短編 | ナノ


 近くのファストフード店で買ったバニラシェイクをすすりながら、白いハードカバーの小説を開く。半分まで読んだこの本は、昔好きだった人が書いた本だ。白い液体を口の中で少しずつ溶かしながら、彼によって優しく綴られた文章を眺める。

 隣のベンチでは3歳ほどの男の子とシェパードを連れた女性が、冬の軽やかな陽射しを受けて居眠りをしている。母親だろうか、姉だろうか。男の子はそんな女性の横におとなしく座り、にこにこと大きな絵本を読んでいる。その足元ではシェパードがべたりとふせていて、時折通り掛かるサラリーマンやら主婦やらに吠えかかっては男の子に「こらシェリー、」と叱られている。

 目の前の噴水に目を移した。噴き上がる水はさあさあと光っておりとても綺麗だ。縁に座った若い男女は仲睦まじそうにくすくすと笑いながら弾む会話を楽しんでいる。微笑ましいな、と思った。きっと、目の前の二人がいまどきのちゃらちゃらと煩いカップルであれば私の中にそんな感情は浮かばなかっただろう。落ち着いた、清楚なカップルである。

「あら、ひどいにおいね。」

 私の前に、ふくよかな、買い物帰りと思しき中年の女性が立っていた。きっと私の足元に置いてあるキャリーバッグについての感想だろう。

「昨日、香水を瓶ごとこの上に零してしまったんです。きつい匂いのものでしたから、どうしてもとれなくって。」
「あらそうなの、大変だったでしょう。」
「……ええ、まあ。」

 でも慣れると良い香りね、鼻、麻痺しちゃったのかしら。そう笑って主婦はまたねと手を振って去っていった。彼女がえらく親しげに接してくるものだから、コミュニケーションの苦手な私はどうしても拙い返事しかできなかった。なんだか申し訳ない気持ちになりつつ彼女の背中を見送った。丸い背中が完全に見えなくなった後で、私は再び真っ白い本に視線を落とした。

 生温くなったバニラシェイクの容器にぷつぷつと水滴が浮いて、大きくなった滴がつつつと滑り落ちた。コートの襟を立てせっかちに歩くサラリーマン、砂糖が融けそうなほどに甘々な空気を漂わせながら駄弁るカップル、ベビーカーを押しながら足に纏わり付く子供の世話までこなす母親、きゃあきゃあ笑いながら走り回る子供達。ゆったりと、透明な冬の午後は過ぎてゆく。

「ふふっ。」

 私は穏やかに笑った。

 隣のベンチに座る親子も、目の前の男女も、肥えた主婦も、サラリーマンも、甘いカップルもベビーカーの母親も笑う子供達も。誰も知らない。私のキャリーバッグの中身を知らない。

 このキャリーバッグの中身が彼の右腕であることを、知らない。
 香水をキャリーバッグの上に零したのが故意的なものであることを知らない。

 目の前を通り過ぎた学ランの男の子が、蓋のあいたままのサイダーを落とした。男の子は落としたことに気づいていないようでそのまま去っていった。シュワりと零れたサイダーが私の足元に染み込んでゆく。

 ああ、この男の子も、

 私は静かに本を閉じて、残りのバニラシェイクを吸ってしまう。キャリーバッグのハンドルを伸ばし立ち上がる。

 さて次は何処へ行こうか。

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