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後編


「俺たち、番を解消しよう」

 三ヶ月ぶりにやって来た発情期を何とか乗り切ったその日、俺は柊に話を切り出した。
 風呂から出てきた柊が濡れた髪を拭きながら俺の言葉に足を止め、こちらを振り向く。俺に気を向けるそんな行動一つが珍しいだなんて、もう完全に終わってる。

 “番の解消”、それは九条先輩に言われたから出した結論では無く、今回、柊に抱かれて決意した事だった。フェロモンにあてられた柊が覆いかぶさった瞬間、俺の鼻孔を突いた別のオメガのニオイ。

『僕は君が欲しいと言ってるんだ』

 九条先輩の言葉を思い出す。
 俺にも愛されて生きる道があるのかもしれない、そう期待した後だったからだろうか…いつもなら我慢できるそれが、今回ばかりはどうしても我慢できなくなった。

「…は?」
「運命だか何だか知らないけど、無理に一緒に居る必要はないと思う」
「なに、言ってんの。そんな事できるワケないだろ?」
「できるさ。知ってんだろ、番解消の新薬出てるの」
「ふざけんなッ! 俺と番を解消したって、その後番を作れる訳じゃねんだぞ!? 一生フェロモンに苦しんで生きてく気かよ!」
「同じ事だろ? 今だって俺は十分苦しんでる」

 柊は驚いたのか目を見開いた。

「今でも俺は、十分お前の浮気に苦しめられてる。考えたことあるか? 毎日他のオメガのニオイが付いた、婚約者のシャツを洗う俺の気持ちを。全く好かれてない相手に抱いてくれって頼む俺の気持ちを、お前は少しでも考えた事があんのか? こんな生活が一生続くくらいなら、フェロモンに苦しめられてた方がずっとマシだ!」
「俺が……全部悪いって言うのかよ」
「…………」

 物凄く激昂していたのに、柊の震える声に思わず俺の思考が停止した。

「抱きしめたら浮気? キスしたら浮気? セックスしたら浮気? ……だったら、他の奴に心飛ばしてんのは浮気じゃねぇのかよ」
「な、なに………ひっ!?」

 凄い勢いで近寄ってきた柊に床へと押し倒された。乾ききらない柊の髪から雫が零れ落ちる。

「辛い…? 辛い訳ねぇだろ、俺の事なんか見てもいない癖に」
「柊、お前なに言って…」
「知ってんだよ、瀬名がずっと九条を好きな事。お前を番にする前から…ずっと前から知ってんだよ」

 俺を押し倒した柊の腕が震えてる。
 怒りなのか、それとも別の何かなのか…俺には全く判別できなくて、ただ怖かった。見たことのない顔を見せる柊が、ただただ怖かった。

「柊…はな、離せ」
「だったら、お前は俺の気持ちを考えたことがあるのか? お前が運命の番って分かった時の俺の気持ちが分かるか? 諦めてたモンが、急に手に入るって分かった時の俺の気持ちが分かるかよ? 信じても無かった神様なんかに感謝した俺の気持ちがッ、運命で繋がれば少しは俺を見てくれんじゃねぇかって期待してた俺の気持ちがお前に分かんのかよッ!!」
「離せよッ!!」

 覆いかぶさっていた柊を無理矢理跳ね除けると、柊は尻餅をついたまま黙って俯いた。

「今さら何なんだよ! そんなの信じられると思ってんの!?」
「………」
「俺が他に心を飛ばしてた? それの何が悪いんだよ! お前が俺を愛してくれなきゃ他で探すしかないだろ!?」
「だってそれはっ、瀬名は九条がっ!」
「幸せになりたいって願って悪いのかよ! 愛されたいって思う事が罪かよ!? 好きだったよ! 初めて会った頃から、アルファとかオメガとか関係ない頃から! ずっとずっと俺は、今も昔もお前の事だけが好きなんだよっ!!」
「はっ、えっ…え、」

 けど、いつだって柊の周りには華やかな奴らしか居なかった。
 幼少期に、ほんの少し他の奴らより先に出会ったからって何なんだ。幼馴染だからって何なんだ。そこに特別を感じられる様なものは何も無くて、隣に居ることを許される理由も見つからなくて。
 柊に俺は釣り合わないからと…そう、諦めるしかなかった。

「ほんの少しですら話す機会もない、いつも遊び歩いてるお前にどうやって好きだって伝えりゃ良かったんだよ。美人ばっかり連れまわしてるお前に、劣等感しかない俺がっ、好きだなんて伝えられるワケないだろ!? ……だから俺は、他で幸せ見つけるしかないって、そう思っ…」

 込み上げたものに押されて泣きそうになった。けど、どうしようもないちっぽけなプライドが邪魔をして、俺を素直に泣かせてはくれない。だが、泣くな泣くなと必死に唇を噛んで涙を堪えていた俺よりも先に……柊の涙腺が決壊した。

「柊…?」
「だっ…て、お前が……瀬名が俺を好きになってくれる、なんて…思わなかッ…」

 普段俺には笑いもしない、振り向きもしない、面倒そうな顔しか見せなかった柊が今、目の前で嗚咽を漏らし涙を零して泣いている。

「柊…」
「好きだよ、瀬名が。始めから瀬名しか好きじゃねぇよっ、他の奴なんか抱きたくねぇよ! けど辛くて…お前が九条をって思うたび辛くて…まさか、俺の事で瀬名が傷付くなんて思ってなかったから…っれだって、………お前に俺を好きんなって欲しッ、」

