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恋に落ちたアメジスト


 食事の相談でもしているのか、楽しげに話しながら通り過ぎていく学生たちをベンチから眺めていた。
 朝一番に比べれば幾分か和らいだものの、中庭を覆う空気は昼を過ぎてもまだまだ冷たい。温かい飲み物を買っておけば良かっただろうか。そう思い小さく息を吐いたところで、隣に青年がドカリと音を立てて腰を下ろした。いつかのあの日と、似ていると思った。
 隣に座った青年は視線こそ真っすぐと前に向けているものの、その手は僕の方へと伸ばしている。伸ばされた手の先には、見慣れた珈琲のカップ。

「僕に買ってきてくれたの?」
「倍にして返してもらうけどな」

 そんな気はさらさら無いくせに、反射の様に飛び出す皮肉に思わず頬を緩めた。

 どうして今まで気付かず来られたのだろうかと、不思議に思う。彼の押し隠した気持ちにではなく、彼と過ごすこの空気を心地いいと感じる自分の心に。
 彼と共に時間を過ごすことはいつしか当たり前になり、彼がそばに居ることが当たり前になり、彼に向けられる優しさが当たり前になっていた。それがどれだけ特別で、貴重なのかもすっかり忘れて。
 辺りを見渡すと、あらゆる性の持ち主が混在し集い、談笑している。そこに性別の垣根など存在しないように見えた。

「こうして周りをじっくり見ていると、自分がどれだけ狭い世界に生きていたか…今更気付かされるよ」

 隣に座る青年は返事をしない。けれど、意識は僕へと向いているのが分かった。

「僕はずっと、理想のアルファであることを目指して生きてきた。家の名に恥じぬ立派なアルファになることが第一で、そうなる為にはまず、守るべき存在のオメガを大切にしなきゃいけないって、自分を支えてくれる生涯のパートナーになる相手なんだからって、そう思ってたんだ」

 だから自然と目はオメガを追っていた。そうして幾人ものオメガと出会い、その中の一人に瀬名くんがいた。
 報われない恋をしている彼を可哀想だと思った。彼に特別気をかけたのは、そう思ったのが切っ掛けだった。

「愛されたいと願っているのに、愛されない瀬名くんが可哀想だった。だから僕の愛を与えてあげたいと思った。辛そうな顔を見る度に、もっと楽な方へ流されたらいいのにって、そう思ってた」

 けれど彼が選んだのは、無償で愛が与えられる穏やかな道ではなく、傍から見れば苦難広がる茨の道。

「今まで散々浮気を繰り返してきた相手だよ? どうしてそっちを選ぶのかなって、不思議だった。だけど彼がずっと柊くんを好きだったことは知っていたし、その気持ちも理解しているつもりだったから。それで彼が幸せになれるなら、それでいいかなって思ったんだけどね」

 僕は愛≠知っている。両親に、祖父母に、兄弟に愛され育ってきたから。
 それはどれも無償で与えられ、見返りを求めたりしない、ふんわりと温かくて心地が良いものだった。けれど、瀬名くんが柊くんに、柊くんが瀬名くんに向ける気持ちは、欲しかった気持ちは、そんな無償で与えられるような愛ではなかったのだろう。

「好きな人には、どんな形でもいいから幸せになって欲しい。例えそれが自分の手で与えられなくても、幸せであってくれさえすればそれで良い。それが愛だと思っていたし、間違いではないとも思うんだ。でも、もしもそう思うことが愛なのだとしたら、いま僕が持つ気持ちはきっと、愛ではないのだろうね」

 優しくしたいのに、優しくなれない。
 無理強いしたくないのに、無理にでもこちらを向かせたくなる。
 静かに見守っていてあげたいのに、焦れるような胸の痛みに叫び出したくなる。理性なんてものは、最早どこかへ消えてしまったのかもしれない。

「僕はね、マコト。瀬名くんにしてあげられたことが、君にはしてあげられないみたいだ」

 こちらに向いていなかった視線が、ついに僕に向けられる。たったそれだけのことなのに、僕の心は嬉しいと叫んだ。

「寂しかったら、泣きたくなったら、誰かを頼りたくなったら、他の誰かのところじゃなくて僕のところへ来てほしい。心も、躰も、預ける相手は僕にしてほしい」

 マコトは僕に何も知らないと言ったけど、僕はきっと、誰よりもマコトを知っている。
 不器用な優しさも、強気で天邪鬼な性格も、そのくせ傷つきやすくて泣き虫なところも、照れ屋で猫舌なところも。
 彼の親さえ知らない事だって、きっと僕は知っている。

