▽長文5題

(灰牙・メイ)



それは、そう、さして遠くもない夏の日のことだった。



「すごい!やっぱり上手なんだね」

青々と生い茂る森の中、川の流れで顔を洗って涼をとる。
ふと主人のはしゃいだ声が聞こえて其方へと足を向けると、つい最近進化したばかりの仲間がかしこまってお辞儀をしてみせたところであった。
一体何事かと近くにいた翠波に視線で問い掛ければ、歌だよ、という簡潔な答えが返ってくる。
そういえば此処へと来る間ずっと豊かな旋律が響いていたと思い返し、大方主人が彼に歌ってくれと頼み込んだのだろうと予測をつけた。
仲間の声など普段から聞きなれているはずなのに、歌として紡がれたそれと彼の姿が結び付かず、こうして教えられるまで気付くことができなかった。

「あ、おかえり灰牙」

此方に気付いたしずくの声に応えて其方を向けば、同じように此方を見ていた歌い手と視線があった。
すっかり同じくらいになった目線の高さに未だ違和感を覚えるのは仕方のないことであろう。
進化による容姿の変化は、当の本人よりも周りの方を戸惑わせるものらしい。
風になびく水色の髪を視界の端に捉えながら、改めてしずくの方へと向き直る。

「ねぇ、灰牙も聴かせてもらいなよ」

すっごく上手なんだから、と興奮を隠さずに話す様子に聴こえていたから、とは言い出すことができず、灰牙は何も云わずにその様子を見ていた彼へと視線を戻した。
歌い手はすぐにその視線に気付いて楽しそうに笑うと、大袈裟な動作で両手を広げる。

「それじゃあ、君のためにもう一曲」

一呼吸置いて奏でられ始めた曲は、高く低く囀られる色鮮やかな祀り歌。
最後の一音が微かな余韻を残して森へと溶け込んだ時、観客は自分のために歌われた曲に素直な賞賛の言葉を紡いだ。







――01.陽だまりの中で笑った君を、僕は今でも鮮明に覚えている


2009.03.16.