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恋を知らないアメジスト【前】


※『灰の中で原石がヒカル』のその後。



 愛しいと思った子がいた。
 一途で真っ直ぐで、自分の幸せに酷く臆病なオメガの男の子。
 全てを捧げても良いと思える相手を見つけながらも、すれ違い傷つき、偽物の幸せを手にしようとする愚かな子。
 そんな彼を、僕が支えてあげられたらと思っていたのだけれど。

「やっぱり彼には、柊くんが一番お似合いだよね」

 カフェのガラス越しに見える彼らがあまりに幸せそうで、僕は思わず口元を緩めた。
 確かに愛しいと思っていた。幸せにしてあげたいと思っていた。彼に、愛を捧げたいと思っていた。けれどこの時の僕は愛しさは知っていても、身を焦がすような恋しさ≠まだ、知らないでいたのだ。


 ◇


 大学構内にあるカフェテリアで暖かい珈琲を買い、中庭が一望できる席に座る。朝一番ということもあり、どちらにもまだあまり人気はなく、中庭では雀たちが元気に飛び回っている。
 朝露に濡れてキラキラと光る草花を眺めながら、手の中に収まったカップからひとくち珈琲を喉へと流し込み、小さく息を吐いた。と、同時に目の前でガラッと音が鳴る。

「よぉ馨、早いな」

 僕の向かい側の椅子を乱暴に引いて座った青年の手には、随分と熱そうな飲み物が握られている。

「おはよう、マコト。またホットで買ったの? どうせ飲めないのに」

 僕がクスッと笑うと、青年は眉を大げさに顰めた。

「うるさいなぁ…。別に良いんだよ、自分でちゃんと冷ますから」
 
 そう言って青年こと諏訪マコト≠ヘ、手の中のカップをジッと見つめた。

 男らしい眉の間に、いつも寄せられている深いシワ。無愛想で天邪鬼で口も悪く、僕と大差ない長身が相まってかマコトを敬遠する人は少なくない。だがそんな彼こそが僕、九条馨(くじょうかおる)が一番信頼を置ける相手であり、自慢の親友なのである。
 マコトとの出会いは高校で、全国的にも有名な進学校だった。
 進学校と言えばバース性差別の酷さが問題となりがちだが、僕らの学校はその辺りが随分と緩かったので、生徒はアルファだけでなくベータやオメガが多数混在していた。そのお陰で僕はオメガである瀬名くんや、ベータであるマコトと出会うことができた。
 マコトはだいぶ誤解されやすい人間であるが、僕からすれば彼ほど真っ直ぐな人間はいないと思う。それに、短く切られた固めの髪の先がいつも跳ねていて、それがどうにも可愛らしいのだ。
 可愛らしいだなんて、本人には絶対に言えないけれど。

「お前ってさ、落ち込んだりするといつも年寄りみたいに早起きするよな」
「ぶっ、」

 思わず口に含んだ珈琲を吐きかける。

「ちょ…、なんて言い方するの」
「ホントのことだろ? で、何があったんだよ。今なら暇だから聞いてやらんでもないけど」

 ツンと顔を背けたかと思うと、マコトは少しだけカップに口をつけてビクッと肩を揺らす。猫舌の彼にはまだ早かったようだ。

「…昨日、正式に瀬名くんに振られたよ」

 同じ高校へ通っていたマコトも、当然ながら瀬名くんや柊くんを知っている。そして、それぞれの気持ちも。

「アイツら、上手くいったのか」
「うん」

 そうか、と呟いたマコトの視線はまだ手元のカップにある。

「それで、お前はどうすんだ」
「え、僕? 僕か…、うーん、そうだね。直ぐには無理だけど、諦めずにまた探すよ。きっと、僕にも似合いのオメガがいるはずだから」

 エリートのアルファらしからぬ、乾いた笑みを漏らした。
 いつもならダサいとか、気持ち悪いとか、変な笑い方をするなと酷く罵るのに、この時のマコトは何も言わない。言わないどころか、視線さえ上げてくれなかった。

