今年も冬が近付いてきた。
とりわけこのシンオウ地方は寒さが厳しく、紅葉の残るこの季節とは云え、朝晩の寒さは身に堪える。
――ま、それでも旅はやめないんだよねぇ。
と、自慢の毛並みを綺麗に整えながら、銀は心の中で呟いた。
耳の先から尻尾の先まで丁寧に繕って、川面に姿を映してくるりと回る。
どこにも汚れの残らないことを確認して満足げに頷くと、彼は楽しそうに歩き出した。
暖をとる
case1.しずく
銀が宿地へと戻ると、そこではしずくが木の幹に凭れて座り、何枚かの書類を手に何やら考え込んでいるところであった。
その隣で彼女の手元を覗き込んでいたパチリスが、此方に気付いて顔を上げる。
「あ、銀おかえり」
それつられるように顔を上げたしずくに手招きされて近付くと、いそいそと首元に抱きつかれた。
その隙にとばかりに尻尾の間に潜り込んで来るチロルのことは、後ろ足で弾き出しておく。
「んー、銀っていっつも温かくて好きー」
それはどうも、と答える代わりに彼女の首に鼻先を押し当ててから、銀は自分の定位置、彼女の膝に前足を乗せて横たわった。
寝やすいようにと姿勢を変えたしずくがまた手元の書類に目を落とすのを確認して、小さく欠伸をする。
カサリと音をたてて捲られる書類は、おそらく近くの街で行われる大会関係のものだ。
大規模な……とはいかないまでもそれなりに名の知れた大会で、この前知り合ったトレーナーも参加するとあって、しずくも参加に意欲的であった。
もちろん、銀とて参加に異論は無い。
いつの間にやらまたチロルが尻尾に潜り込んでもぞもぞと動いていたが、折角探し当てた寝心地の良い位置を手放してまで退けるには至らず、そのままにする。
彼なら紫音や雷と違い、静電気に悩まされることもそうないであろう。
折角整えた毛並みを乱すようなことがあれば、その後のことはその時に考えればいいことだ。
静かな森にしずくの動かすペンの音と、葉が風に散らされ舞う音だけが、子守唄のように響いて耳へと届く。
やがて大人しくなったチロルの欠伸につられるようにもう一度欠伸をすると、銀はうっとりと瞳を閉じた。
case2.静華
近くの街のセンターまで書類を出しに行ったしずくを見送って、銀はまた宿地を離れて歩き出した。
チロルと銅、氷牙は彼女と一緒に街へと向かったが、他のメンバーは未だこの森にいるはずである。
静かに流れる川に沿ってしばらく歩いていくと、ぽっかりと穴の空いたように樹木の少ない場所に出た。
その真ん中に陣取って、静華が岩に寄りかかるようにして座り込んでいる。
「……こんなところで何してるのさ」
「銀、」
近付いて背後から声を掛けると、此方の姿を確認してから、彼は穏やかな笑みを浮かべた。
「此処が一番あったかいから」
日光浴をしていたのだと云う彼につられて周りを見渡せば、成る程、遮る樹木の少ない分、僅かな太陽光が森の底まで届いている。
「寒いならボールにいればいいのに」
「折角晴れてるんだし、今のうちに昼寝しとこうと思って」
そう云いながら、彼はまた僅かに目を細めて丸くなった。
そういえば彼の背負う植物は日光を栄養としているのだったかと思い出しながら、彼の隣へと腰を下ろす。
自分には全くもって未知の感覚であるが、彼にとってはおそらく食事のようなものなのだろう。
太陽の光に暖められた地面は触れれば微かな熱を此方へと伝えるが、やはり吹きぬける風は肌に冷たい。
冬に咲く花の少ないことを思えば、彼が寒さを苦手とするのもわかるような気がした。
小さく肩を震わせる様子に、つい悪戯心が湧き上がってくるのは仕方のないことで。
「ほら静華、寒いなら此方においでよ」
「え、わっ」
座る彼の腕を引いて無理矢理に自分の懐へと抱き込むと、彼は慌てたような声を上げた。
「ほら大人しくして、……火傷したくはないでしょう?」
反射的に腕を突いて逃れようとする耳元に囁けば、一瞬動きを止めた後、不承不承抵抗をやめて大人しくなる。
