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【2】


「はぁ……」

 時計を見れば、あと十分で仕事が終わる。普段なら嬉しい気持ちも、今日ばかりは気が重かった。せっかくの週末なのに……。
 ついつい深いため息を漏らすと、隣のデスクから肩を強く叩かれた。

「おいおい〜、シンデレラボーイがなぁにシケた顔してんの〜」

 ニヤニヤとした那須川の顔が凄くムカつく。

「なんすか、シンデレラボーイって……」
「数多のアルファの中から、見事お姫様を勝ち取ったシンデレラボーイ」
「それ、お姫様側ふたりになりません?」

 互いに見つめ合い、やがて那須川は無言でデスクに戻った。

「でも、あれからもう三週間経ったね。お付き合いはどんな感じ? あの美人、もう食っちゃった?」
「食うって……」
「ぶっちゃけ、やっぱオメガとのアレってすごいの? 噂で聞くに、オメガってカナリ積極的らしいし。あんな美人に上に乗っかられて、アレやこれやとか!?」

 デスクの上を片付けながら、ぐふふと笑う那須川にカチンと来た。

「カイリさんはそんなはしたない真似しませんよ! それにッ、」
「それに?」

 あの人はみんなが思ってるような、お姫様タイプではない。確かに見た目は恐ろしいほどに美しいが、その振る舞いはどんな男よりも男らしいことを、俺は知っている。
 急に黙った俺を訝しんだ那須川が、顔を覗き込んでくる。

「顔赤いけど、なぁにを思い出したわけ? やっらしぃ〜」

 赤面した理由は那須川の想像からかけ離れていただろうが、天沢とのデートを思い出して赤面するほどに、自分の心が大きく変化しているのは事実だった。

 一週間前、何故か超絶美人のオメガ(とはいえ俺よりかなり背は高い)に、婚活パーティーで公開処刑……という名の告白を受けた。
 どう考えても参加者であったアルファ達の方が見た目も、家柄も、それ以外の全てにおいて良かったというのに、何故か司会者であった俺が、超一級品オメガ───天沢カイリに選ばれてしまった。
 正直今まで男相手に恋愛感情を抱いたことはなく、ベータの王道のような恋をしてきた。いくらオメガの男性には女性と同じ機能があるとはいえ、俺からすれば男は男。
 そしていつか運命の番が現れるというアルファやオメガの存在は、ベータには悲劇の象徴だったし、自分には関係のないものだと思ってきた。
 それが、あの日のあの告白で全てが変わってしまった。

 背は多分、下手なアルファよりも高いかもしれない。180は確実に越えているだろう。それでもお姫様扱いされるあの人の容姿は、確かに『美しい』『儚げ美人』と表すに相応しい。
 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。まさにこれに尽きる。

 パーティー会場で告白されたその日、当然俺は断ろうとした。だって、俺は那須川にも太鼓判を押されるベータ王なのだ。飽きられるか、アルファにでも寝取られるかの悲劇をもってして、どうせすぐに終わるだろう。
 だけど周りを見渡せば、いつか俺から彼を奪うであろうアルファ達の殺気だった視線が突き刺さる。

 ───まさかここで断って、私たちに恥をかかせる気か?

 いくらベータとはいえ、アルファからの本気のプレッシャーは非常に重く恐ろしい。

『はっ……はひ、おっ、お受けしまひゅっ!』

 産まれたての子羊の如く、足をガクガクさせながらほとんど白目をむいて……俺は全く好きでもない相手からの結婚前提の真剣交際を受け入れてしまったのだ。

『へ……?』

 告白を受け入れた瞬間。金色の瞳を潤ませた天沢に、大きな手で後頭部を引き寄せられ、シャツの前がベタベタになるほど激しい口付けでファーストキスを奪われ……会場中に阿鼻叫喚が響き渡ったのはまだ記憶に新しい。
 そうして流されるように始まった交際は、しかし俺にとんでもない結果をもたらし始めている。

「カイリさんに、できれば毎日逢いたいって言われたんですけど……」
「うわぁ、熱烈だね〜! それでそれで?」

 那須川が身を乗り出す。俺に負けず劣らず平凡な容姿の彼は、普段は穏やかだが案外下世話な話題が大好きだ。

「正直、毎日はしんどいし、断りました。それでも一応週2ペースで飯食いに行ったりしてるんですけど……」

 そこまで言ったところで、外回りから戻ってきた社員が血相を変えてフロアに飛び込んできた。

「佐藤ぉおおっ!!」
「えっ、なに!?」
「おまっ、中央玄関の前に天沢さんがいるぞ!!」
「えっ! もうそんな時間!?」

 そう。俺が今日という楽しいはずの週末に気が重かったのは、コレが原因だった。天沢が、会社まで俺を迎えに来ると言ったのだ。
 はぁ、と再び重い溜め息を漏らせば、那須川にガシッと肩を掴まれた。

