静かな森の一角、少女一人がようやく立てるような小さな切り株の上で、桃は傍らの友人を見下ろした。
「じゃあ、始めるわよ」
「うん、」
まるで戦闘でも始めるかのような少女の真剣な表情に、切り株から少し離れた所に座った麗が、にこりと笑んで頷いて見せる。
そんな彼女と向かい合って、桃は知らず詰めていた息を吐いた。
赤いスカートの裾をつまんで小さく一礼。胸に手を当てて、大きく息を吸い込んで、
「――――、」
最初に喉を震わせて空気へと溶け出すその音は、いつだって一番緊張した。
おそるおそる出した音は空気に隠れて光るのをやめるし、かと云って、当てずっぽうに出した音は、空気を割ってその場を壊す。探る音は許されない。
慎重に、しかし狙い澄まして響かせた音は、きらきらと輝いて空気へと溶けた。
そのことに少しほっとしながら、桃は大きく喉をひらく。
自分と空気、そして世界が一体となったかのようなこの瞬間は、いつでも彼女の全てを惹きつけて止まない。
空へ、大地へ、そして草木へ、思いのままに歌のリボンを閃かせ、メロディを躍らせる。
きらきらとした旋律を溶かす、凛とした空気に、観客の満足そうな視線が心地好い。
大きく空へと投げた音が戻ってくる時に、ふと、自分の知らない音が重なった。
驚いて歌いながら声のする方を振り返ると、幼い小鳥を抱えた仲間の姿。
続けて、というように優しく目を細められ、戸惑いつつも音を響かせると、にこりと笑んだメイが、紡ぐ音をしっかりとしたものに変える。
桃の歌が鮮やかなリボンであれば、彼の音はさながらリボンを運ぶ風のようであった。
桃が響かせるメロディに優しく、時にしっかりと包み込むような彼のハミングが重なり、新しく創りだされる音楽がおもしろい、
興奮のままにテンポを変えても、彼はしっかりとついてきてくれた。
思いのままに音を操る二人の声に、もう一つ、微かな声が重なる。
見れば、食い入るように桃の口元を見つめるユキの唇が、桃の歌を小さくなぞって動いていた。
拙い音は未だ上手いとは云い難かったが、不思議と邪魔には感じなかった。
何よりも、必死に此方を見つめる視線は嫌いではない。
やがて、大きく空へと響かせた音が、歌の終わりを告げる。
拍手の音に閉じていた瞳を開けば、麗と、いつの間にか来ていたらしい響の満足そうな表情が視界に映った。
目線をずらせば、此方を見ていたメイと視線が合う。
「すばらしい歌だったよ」
「ありがとう」
素直に賞賛の言葉を紡ぐ彼の表情も、麗や響、そして自分と同じように、満ち足りたような笑顔であった。そのことが何よりも嬉しく、そして誇らしい。
「また一緒に歌ってもいいわよ」
「歌姫にそう云ってもらえるなんて、光栄だね」
桃が差し出した小さな右手を、一回り大きなメイの手が握る。
切り株のおかげでいつもより少し近くにある彼の焦げ茶の瞳に嬉しくなって、桃は弾むような足取りでその場を後にした。
さて今度は誰に聴いてもらおうかと考えながら歩く背中の方から、幼い鳥のせがむような声が聞こえた。
続いて、彼の得意の子守唄が、優しく耳に響いてくる。
ふと、ゆっくりと歩く桃の視界の端に、見慣れた仲間の姿が映った。
「灰牙?」
しっかりとした彼の足取りは、真っ直ぐにメイとユキのいる場所へと向かっている。
おそらくメイはまた、特別な客のために歌を紡ぐのだろう。
「しずくに聴いてもらおうかな、」
そのことを少し羨ましく感じながら、桃も次の客の待つ場所へと急いだ。
かさなるうた
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