その様子に満足して頭を撫でてやると、大きく溜め息を吐いた彼が力を抜いて身を預けてきた。
「……銀って冬になるとやたら元気だよね」
「そう? 老いた身に寒さは結構堪えるんだけどねぇ」
「嘘ばっかり、」
そう云って笑う彼が座りやすいようにと一度拘束する腕を緩めてやれば、ぎこちない動作で向きを変えて丸くなる。
いつもなら困ったように苦笑して身を引く彼が、この寒い季節だけは素直に身を委ねてくるのだから、銀は楽しくて仕方ない。
「ほんと、寒がりだよねぇ」
「銀はいつも温かいからね……」
羨ましいよ、と云いながら、やはりこの体勢は落ち着かないのだろう、しきりに位置を気にする様子に流石に少しいじめすぎたかと思い直して、銀はそっと腕を解いた。
途端あからさまに安堵の表情を見せられれば多少気に障りはするものの、他人の体温に慣れていない彼のことだから、おそらく他意は無いのだろう。
あの朴念仁の雷様がさっさとものにしてしまわないのが悪い、と本人を前にしては絶対に云えないようなことを心の中で呟きながら、その場にごろりと横になる。
「昼寝なら付き合わせてよ。さっき中途半端に寝たから眠くって」
「うん、どうぞ」
「ついでに枕とかあると嬉しいんだけど」
「はいはい……」
呆れたように笑う静華の膝を枕に目を閉じれば、遠慮がちな手のひらに髪を梳かれた。
そのぎこちない動作に思わず笑いがこぼれる。
何か云ってやろうと口を開きかけた瞬間、
「銀って温かくて毛布みたいだね」
欠伸まじりに云われた内容に、銀は大きく一度目を見開いた後、大袈裟に嘆息した。
よりにもよって、毛布だなんて、そんな。
「どうせ一緒に寝るなら褥の相手に例えられたかったんだけどね」
色気も何もあったものじゃあないとごねてみせれば、案の定、慌てた様子で言葉を重ねる。
「あ、ごめん、何て云うか、銀が温かいから、安心して寝れるって意味で……」
「……いいよ、もう。静華にそういう反応を期待したこっちが間違ってた」
勿論彼に手を出すつもりなど毛頭無いが、それでも安心して眠れる相手という認識は些か面白くないもので。
「ごめんね?」
申し訳なそうにそう云って此方を覗き込む静華を抱き込んで、抱きかかえる形で横になる。
「えっ、ちょっと、……銀っ!」
「毛布だっていうんならおとなしく巻かれておいでよ」
「だからそれは例えだって……!!」
「安心して眠れるんでしょう、」
もがいて逃れようとする静華を離すまいとばかりに抱き込んで、乾ききらない土の上をごろごろと転がる。
折角整えた毛並みは土に汚れてしまったが、また後で梳き直せばいい。
「銀!いい加減に……っ、……」
「……ほんと、可愛いねぇ静華は」
一度は腕から逃れたものの、寒さに負けたか再び懐に戻ってきた静華にしみじみとそう呟けば、ありがとう、というどうにも投げやりな返事が聞こえてきて思わず笑ってしまう。
そんな彼を腹の上に抱えたまま横たわっていると、澄み切った空からよく知った気配が近付いてきた。
「……何してんだ、お前ら」
「やぁ鉄」
寝転ぶ二人の脇に舞い降りたのは予想通り鉄の姿で、訝しげに眉を顰める彼に笑んでみせるのと、静華が勢いよく身を起こすのがほぼ同時。
それだけで何かを悟ったようにため息をついて、鉄はまた背中の大きな翼を羽ばたかせた。
「しずく帰ってきたから、集合な」
「はーい」
遠ざかる鉄の姿を見送りながら起き上がると、先に立ち上がっていた静華が憮然とした表情で此方を見ていた。
「……銀のせいで昼寝ができなかった」
「君が人のことを毛布扱いするからだよ」
眠れなかったのはお互い様だと返してやれば、未だ納得の行かない表情ではあれど、宿地に向かって歩き出す。
その背を追って自分も歩き出しながら、宿地に戻ったら真っ先に毛並みを整え直そうと心に決めた。
天気は晴天、快晴なれど、今しばらくは寒さに震える日が続きそう。
冬は、始まったばかりである。
***
サブタイトルは銀様の優雅な一日。
思い切り季節外してるのはご愛嬌。
090113