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switch V 【中】



「……誰だアンタ」

 手に持っていたダスターをテーブルに放り投げ睨みつけると、目の前のオンナ男が心底可笑しそうに笑った。

「やだな、そんな怖い顔しないでよ。俺は篠原ハジメ。ハジメちゃん≠チて呼んでくれても良いよ」
「はぁ…?」

 オンナ男こと篠原ハジメは、訝しむ俺を無視して汚れたままのテーブルへと席についた。

「ほら、君も座りなよ」

 笑顔を浮かべて向かいの席へと促す篠原に、俺は隠さず舌打ちをする。

「今からそこ片付けンだよ、どっかいけよ」
「まぁまぁ、そんなの後でいいじゃない?」
「良かねぇわ。俺は忙しい」
「忙しい時間帯はもう過ぎたって聞いたけど」
「誰に」
「店長さん。聞いたら丁寧に教えてくれたよ?」

 にっこりと笑い首を傾ける篠原は、俺と同じくらいの身長を抜きにした見た目だけで言えばモロ美少女だ。俺には当たりのキツイ、女好きの店長を思い出して苦虫を噛み潰す。

「店は暇でも俺は忙しい。まだやることが沢山あんだよ」
「それもウソ。このテーブル片付けたら君は上がりだって聞いたもの」

 もう誰に≠ネんて馬鹿な質問はしない。俺は盛大に溜め息を吐くと、篠原の対面に渋々腰を下ろした。

「で、なんだって?」
「だからぁ、その首輪、俺が外してあげようか? って言ってるの」

 篠原の手が、スっと俺の方へ伸びてきた。そのまま意外と男らしく節ばった指が、一瞬だけ肌と首輪の間に入る。その刺激に驚き思わず仰け反った。
 首輪の鍵がチャリ、っと音を立てて揺れる。

「俺ならそれ、五秒で外せるよ」

 目の前で落とされた言葉は、まさに悪魔の囁きだった。甘美な、誘いだった。
 着けられた当初とは別の重さを首輪に感じ、それが何故なのかも分からず最近は苛々が募るばかりで、そんな俺をあざ笑うかの様に清宮はいつも通りだ。だが鍵を外そうにも、自分ではどうにもできなかった。
 首輪に着けられた鍵は、幾つものリングがまるで知恵の輪のように連なっており、どうやっても俺には外すことができなかった。勿論、外そうと試したのは俺だけじゃない。
 清宮はとんでもなく人気なDomだ。頼みもしないのに首輪を外そうと、大学内でも多数の輩が俺の元を訪れた。バイト先だって例外ではない。だがそれでも、鍵を外せる者は現れなかった。それを簡単に外すと口にするコイツは、一体何者なのだろう。

「アンタ、清宮の何なんだ」
「その鍵を開けられる仲≠チてやつだよ」

 聞いた瞬間、全身が総毛立った。
 
 この首輪は特別だ。数多の人間を相手にしてきた遊び人と名高い清宮が、その誰にも渡したことのなかったパートナーの証なのだから。
 受け取るどころかその証を目にする機会さえなかったのは、周りの反応を見れば容易に想像できた。だからこそ、そんな特別な証を与えられた俺は妬まれ恨まれ、待ち伏せされてボコられる、なんて酷い体験をしたのだ。
 俺はあのとき確信した。自分はこの首輪のように特別≠ノなったのだと。他の誰とも違う、価値のある存在にのし上がったのだと。周りに転がるゴミとは違う、アイツの特別になった唯一の人間なのだと、そう確信していたけど…。

「もしかして、アンタもこの首輪、着けたことあんのか…?」
「やっと俺に興味持ってくれた?」

 篠原は、震えそうになる唇を噛み締めた俺に美麗な笑みを浮かべると、ポケットから取り出した小さな紙を俺の手に握らせた。

「明日の十八時、ここで待ってる」
「明日は」
「バイトは休み、だよね? 彼と約束でもある?」
「………」
「明日来てくれたら、君の知りたいこと何でも教えてあげるよ。俺と彼の関係も、その首輪の鍵の外し方も、全部ね」