「僕はマコトを、誰にも渡したくない。例え君が拒絶しても、それでも僕は、君が僕じゃない誰かと幸せになるところを見たくない。マコトには、僕の腕の中で幸せになって欲しい」

 どんな形であっても、好きな人が幸せであれば自分も幸せだなんて、とんだ綺麗事だと思った。本当に大切で仕方ない相手ならば、僕はどんな困難を乗り越えてでも自身の手で幸せにしたい。他の誰かに委ねるなんて、考えられないほどの愚行だ。
 今なら分かる。どんなに傷つけあっても離れられなかった、繋いだ手を放せなかった瀬名くんたちの強く熱い想いが。
 もしあの時瀬名くんが僕を選んでくれていたとしても、きっと彼は本当の意味で幸せにはなれなかった。そして僕自身、幸せを知らないままでいただろう。

「生まれて初めて、幸せになりたいと思った。誰かを幸せにすることじゃなくて、僕自身が幸せになりたいと思った。そう思った時、一番初めに思い浮かんだのは瀬名くんじゃなくて、他のオメガの子なんかじゃなくて」
 
 マコトだった。
 素直じゃないし、ひねくれ者だし、辛辣な言葉を投げられることだって頻繁だ。だけどそんな彼を見る度に不思議と心は癒されて、隠された優しさを見つける度に嬉しくなった。
 一緒にいると愛おしくて、そばを離れると酷く恋しい。それはまだ最近気付いたばかりの感情だけど、一度気付いてしまえば大きくなるのはあっという間だ。
 構内を歩けばこの目はいつだってマコトを探していたし、例のアルファの隣に居ないことを確認すると、安堵から思わず溜め息が漏れた。
 好きだと思った。僕は誰よりもマコトのことが好きなのだと、彼が僕から離れようとしたことで漸く気づかされたのだ。

「僕はマコトが居ないと生きていけない。僕が幸せになるためには、マコトがそばに居てくれなきゃダメなんだ」

 そこでやっと、大きく溜め息を吐くようにマコトが言葉を漏らした。

「それで、馨はどうしたいんだよ」

 今日のマコトの声は少しも震えていなかった。僕の伝えようとする気持ちをもう知っているのか、それとも何かを覚悟したのか。

「マコト、僕と付き合ってください」
「…そこで昨日に繋がるのな」

 マコトは自分用に買っていた、まだ熱そうなカップに視線を落とした。

「その付き合いは、遊びで?」
「今の流れで遊びだったら最低でしょう。本気だよ、結婚を前提にお付き合いしてください」
「俺、ベータだけど」
「知ってるよ」
「ベータとアルファじゃ、同性婚認められてないけど」
「本物の籍は入れられなくても、どんな形でも家族にはなれるよ」

 マコトを自分に繋いでおけるのならば、故郷を捨てたって構わない。そう言って、僕はマコトを抱き寄せた。

「マコトは僕を、どう思ってる? もう、愛想が尽きちゃったかな」
「尽きてたとしたら、お前どうすんの? 諦めんのかよ」
「まさか、僕はアルファだよ。合意でなくても夫婦になる方法は幾らでも知ってる」

 肩口でマコトが笑った。

「怖いヤツ! お前、普段の紳士面どこいった?」
「そんなもののせいで君を逃がしてたら、ただの馬鹿じゃないか」
「ただの馬鹿だったろ」
「まぁ、そうなんだけどね…」

 しょぼんと声色を落とした僕の横にカップを置いて、マコトが背中に腕を回した。

「ずっと馨が好きだった。高校で初めて会ったあの日、俺は一発でお前に落ちたんだ。仲良くなれるなんて思わなかったから、親友なんて呼ばれるようになって、すっげぇ嬉しかった。馨にオメガの話をされる度に、殺してやろうかってくらいムカついて悲しくて、苦しかった。でも、それでも俺は、馨を嫌いになんてなれなかった」

 すん、と鼻をすする音がする。その音が僕の胸の奥をぎゅっと押しつぶし、甘い痛みを齎した。

「馨が好きだ。馨しか好きじゃない。他のヤツなんかと番って欲しくない。良い加減、俺だけを見てくれよ」

 更に強く抱きつくマコトを、どうしてやろうかと思った。
 普段とんでもなく天邪鬼で口が悪いくせに、こんな時ばかりは殺人的に素直だなんて。腕の中でぐずるマコトが愛おしくて愛おしくて、いっそ抱き潰してしまいたいほどに可愛くて。