「馨の目には、やっぱりオメガしか映らないんだな」
「え…?」

 マコトがカップの中身を一気に口へと傾ける。

「ちょっ!」
 
 まだ早いでしょ!? そう口に出すより早く、矢張りマコトが酷く噎せた。

「何やってるの! 大丈夫!? 火傷したんでしょ、口の中見せて…」
「良い、平気。…俺、もう行くわ」
「えっ、」

 マコトは来た時と同じようにガタっと音を立てて立ち上がる。一限の講義開始まで、まだ随分と時間はあった。

「次のオメガなんて、お前なら幾らでも見つかるだろ」
「マコト…?」

 僕の呼びかけに反応しないマコトは、空になったカップを片手で握り潰し、そのまま僕に背を向けて出て行った。
 マコトが今のように冷たい態度をとるのは珍しくない。そう、いつものことだ。けれど今日は、どこかそのいつも≠ニ違っていた。ただ、それがどう違うのかが分からなかった。
 僕が何かしたのだろうか。彼を怒らせてしまったのだろうか。僕は一体何をしてしまったのだろうか。
 その日からどうにもギクシャクとした関係が続き、彼との関わり方に初めて悩みを持つ。そうして悩む僕の視界に男に腰を抱かれたマコトが入るのは、それから一週間後のことだった。


 ◇


 同じ学部のアルファで、男。以前から付き合って欲しいと声をかけられていたのだと、マコトはそう言った。
 マコトは誤解を受けやすい人間だ。
 酷い人見知りによる態度の悪さと、歯に衣着せぬ言い方に反発心を抱く者は多く、高校時代の友人といえば僕くらいだった。それは大学に入っても同じで、親しい人間といえば直ぐに僕の名前が上がる程度には、彼の世界は狭かった。
 だが実のところ、彼は非常に優しい人間だった。
 確かに言葉選びは随分と下手で不器用ではあるが、一度心を開けば面倒見は良いし、情に厚い。
 例のあの日だってきっと、僕が前日、瀬名くんと会ったことを知っていたに違いない。そうして僕が、遂に瀬名くんに振られたということも。だからこそ彼は、あんなに早く大学へとやってきたのだろう。僕があそこでああして、独り珈琲を飲んでいることを見越して。
 この広い大学に通っていれば、そんなマコトの隠れた不器用な優しさに気付く人間も少なからず出てくるだろう。そうは思っても、何故かそれが面白くなかった。
 まるで、自分しか知らないはずの秘密を無遠慮に暴かれた様な、そんな不快感に襲われていた。


「僕、彼はやめた方がいいと思う」

 久しぶりに持つことのできたマコトとの時間に、僕は例の彼の話を持ち出した。きっとマコトは嫌がるだろうけど、相手があの男では口を出さずにいられない。
 案の定、僕の言葉にマコトは眉を顰めた。

「はぁ?」
「彼の評判、知らないわけじゃないでしょ?」

 マコトの腰を抱いていた男は、大学内でも有名な遊び人のアルファだった。見た目は確かに派手で見栄えは良いが、一度に何人とも付き合って、それを隠しもしない不誠実の塊のような男。

「知ってるよ」
「だったらどうして彼なの? お付き合いするって、そんな軽い話じゃないでしょう。それに彼、アルファじゃない」

 そう僕が口にすれば、マコトは今度こそ怒りを隠さず舌打ちをした。

「お前さ、ホントなんなの? アルファだからって何なんだよ、俺が誰と付き合おうと勝手だろ? 馨に関係ねぇじゃん」
「あるよ、僕にとってマコトは大切な人なんだから」
「大切な人…?」
「そうだよ、君は僕の大切な親友だ。あんな評判の悪い人、黙って応援なんてできない」
「…親友、ね」

 マコトが喉の奥で笑った。

「俺とアイツの関係は、馨が思うよりずっと軽いよ。お互い本気じゃないからな」
「なに…」

 思わず言葉を失う。まさかあの初心なマコトが、そんな事を言うだなんて。

「俺さ、もう何年も片想いしてる相手がいんの。けどそいつ、アルファでさ、俺のことなんて眼中にも無いわけ。流石にもう疲れたんだよね、希望のない片想いとか」

 マコトが疲れたように笑う。

「別にアイツじゃなくても、これからは誘われたら誰とでも付き合ってみるつもりだよ。だからって馨に文句を言われる筋合いはない。だってお前、俺のこと何も知らないだろ?」
 
 生まれて初めて、呼吸することを忘れた。


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2017/01/03



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