 待ってるよ。
 それだけ言って、篠原は来た時と同じように唐突に俺の前から姿を消した。


 ◇


 もう何度震えたか分からないスマホが、今もまたカバンの中で長く長く震えている。誰が震わせているのかなんて、画面を確認しなくても分かった。
 ここ最近毎日通っていた道をあえて逸れて行く足取りは、迷いが絡みついて酷く重い。だが俺が送りつけた『今日は行かない』の一言に激怒したであろう清宮の着信で、少なからず読み取れるアイツからの執着心が俺の足を何とか篠原へと向かわせているのだから皮肉なもんだ。

 俺の目の前で別のSubを相手するアイツが気に入らない。そう思う自分に反吐が出た。
 決して清宮に好意を向けている訳ではないのに、まるで嫉妬に狂った女みたいに歯ぎしりする自分が気色悪い。そんなの俺じゃない。俺は、清宮なんかどうでもいいはずなのに。
 俺はただ騙されて、脅されて、仕方なくパートナーを組んだだけだ。不満は多々あるけど、確かに清宮はプレイが上手いのか、癖になる程度は気持ち良くしてくれるから付き合ってやってるだけなんだよ、俺は。
 アイツが他の奴にどうしようと興味もないし、恋人を作ろうと関係ない、全く関係ないはずなのに。
 俺への執着で震えるスマホに気分が良くなるのは、どうしてだ? 清宮と篠原との関係が、首輪の鍵の開け方よりも気になるのは、なんでだ…?



「良かった、来てくれたんだ」

 渡された紙に書かれていた店は、俺の通う大学から近い場所にある小ぢんまりとしたBARだった。ここに店があると知らなければ一生気付くことなく通り過ぎていたに違いない、そんな隠れ家みたいな店は、その店内も薄暗く穴ぐらみたいだ。

「隣どうぞ」

 促されて座ったカウンターで、取り敢えずの一杯にビールを注文した。飲む気なんてさらさら無かったけど。
 篠原はカウンターの向こう側に俺と同じものを頼んでから、こちらを覗き込むように振り返った。

「来てくれないかと思ってた」
「……アンタが呼びつけたんだろ。話だけ、さっさと済ませてぇんだけど」
「なんだよせっかちだなぁ」

 困ったように笑うその顔をギロリと睨めば、篠原はおどけた様にわざとらしく肩をすくめた。

「で、知りたいのはどんな話だったっけ?」
「アンタと清宮の関係だよ!」
「あれ、鍵の開け方じゃないんだ?」
「うっ、」
「別に良いけどね。でもさ、昨日言ったと思うけどなぁ? 俺達は、その鍵を開けられる仲だってさ」
「そんなんで分かるわけねぇだろっ!!」
「まぁまぁ、そんな怒んないでよ。大事な話はもっと別にあるんだから」
「まさかアンタ、俺を利用してアイツに取り入ろうとしてねぇだろな」
「えー?」
「言っておくけど、俺をダシにしたって無駄だからな。俺からアイツに繋がるモンは何も出ねぇぞ」
「それは無いと思うけどなぁ…まぁでも、そんな心配する必要ないよ。だって俺、ミヤには興味ないもの」
「……は? ミヤ…?」

 その親しげな呼び方に顔を顰めた俺に、篠原がスツールごとズイと近づいた。

「その鍵を開けてあげたいのはさ、何も俺がその位置にスリ変わる為じゃないんだよ」
「じゃあ…なんなんだよ」
「俺はただ、君をアイツから開放してあげたいだけ」

 驚いた俺の前に、無愛想なバーテンダーがビールを二つ置く。だが、それに目を向ける余裕は無かった。

「ミヤとのパートナー契約に、満足してる? 本当はどこか虚しいんじゃない?」
「…なに?」
「今まで沢山見てきたよ、ミヤの相手をしてきた子。けどさ、どの子も結局飽きて捨てられるか、自分から投げ出すかして長続きしないんだ」

 ゴクリ、と乾いた俺の喉が有りもしない唾液を呑み込もうと動いた。

「プレイしたその時は満たされても、君たちの関係はD/Sのパートナー止まり。恋人や、別のパートナーを持つことだって咎められない。自分がミヤの一番になることは絶対に無いんだもの、そんなのって虚しすぎると思わない?」
「…アンタ、やっぱりアイツの…」
「俺なら君の気持ちを分かってあげられるよ。プレイじゃ満たせない部分を満たしてあげられる。ミヤが君に渡せない一番を、俺なら渡してあげられる」