「なぁーーんか思うところがあるのは分かった。でも、言いたいことはハッキリ本人に言うしかないね! さっ、時間も来たことだし一緒に参りましょうか〜」
「えっ、俺まだ片付けが」
「ペンだけでしょ? ほらほら、天沢さん待たせちゃまずいから〜!」

 いつの間にかデスクを綺麗さっぱり片付けた那須川に肩を抱かれながら、俺は自身の散らかったデスクをそのままに引きずられるようにして席を立った。

 会社の外に出ると、そこにはちょっとした人だかりができていた。その中心が誰なのかなど考えなくてもわかるのは、あの日からの三週間で嫌と言うほどこの身に思い知らされたからだ。

「うわー、なんだありゃ」
「いつでもどこでも、あんなですよ」
「ああ〜…」

 先程の大きな溜め息の理由を察したのか、那須川がまた俺の肩に腕回した。

「なるほどねぇ。でも、モテる恋人を持つってのはそんなもんじゃない? それにさぁ、」
「はぁ……うおっ!?」

 まだ何か言おうとしている那須川に顔を寄せた途端、突然逆方向に腕を引かれタタラを踏んだ。そうして気付いた時にはもう、俺は誰かの腕の中にいた。

「距離が近すぎる」

 頭上から聞こえた声に耳が震える。

「あ、天沢さん……」
「カイリだろ、隼太」

 さっきまで色んな男に囲まれていたはずの人が、俺を腕に囲っている。その目は何故か那須川を睨んでいた。



 腰に回された手にドキドキしながら、足早に無言で歩く天沢に着いて行く。
 連れ去られるように遠のいていく俺に、ヒラヒラと手を振った那須川を思い出しながら隣の男をチラリと見上げれば、その綺麗な金色の瞳は意外にも俺を見下ろしていた。

「あ、あの……お疲れ、様です」

 漸く口にした恋人に対しての言葉がこれってどうなんだろう。かといって、他に上手い言葉が見つからない俺は、恥ずかしくなって俯いた。

「……お疲れ、隼太」

 なぜか少しだけ歩調がゆっくりになった。腰にあった手が滑るように二の腕に移動すると、グイと強く引き寄せられる。
 先ほどより更に互いの体が密着したことで、余計に天沢を意識してしまい顔に熱が溜まる。
 もう一度盗み見るように天沢を見上げると、その瞳はやはり俺を捉えていて……先ほどよりも、ずっとずっと蕩けるような色を浮かべていた。
 全く好きじゃなかった。全然興味なんてなかった。相手の性別が同性というだけで、自分には関係のない相手だと思っていた。それなのに……。

「天沢さん、あの」
「カイリ」
「……か、カイリさん」
「うん?」
「これからどこいくんすか?」
「腹は減ってるか?」
「あ、はい、もうペコペコです」

 くすっと笑う優しい瞳に心臓が跳ねる。

「旨い店があるから、そこで食おう」

 人とすれ違う瞬間、俺を守ろうとするように天沢の手に力が入る。
 この三週間で、俺は生まれて初めて守られる立場を経験している。まるで騎士に守られるお姫様になった気分だった。だけど、全然嫌じゃなかった。
 自分も天沢と同じ男のはずなのに、守られる側にいることがむず痒くて、でも妙に心地よくて、恥ずかしいけどなんだか嬉しくて。
 会えば会うほど、天沢の魅力に取り憑かれていくようだった。

 辿り着いた店は、その店構えからしてパンピーが入れるような店ではなかった。
 そこへ俺を連れて当たり前のように足を進める天沢は、やはり別世界の住人なのだろう。
 言葉や行動は、見た目にそぐわず案外粗野で乱暴なところがある。道端で酔っ払いやしつこいアルファに絡まれた時なんて、護身術と表すには少々激しい撃退方法を取っていたし、倒れた相手の股間を躊躇なく踏みつけることすらあった。
 あれには俺がゾッとして、思わず自分の息子を両手で押さえてしまったほどだ。

 だけどこうして格式高い店に平然と入り慣れた姿をみると、やはりこの人は育ちが良いのだと分かる。食事をする所作もとても綺麗なのだ。
 サラサラと注文を済ませ、滞りなく運ばれてくる料理は全て俺好み。この三週間で、俺の好みは完璧に把握したらしい。
 メインの肉料理に合わせて天沢が選んだ真っ赤なワイン。
 その真っ赤なワインが、瑞々しい唇の中に吸い込まれていく様があまりに美しくて……つい見惚れていると、天沢が訝しげに問いかけた。

「隼太、どうした?」
「……俺、女性の気持ちが初めて分かっちゃいました」
「ん?」

 普段あまり大きな変化のない天沢の、キョトンとしたその顔が可愛い。

「だってカイリさん、騎士(ナイト)みたいなんだもん。俺、ここ最近ずっとお姫様気分ですよ」

 目を見開いた天沢に、いきなり何を言っているんだろうと自分でも恥ずかしくなって、顔が紅く染まった。そこでやめればよかったのに、テンパった俺は更に胸の内を吐き出してしまう。

「だ、だって! 背は高いしスタイル良いし、体は意外と筋肉質だし。腕っぷしまで凄い強いし! なのに紳士で男らしくて……カイリさん、めちゃくちゃカッコいいんですもん」

 カシャン、と音を立てて天沢の手からグラスが落ちる。割れはしなかったけど、僅かに残っていたワインが真っ白なクロスに染み込んだ。

「わっ、カイリさん大丈夫っすか!?」
「……悪い」
 
 すぐにボーイを呼んだ天沢は、しかしずっと様子がおかしいままだ。その上まだスイーツが来る予定だったのに、無表情のまま俺を促し立たせると、スタスタとまた早足で店を出てしまう。

 ───俺、変なこと言っちゃった!?

