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【6】



 初夏の朝日に照らされる草花は青々としていて、咲き誇る花には働きものの虫たちがたくさん寄ってきている。
 所々に休憩用にと置かれた木製のベンチには、朝の散歩にやってきた人たちがポツポツと座っている。その中に、異質な人物がひとり。

「遠くから見てもあなただって分かりました」

 まるでタンポポ草原の中に、ポツリと真っ赤な薔薇が咲いているような違和感。俺が話しかけても、その人はこちらをチラとも見ずに真っ直ぐ前を向いている。そんなあまりに予想通りな反応に、俺は思わずくすりと笑ってしまった。
 そのままその人物の隣に、許可も取らず腰を下ろした。

「ここ、患者さんは立ち入り禁止なんですね。そのかわり、市民には解放されてるんだとか」

 俺たちがいま座る広場は、オメガ専門の病院内の一区画にある。しかしここに患者はおらず、主に見舞いにきた人が時間を潰す場所として設けられていて、近所の人たちの散歩コースとしても開放されている。
 見舞い人は同じオメガかベータのみとされているし、散歩に来ているのは高齢者が大多数。そんな中に、いかにもアルファである出立の彼───美原が座っていれば周りからの目を引いてしまうのも仕方なかった。

「体、もう大丈夫なんですか?」

 あの日から、一週間が経っていた。
 隣に座る美原の首には、痛々しく包帯が巻かれている。一週間前のあの時……もがき苦しみながら自らの手で掻きむしった傷だろう。
 彼は視線をそのままに漸く口を開く。

「あの時、お前は俺に『本当にカイリのことが好きならやめてくれ』と言ったね」

 美原の体に飛びつき叫んだことを思い出す。

「はい、言いました」
「俺にはそれが理解できない。オメガはアルファの所有物で、アルファはオメガを所有する者。そう物心がつく前から教えられ生きてきた。好きとか嫌いとかそんな感情はどうでもよくて、少しでもレベルの高いオメガを手に入れる。上位階級のアルファ一族には、それが世界の全てだ」

 なのに……、

「オメガに拒絶され、そのフェロモンに殺されかけただなんて笑い者もいいとこだ。俺は一族から、縁を切られるそうだ」
「……じゃあ、あなたはもう自由なんですね」

 俺がそう言った途端、今までずっと前に向けられていた視線が勢いよくこちらを向いた。

「ね、そういうことでしょう?」

 彼の瞳と視線が混じる。美原は俺の目を見つめ、ハッとしたように一瞬だけ瞠目した。しかしその表情をすぐにぐしゃりと歪め顔を逸らす。

「どうやったら、そんな能天気に育つんだ」
「まだ最近なんですよ、こんな考え方するようになったの」
「……カイリの影響、か」
「俺もほんとは、美原さんのことをとやかく言う資格なんてないんです」

 だって俺は、あの時。この人に天沢を奪われそうになったというのに、どこかで彼を諦めようとしていたのだ。

「美原さんが現れた時、俺は『無理だ、勝てない』って思いました。それも、あなたにカイリさんを諦めろと言われたあの瞬間まで、俺は彼の隣に立つことを迷ってた」

 ベータの自分では、いつかきっとアルファに彼の隣を奪われる未来が来ると怯えていた。でもそんな情けない想いしか抱けなかった俺のことを、彼は……カイリさんは自身の命を削って守ろうとしてくれた。

「俺は元々、第一の性では異性愛者です。第二の性では、自分の相手は同じベータだけだと思ってました」

 オメガもアルファも、自分には全く縁のない相手だと思っていた。だからこそバースマッチングサポートで働いている間も、間近で美男美女を見ても他人事でいられた。彼らに胸をときめかせたとしても、必ず壊れる未来しか築けない関係など繋いでも無駄だと思っていたからだ。
 俺はいつか同じベータの女性と付き合って、適当なところでありふれたプロポーズでもして結婚をして。その辺に溢れているありふれた式でもあげて、そのうち子供を授かって。そんな簡単に思いつく未来を描いていた。そんな未来を、疑いもしなかった。