 篠原の手が、ビールに伸びずに俺の太ももへと落ちてきた。つ…と指が布越しの肌を滑る。

「ッ、」
「ねぇ、その首輪を外してさ、俺と恋人になろうよ」
「……いや、でもアンタは」
「俺、こう見えて結構Sっ気あるんだ」
「は? ちょ…」

 太ももを撫でていた篠原の手が、ゆっくりと俺の股間に向かって這い上がってきた。

「俺でも君を苛める事はできるし」
「いやいや、別に俺は苛められたいわけじゃねぇし、ってか俺Domだし…てそうじゃなくて」
「俺、こんな見た目だけどミヤよりもアッチの方はデカイし上手いと思うし。君を恋人として気持ちよくさせられる自信あるよ」
「はぁ!? いやいやオイ聞けよ! って、えっ、ちょ、ちょちょちょ、…うぁっ!?」
 
 ゆるゆると太ももを這っていた手が、一気に中心へと滑った。その手は思い切り俺の股間を握りこんだ。いや、握られる、とそう思って思わず声を上げた……のだが。

「だぁれが俺よりもデカくて上手いってぇ?」

 俺の真後ろから、もうここ最近で嫌というほど聞きなれてしまった、あの甘い甘い花の蜜みたいな声がドロリと漏れた。

「ひっ、ミヤッ!」
「清宮!?」

 篠原の手は、俺の後ろから伸ばされた清宮の右手によって強く掴まれ、血の気を失っている。手だけじゃない、その顔も蒼白になり笑顔が完全に引きつった。

「あ…あれぇ? なんでミヤがこんなところにいるのかなぁ?」
「それは俺のセリフだよねぇ? 俺、この子には手ぇ出すなって言わなかったっけなぁ」
「いやぁ…あの、これはですねぇ」
「伊沢くんもさぁ、俺のこと無視して、こんな奴とこんなトコでなぁにしてんのぉ?」
「ぐっ…、」

 清宮の空いた左手が、ゆるりと俺の首を絞めた。

 ここへは、篠原が清宮と何かしら関係がある事を見越して半ば当てつけのように来た。もしも今日の事を清宮に咎められたのなら、その時はハッキリ言ってやるつもりだった。お前が自由にするように、俺だって自由にしてやる。お前に俺の行動を縛る権利なんてありはしないのだと、そう言ってやるつもりで来たのだ。
 それなのにほんの少しの触れ合いだけで、それも愛撫からは程遠い首を絞められる≠ニいう行為に、俺の躰は今、快楽への痺れを拾い熱を持ち始めている。それが、酷く悔しかった。

「俺は、お前のモンなんかじゃねぇ!」
「……なに?」
「…コイツにっ、首輪、外してもらうんだッ」

 清宮の手を振り払う。首を掴んでいた手は案外簡単に外れ、同時に篠原の手も自由になった。

「よくも俺に使い古しの首輪渡しやがったな、この野郎! こんな男か女か分かんねぇ奴が使った汚ねぇ首輪、さっさと外してテメェともパートナー解消してやるって言ってんだよ! 分かったか!」

 そう言い切った俺は、ゼェゼェと肩で息をしていて半泣き状態だ。そんな俺を立ち尽くし見ていた清宮は、一度だけ固まっている篠原を見ると直ぐに俺へ視線を戻し、にっこり笑った。

「なるほど、話は大体理解した」
「そうかよ! 物分りが良くて助かったわ!」
「うん、如何に伊沢くんが俺の気持ちを分かってくれてないのかってことが、よーく分かった」
「あ?」
「勘違いしてるのは知ってたけど、ここまで分かって貰えてないと流石に俺も悲しいよ。だからさ、良い加減周りにも君にも分からせてあげる」

 そう言って清宮は、そっと俺の頬に優しく手を当てた。

「俺、前に言ったよね? 手に入らないならいっそ壊しちゃえ派だ、って。君はちっとも言うこときいてくれないし、脅さなきゃ俺の手の中に入ってくれないし、脅したってこうして直ぐに俺を無視してどこかに行っちゃう。いつもならこんなに面倒な子、絶対に相手にしないしとっくに壊しちゃってる。だけど君はまだ壊れてない。それがどうしてか分かる?」

