不満だったようで、一瞬だけムっとした顔を見せる。

「触れよ」

 綱海さんは俺の手を掴んで自分の頬へとやった。

「立向居がこの跡拭いてくんなきゃ仲直りなんてしねえ。俺のこと、……泣かせてもいいけど拭いてくんなきゃ許さねえ」

 その声は断固としたもので、現在立場が下である俺には有無を言わせぬものだった。

「……勿論です。こんな顔二度と見たくありませんもん。もう泣かせるようなことはしません、約束です」

 ポケットに入っていた青色のはんかちで綱海さんの頬を拭う。うん、綱海さんはやっぱりこうでなくちゃ。

「じゃあ、仲直り、なっ」
「はい。仲直りです」

 既に俺達はいつものペースに戻っていて、綱海さんの笑顔も少しぎこちなさは残しつつも復活していた。

「……なあ立向居」
「はい」
「キ…。……ちゅうするときは、ちゃんと言ってくれよ。俺もそれなりの覚悟はもう出来たからよ」
「……はい」

 思わずぎゅう、と抱きしめた。綱海さんが俺のために頑張ろうとしてくれているんだ。俺も、頑張らなければ。

「はは、ちっせえ」
「余計なお世話ですよ。今に抜かしてみせますから」

 顔も見たくねえ、なんて。もう言わせませんからね!





…………………………
素敵企画たっつな!へ捧ぐ。

当初はバッドエンドの予定でしたが、やはりこの二人にはハッピーエンドのほうが似合うなと思い、急遽書き直しました。後悔はしていません。しかしお題を上手く使えなかったことは少し反省してます…ムム。てなわけでお粗末様でした!

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