 腕を掴まれ引きずられるようにして外に出ると、天沢はタクシーを一台止めた。そこに俺を押し込むと、運転手に行き先を告げたあとはひたすら無言の空間が鎮座していた。



 タワーマンションの煌びやかなエントランスを抜けた後、とんでもない階数で下された。
 人の気配の全くしない広くて長い廊下を歩き、重厚感のある扉を潜った途端、天沢は俺を壁に押さえつけた。

「わっ、あ……んんっ」

 触れ合う唇からは、まだ先ほど口にしていた重たいワインの味がする。
 高い位置から奪うように重なるそれは、まるで俺を喰らい尽くすかのように暴れている。
 こんな余裕の無いキスは、告白を受けたあの日以来だった。

「あふっ、んむ、か……カイリさんっ、あ!」

 ちゅっ、ちゅっ、ぢゅっ! と首筋を強く吸われ思わず仰け反ると、曝け出した喉仏に軽く歯を立てられる。

「ああっ!」

 いつの間にかスーツのジャケットは剥ぎ取られ、シャツのボタンもほとんど外されている。
 なのに目の前の綺麗な男は、その身なりを少しも乱してはいないのだ。

「やっ、あ……んっ、んん、」

 悔しいのに、天沢にまた唇を激しく奪われて抗議の言葉が出てこない。
 その間に好き勝手俺の体を弄っている大きな手が、ついに下半身へと降りて行き、俺の尻を両手で鷲掴んだ。

「んんっ!」

 尻をグニグニと揉まれる初めての感覚に、ぶるりと体が震えた。
 天沢の胸に置いた両手には力が入らず、足の間に長い足が差し込まれたかと思うと、その膝を上下に揺らし、俺の兆し始めた部分を刺激してきた。

「んあぅんっ! んうっ!」

 口内を犯され、股間を嬲られ、尻を強く揉みしだかれる。そしてやがて尻にあった手は、信じられない場所をするりと撫で上げたのだ。

「ひぁあっ!」

 そこを触られるまで俺は、愚かにも自分の置かれた立場を理解していなかった。
 
 ───ここを使うのは初めてか?

 熱い吐息と共に耳に入り込んできた言葉に目を見開く。

「やっ、やっ、カイリさんっ!」
「隼太」

 撫でるだけだった手は、しかし服の上からグリグリと指をねじ込む様な動きに変わった。

「あっ、ああっ、ひやぁ!」

 職業柄、男同士の立ち位置の呼び方くらいは知っている。知っているが、まさか自分が突っ込まれる側になるなんて想像もしていなかった。しかも、オメガの男性相手に。
 じゃあ、逆に天沢を抱く想像ができていたのかと聞かれると、答えはNOだった。
 天沢は今まで見てきた、如何にも加護欲をそそられるオメガたちとは明らかに違っていた。
 周りはその見た目から天沢をお姫様扱いしていたが、初めて会ったあの時からずっと……俺にとってはいつだって男らしくて格好いい、理想の『男性』だったのだ。

「ひっ、ひっ、うぇっ、ひぃ」
「隼太? ……隼太」

 怖い、怖いと馬鹿みたいに泣いた。
 だって、そんなところを触られるのは初めてだった。それなのに、ゾクゾクと走る悪寒にも似た感覚が全身を支配していく。それが怖くてたまらなかった。
 天沢は尻の穴を愛撫していた手を外すと、その両手で俺の頬を包み込んだ。
 情けなく、涙でぐしゃぐしゃになった俺の顔に、ちゅっ、ちゅっ、と触れるだけのキスが降り注いだ。

「泣くな、お前が嫌がることはもうしない」

 そう言って、天沢は俺を強く抱きしめた。

 男に、抱きしめられている。自分より背が高くて、華奢に見えるその体は案外分厚い。
 俺は、彼と同じ男だ。ベータであって、守られるべきオメガじゃない。なのになんで、抱きしめられてこんなにも安心するんだろう。こんなにも、ドキドキしてしまうんだろう。
 自分を抱きしめる美しい男の背中に腕を回して……その逞しい胸元に、そっと泣き顔を埋めた。

 オメガは、アルファのものだ。運命の絆で結ばれている。その間にベータが入り込むなど、愚行の極みだ。きっと、悲劇しか待っていない。
 それでも……。

 それでも多分俺は、この美しい人に恋をしてしまった。


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