「美原さんが言った通り、俺とカイリさんの付き合いは勢いだけで始まりました。だから戸惑いも多かった。なんせ彼は、俺を女のように扱ったから」

 車道側からずらしたり、人とすれ違う時は腰を抱いて自分に寄せたり。重い荷物は必ず持ってくれたし、デートの支払いは全部天沢が出してくれたり。数え出すとキリがないほど彼は俺を、女性を相手にするみたいに扱った。

「異性愛者なら、カイリのその行動は嫌じゃなかったのか。女のように扱われて、屈辱的じゃなかったのか」
「もちろん最初はビビりましたよ。俺を抱こうとするように体を触られた時は、心の底から怖いと思って……実際ちょっと泣きましたし」

 情けなく泣きべそをかいた自分を思い出して苦笑する。

「この人は俺を女の代わりにしようとしてるのかなって思いました。でも、すぐに気付いたんです。カイリさんは俺を女扱いしてるわけじゃない。ただただ、俺を大切にしてくれてるだけなんだって」

 天沢は、俺を宝物のように扱った。性別なんて関係なく、大事に大事に、決して傷をつけないように。愛しい愛しいと、甘すぎるほどの愛情を俺の全身に擦り込むように。

「カイリさんが全身全霊で俺に教えてくれたんです。ただひとりの人間として、誰かを大切にしようとする気持ちを」

 守られる立場であることの多いオメガでありながら、そんな性の種類など些細なものなのだと。それよりも優先すべきは己の心なのだと、その身をもって行動し教えてくれた。
 そこからは、転げ落ちるように天沢へと気持ちが傾いた。大切にされることに、戸惑いよりもむず痒さを覚えるようになった。
 唇を重ねるたびに、その先の肌の重ね合いを期待するようになった。例え本来の男という立場を覆され押し倒されたとしても、その身の奥をめちゃくちゃにされたとしても、それで良いと思えるほどに俺は────

「俺はもう迷いません。どれだけあなたに脅されても、俺はカイリさんの手を絶対に離さない」

 しっかりと、目の前のアルファの目を見て言う。もうこの視線は逸らさない、そう決めたのだ。

「それは俺に、宣戦布告したと受け取っていいわけ?」
「はい」
「勘当されたとはいえ、俺がアルファとしては上位階級であることは変わらないよ」
「そんなの関係ありません」

 美原も今度こそ、俺から目を逸らさなかった。そうして暫くの間無言で視線を絡ませていたかと思うと、ふっ、と見たことのない顔で美原が笑った。

「ひとりの人間として、か」
「……え?」
「お前に言わせれば、俺は“自由”なんだったね」
「え? あ……はい、?」
「いいな、面白そうだ。その喧嘩、高く買ってやるよ」

 そう言ったかと思うと美原は徐に立ち上がり、座ったままの俺の目の前に立った。そうしてポカンと彼を見上げる俺を、一等出来の良い顔で見下ろして。

「俺を自由にしたことを、心の底から後悔させてやる」
「え……」

 緩くウェーブのかかった艶のある黒髪が、俺の頬をくすぐった。



 
 シュー、と独特の音を立てた開閉音は静かだが無音ではない。病室に誰かが来て、そしてそれが誰なのか気づいているはずなのに、その人はこちらを向かずに少しだけ開けられた窓の外に視線を向けていた。
 壁に立てかけてあった折り畳みの椅子を、ベッド脇に置き腰を下ろす。ふわり、とカーテンが揺れた。空調で整えられた季節感の無い室温の中に、開いた窓から流れ込んだ風によって夏が少しだけ混ざり込んだ。

「……治らなければ良かったのに」

 視線を外に向けたまま、小さくぽつりと落とされた言葉。

「カイリさん」

 一時は危険な状態を迎えた天沢の体調も、この一週間でなんとか回復に向かい漸く今日、面会の許可が降りた。
 本来はアルファへの誘因性を持つはずのオメガフェロモンが、まさかそのアルファに有毒になるというフェロモン異常も、この数日で落ち着き元の性質に戻ったそうだ。だがそこはオメガである自分を厭う彼にとって、非常に複雑なものだったに違いない。

「お前のことまで巻き込んで、怪我をさせて。あのまま狂って、この体の中からオメガ性さえ消えてくれたら……俺はこの先も隼太にあんな、あんなみっともなくて格好悪い姿を見せずに済むのに───」
「少しもかっこわるくなんてないッ!」