 清宮の指が、俺の頬をするりと愛撫のように滑る。

「……な、なん」
「俺が君を、壊したくないからだよ」

 清宮は服が汚れるのも気にせず、スツールに座る俺の足元へと膝まづいた。

「君だけはどうしても壊せない。壊したくないんだ」
「お、おい…」

 ダラリと落ちる俺の足を捕まえて、靴を脱がし、靴下も脱がし、清宮は周りの目も気にせず俺の足にキスを落とした。

「お願いだから、良い加減俺の気持ちに気づいて、伊沢くん…」

 シンと静まり返った店の中。誰もが清宮の甘く切ない声に瞳を蕩けさせ、ほう…と息をつく。そんな中でただ一人だけ、場にそぐわず笑いを堪えてニヤケる奴がいた。……俺だ。

「オイ、まてよ、もしかしてお前…俺のことが好きなの?」
「…そうだよ?」
「マジかよ」
「マジだよ、飲み会のあの日に一目惚れしたんだ。やっと分かってくれた?」

 足元から俺を見上げる清宮に、俺の口角はもっと上がる。

「はっ…マジか、すっげウケんだけど」

 周りから冷たい視線が突き刺さるが気にしない。

「お前さ、俺とどうなりたいワケ? 脅してこんな首輪着けてもさ、お前が強要した関係なんて結局はお遊びパートナーだろ? お互い恋人ってヤツができたって文句言えねぇ仲じゃねぇか」
「…そうだね」
「俺が篠原と付き合ったっていい訳だろ? 何でさっき俺、責められたワケ? 首輪だって一応、まだ外してないのによぉ、なぁ、何で?」
「………」
「言えよ。膝まづくなんてキザったらしいことしなくて良いからさ、そこで土下座して言ってみろよ。伊沢くんを取られたくありませーん∞俺は伊沢くんが大好きでーす∞恋人になって欲しいでーす=v

 流石にここまでくると、周りから激しいブーイングが飛んできた。篠原だけが呆気に取られて静かだ。そんな中で野次を抑えたのは、意外と言うか矢張りと言うか、清宮だった。
 ただ一言「外野は黙ってて」、それだけ言えば店の中はまた静かになった。

「土下座してそれを言えば、俺の恋人になってくれるの?」
「あ? あ〜…、条件がまだある」
「なぁに?」
「D/Sのパートナーも俺だけにしろ」
「今も君だけだよ?」
「最近他のヤツも相手にすんだろが、気に入らねぇからやめろって言ってんだよ」
「わかった、もう二度と相手にしない」
「男でも女でも、D/Sでもそうじゃなくても関係ねぇ。俺以外と飯食ったり、遊ぶことも禁止する」
「全部君だけ、伊沢くんだけ」
「………」
「君を誰にも取られたくない。誰にも触らせたくない。誰にも見せたくない。いっそどこかに繋いで閉じ込めちゃいたい」
「……は」
「世界中で君だけが好き。伊沢くんだけを、愛してる」

 恥ずかしげもなく土下座して、清宮はまた俺の足の甲へとキスを落とした。店の中のあちこちで悲鳴が上がった。比例するように俺は腹のそこから笑いが溢れた。可笑しい、可笑しすぎる。
 あの誰もが憧れるDomのプリンスだかキングだかが、こんな冴えない男に土下座して恋人になってくれと懇願して見せているのだ、笑わずにはいられない。
 俺は馬鹿みたいにゲラゲラと涙を流して笑った。飲む気なんて一ミリも無かった、泡の消えた生ぬるいビールを一気飲みする程度は気分が高揚していた。
 だから、気付かなかったのだ。俺はとっくにこいつの罠に嵌ってたんだってことに…。

「俺たち、もう恋人なんだよね…?」
「おーおー! なってやるなってやる、恋人でもなんでもなってやるよ」

 まだ涙を流して笑う俺の横で、何故か篠原が息を呑む。

「じゃあ今からは、恋人として接するよ?」
「あ?」

 振り向いて、今更清宮の冷たい笑みに気付いたって、もう遅い。

「俺以外の男とふたり、飲みに来て太もも触らせるなんて浮気だと思うんだよね」
「…え、は…」
「それに大事なココまで触られかけてたよねぇ。一体誰が触らせて良いって言ったの? ねぇ、伊沢くん、この躰は誰のもの? まだ分かってないみたいだから教え直さなきゃいけないね」

 清宮の目がギラリと光った。俺の躰からあっと言う間に力が抜ける。


 ――さぁ、お仕置きタイムの始まりだ。


 ガクンとスツールから崩れ落ちた俺を、拾い上げる者など誰ひとりとして存在しなかった。




後編1/2へ


2017/03/20




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