「僕もマコトが好きだよ。マコトしか、好きじゃない」

 だから、マコトも僕以外を、絶対見ないでね。
 しがみつくマコトを引き剥がし、 顔と顔を突き合わせる。少しだけ赤くなっている鼻の頭が可愛くて、思わず唇を寄せたのだが…。

「あれ〜?」

 唇がそこへ辿り着くより僅かに早く、間の抜けた声が僕らを襲う。一体なんなんだ、こんな大事な時に。
 イラつきを抑えられないまま顔をそちらへと向ければ、予想以上に最悪な相手がそこに居た。
 金に近いほど明るい髪は少し長く、気障ったらしく掻あげた前髪の向こうにあるその顔は、嫌味なほど派手に整っている。そう、こいつだ。こいつがマコトの腰を抱いていた、あの遊び人と名高いアルファだ。

「美園」
「あ、やっぱり諏訪くんだぁ」

 マコトに美園と呼ばれたアルファは、やたらニコニコと笑顔を振りまきながらベンチに近付いて来た。思わず僕は、マコトの前を腕で遮る。それを見た美園が突然笑い声を上げた。

「あはっ! その様子からすると、上手くいったっぽいねぇ〜?」

 僕が「は?」と言うより早く、マコトが言葉を返す。

「おう、ありがとなっ!」

 どういたしましてぇ〜、と軽く手を振りながら呆気なく去っていく美園の背中を見送りながら、僕の頭の中に一つの答えが浮かび上がった。

「マコト……君、僕を嵌めたね?」

 まるで油の切れた機械の様に首を回し、マコトを振り返る。そうして見た、彼の 顔と言ったら。

「ははっ!」

 涙を流して笑うマコト。なんて、憎たらしい。

「馨がちっとも俺を見てくれないから悪いんだぜ? ちょっと懲らしめてやろうかと思ったんだけど、まさかこんなにも上手くいくなんぐうぇぇええッ」

 渾身の力でマコトの両頬を引っ張った。

「酷い! アイツが相手だって聞いて、どれだけ僕が心配したと思ってるの!?」
「あいづ、けっほぉ、いいやふだっはへ?」
「そういう事じゃないでしょ!」
「ひでででででっ」

 アイツが良い奴だったなんて、今でも信じられない。

「じゃあ、告白されたことも、遊びで付き合うって話も嘘なんだね?」

 こくり、とマコトが首を縦に振る。

「アイツとは、何も無かったんだね? 抱きしめられたり、キスをされたり、それ以上のことも…無かったって信じていいんだね?」

 また、こくりと首を盾に振った。はぁ、と重い溜め息を吐く。そのまま崩れ落ちるようにマコトの頬っぺたを引っ張っていた手を落とした。

「僕のことを好きって言ったのまで、嘘じゃないよね」
「嘘じゃねぇよ。なに…馨、怒ったのかよ」
「……そうだね、ちょっと怒ったかも」

 僕が俯きそう言えば、マコトが泣きそうになりながら僕の顔を覗き込んだ。

「ごめんっ、俺、ただお前のこと振り向かせたくて必死で、それしか頭になくて、だから、だから俺っ…頼むから嫌いになんないでよ馨ッ」

 仕方ないなぁ、もう。
 こんなタチの悪いイタズラを仕掛けるなんて、本当はちょっと怒っているけど。けれどそれ以上に、今まで散々僕が君を傷つけてきたんだから。それでも君は、僕を嫌いにならないでいてくれたんだから。
 何回だって好きだと伝えてくれる、全力で僕を追いかけ続けてくれる君が大好きだよ。だから僕が、今度こそ誰よりも君を幸せにしてみせる。そうして君も僕を、誰よりも幸せにしてよね?

「憎らしいほど大好きだよ、マコト」

 少し赤くなってしまったマコトの頬に両手を添えて、今度こそ僕らの距離をゼロにした。
 まだ誰も知らないはずの、マコトの唇の柔らかさを感じた今この時、僕は世界中で一番の幸せ者だったかもしれない。
 だから僕は忘れていたのだ。
 いまここが真昼間の大学構内で、おまけに一番ひと気の多い中庭だと言う事を。

 真実の愛を守りぬく、高貴で美しいアメジスト。
 枠から外れる事を知らない、磨きぬかれたアメジストがもしも原石と恋に落ちたなら、きっと。
 枠にはまることなく輝こうとするその姿に魅了され、未だ嘗てないほどの輝きと情熱を手に入れ生まれ変わるだろう。

 そうして走り出したアメジストの恋は、もう決して、誰にも止めることはできない。

END

2017/01/03



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