 思わず椅子から立ち上がり天沢を抱きしめた。

「自分の身を挺して守ってくれる人の、一体どこがかっこ悪いんですか!? いつだって自分の性と闘ってきた人の、一体どこがカッコ悪いって言うんですか!!」
「その顔の怪我……俺は少しも、守れてなんていない」
「守ってくれました! 俺はっ、それこそ俺は……もっとカッコ悪くいて欲しかったっ! 美原さんの前から、俺を置いてでもすぐに逃げてほしかった!」
「そんなことできるはずが」
「分かってる!!」

 体を離し、間近で視線を絡ませる。みっともないのは俺の方だ。宝石のように綺麗な黄金の瞳の中に、情けなく眉を垂らし涙を零す自分がいた。

「そんなこと、できるはずのない人だから……そんな不器用な人だから……俺は、あなたを好きになったんだよ」

 俺を映す美しい瞳が大きく見開かれる。ぼろぼろ、ぼろぼろ。とめどなく瞳から溢れ出す想いが止められない。

「カッコ悪かったのは、俺の方だよ」

 己の自信のなさに負けて、ほんの少しでも彼の手を離そうと考えた弱い自分。きっと天沢は、そんな俺の心の揺れに気付いていた。それなのに彼は己の身の危険も顧みず、逃げ出すどころか身を挺して俺を守ろうとしてくれた。それこそ命懸けで守ってくれた。
 この一週間でなんとかフェロモンは元に戻ったが、本当に危ないところだったのだ。

「ごめんなさい……ごめんなさいカイリさん、俺はあの時まだ、あなたと同じ気持ちを持つことができてなかった」
「……いいんだ隼太、そんなの最初から分かってる。同じものを返してもらえないと分かっていて、それでも欲しくて手を伸ばしたのは俺だ」

 頬を濡らす涙を、大きな手が優しく拭ってくれる。だけど俺を映すその瞳はどこか諦めの色が混ざっているように思えて。

「お願いだから、そんな悲しいことを言わないで」
「ッ、」

 俺は奪うように彼にキスをした。俺から彼にキスをするのは、俺たちが付き合ってから初めてのことだった。
 重なった唇を一度少しだけ離して、そしてもう一度優しく触れる。だけどそれだけでは足りなくて、離れる瞬間に吸い上げる。ちゅく、と音をたて離れた瞬間にはもう寂しくて、切なくて、また涙が溢れた。

「好きだよ、俺はカイリさんが好き。今更信じてもらえないかもしれないけど、大好きなんだよ、誰にも渡したくない」

 この三ヶ月の間、俺の優柔不断な行動でどれだけ彼を傷つけてきたのだろうか。こんな諦めの色を瞳に纏わせるまで、俺は一体なにをしてきたのだろうか。
 今更こんな想いを伝えたところで手遅れかもしれない。でも、それでも、俺は彼に伝えなくてはいけなかった。今俺が、どれほど彼を愛しているのかを。

「ごめんなさいっ、カイリさんごめんなさい。お願い、俺を諦めたりしないで。俺から離れたりしないで、お願い、お願いカイリさん」
「隼太」

 呼ばれ、思わず息を呑む。静かなのに強い声だった。

「か、カイリさん……」
「俺は、オメガだ」
「うん」
「フェロモンも今まで通り。番を作らない限り、アルファは今後も寄ってくる」
「……うん」
「アルファの存在が、またお前に嫌な思いをさせると思う」

 でも、それでも。

「この先ずっと、俺の側にいてくれるか……?」

 やっと止まりかけていた涙がまた溢れた。

「性別なんて関係ないッ! 俺はずっと、ずっとカイリさんの側にいるッ!」

 言った瞬間、驚くほどの力で抱き寄せられ唇を奪われた。先程自分からした子供騙しのようなものとは全く違う、頭から喰われてしまうような感覚に落ちるそれ。

「ンっ、ぁっ、んん」

 縋るように彼の背中に腕を回す。抱きしめられた体はもう、ほとんど天沢の体に乗り上げていた。荒々しく口内を犯される感覚に背中を電流が駆け抜けた。
 ぶるりと身を震わせた俺を、天沢が蕩けるような甘さで見つめている。

「隼太、愛してる」

 その瞳の中からはもう、諦めの色は消え去っていた。

「俺も、あなたを心から愛してる」


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