 子供みたいに泣きじゃくる柊を力いっぱい抱きしめた。
 抱きしめた瞬間から、柊は俺にしがみ付く様に背中に腕を回す。力が強い…。俺の背骨折れんじゃないの? ってくらいだったけど、それが今は嬉しかった。
 だって、発情期以外で触れ合うのは、これが初めてだったから。

「もぉ…何なのお前、バカじゃないの」
「ひっ、ひぐ…」
「俺のは浮気じゃない、そうだろ? だって俺の心はずっとお前にあったんだ。でもお前はそうじゃない。気持ちがあったって、俺以外を抱いっ……抱いたんだっ! それも数え切れないくらい!!」
「瀬名っ!」
「こ、のバカひいらぎぃ! 裏切り者ぉ!! 婚約者が居るのに他の奴抱くとかっ、さいっ、最低だクソ野郎ぉお!!」

 わぁぁあああ。

 結局最後は俺まで泣いた。
 今まで我慢していた分が一気に溢れ出た。けど、泣けば泣く程心は軽くなって、余計に柊が好きなんだって自覚する。

 俺だって嬉しかった。
 柊が運命の番だって分かって、俺だって神様に感謝した。初めて柊に抱かれた夜、本当は嬉しさで泣いたんだ。
 愛されない現実は辛かったけど、それでも、一時でも柊の番になれたことに感謝してた。あれ程諦めていた、自分の運命に感謝したんだ。

 アルファとオメガの番契約が成立するのは、稀に例外は有るものの基本的に合意であることが大前提だ。想い合う心でカラダを合わせ、噛み付かれたその時に出るホルモンが番として目覚めさせる決め手になるらしい。
 だからこそ、俺達は番契約が交わされたあの時に気付くべきだった。
 お互いがお互いをどう想っていたのか…あの時にこそ、気付くべきだったんだ。

「次浮気した時は許さねぇかんな!? 絶対番解消してやる!」
「しねぇよっ、する訳ねぇよ!!」
「絶対だぞ!? 絶対だかんな!? もし今度裏切ったら俺は……お前殺して俺も死ぬ!!」

 そう叫んだ俺に、柊が初めて笑って見せた。






 ――――後日



「瀬名くん、久しぶり」
「お、お、お久しぶりです」

 いつも会うカフェで、いつもの様に笑みを向ける九条先輩の顔が、怖い。

「あの…その節はどうもすいませんでした」
「ホントだよね、期待だけ持たせて」
「ご…ごめんなさい」

 俺は額がテーブルに着く程深く頭を下げた。

 柊との仲が急激に変化したあの日、俺は直ぐに先輩へと連絡を入れた。
 俺は九条先輩が大好きだ。ずっと憧れていた理想の王子様だ。でも、やっぱり俺は先輩を選ぶことは出来ないのだと、俺には柊しか居ないのだと…ずっと柊を想っていた気持ちを正直に告げた。

「冗談だよ、本当は駄目だって分かっていたし」
「え?」

 下げていた頭を上げれば、そこにはいつもの優しい笑みをちょっとだけ悲しげな色に染めた先輩が居た。

「僕だって、伊達に君たちと長く付き合ってきた訳じゃないんだ。彼が瀬名くんをどれ程想っていて、瀬名くんが彼をどれ程想っているかなんて。そんなのとっくに知ってたよ」
「えっ」
「でも、恋は駆け引きって言うでしょ? 僕だって真剣だったんだ、敵にわざわざ塩を送る様な事はしたくなくてさ。ごめんね、ずっと黙っていて」
「先輩…」
「悔しいけど今回は引いておく。もう、付け入る隙も無くなっちゃったみたいだしね……と、ほら、もうお迎えが来てる」

 言われてガラス越しに外を確認すれば、少し遠くからこちらを…と言うより多分、九条先輩を睨みつけてる柊が立っていた。

「アイツ! 家で待ってろって言ったのに!」
「愛されてるね」

 先輩に笑いながら言われて、俺は顔を真っ赤に染めた。

「先輩…今まで本当にありがとうございました。こんな事言うのは無神経だけど、これからもずっと、俺は先輩が大好きです。先輩が居てくれたからここまで来れたんだって……本当に感謝してます」

 ありがとうございました。そう言って俺はもう一度深く頭を下げた。先輩は責めることなく笑ってくれた。早く柊の元へ行けと、伝票をそっと隠して言ってくれる。
 最後の最後まで優しいアルファの王子様。


 貴方はきっと、永遠に俺の憧れの王子様だ。





 灰にまみれた俺の人生。
 嘘とすれ違いに捻じれ曲がった俺の運命。

 美しい物なんて何もなくて、ただ絶望だけが埋もれていると思っていた。けど、そんな汚れた景色の中で今、ほんの僅かだけど光る物が見えてる。
 放って置けば一生埋もれたままのその石ころは、けれども取り出し磨けば光り輝く宝石へと姿を変える。それを生かすも殺すも俺次第。いや…

 俺と、柊次第なんだろう。


END



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