×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
Blue clash *



 大学の入学式で一目惚れしてからずっと片想いしていた青都(あおと)と恋人になり、そして今夜、ついに心だけでなく体も繋げることができた。
 遊び人だと名高い彼との行為は、しかし想像以上に優しく丁寧にすすめられた。初めてであったのに、初々しい躰はしっかりと快感を拾い上げた。
 精魂尽き果てぐったりと横たわる、俺の汗ばんだ髪を青都の長い指が優しくすいている。気怠さを心地いいと思ったのは初めてで、幸せな微睡に意識を委ねようとした。

「そういえば、蒼介(そうすけ)って小宮君と凄く仲良いよね。もしかして元カレだったりする?」

 突然言われた言葉に眠気は一気に吹っ飛んだ。

「え、……は!?」

 小宮は高校から仲の良い親友だ。大学も同じでいまだによく連んでいるが、決して元カレなどではない。

「な、なんで小宮!?」
「いや、なんか距離が近いなって思って?」

 自分を見つめる瞳にも声音にも、何の感情も乗っていないように見える。髪をすく手もずっとそのままだ。怒っているわけではないだろうが、これはまさか嫉妬されている……?
 問いかけに驚きはしたが、普段全く嫉妬とは無関係そうな涼しい顔の恋人に、少しの期待で胸がギュッと縮んだ。

「小宮とはただの友達だよ。心配しなくても浮気とか絶対しないし、青都が嫌ならちゃんと小宮とも距離とるし、」
「なんで? 別にいいよ」
「へ?」

 見上げたその先で、綺麗で涼し気な顔が優しく微笑む。

「別に距離なんて取らなくてもいいよ。ちゃんと最後は俺のところに戻ってきてくれるなら、それは浮気じゃないでしょ? 他で遊んだっていいんだよ」
「……え?」

 遊んだって、いい? それって一体……。

「え、いや……でも、俺の恋人は青都で、俺は青都以外となんて、」
「お互いそこまで厳しく縛ることなくない? 俺も今まで通り適当にやるけど、一番は蒼介だから安心してね?」

 喉の奥が、ヒュッと音を立てた。

「それって、青都は俺以外とも……セックス、するってこと……?」
「ん? んー、まあ、そういう流れの時は?」

 先ほどまで感じていた幸福感の足元が、ガラガラと崩れ落ちていく。

「でも、蒼介以外とはただの性欲処理だからね?」

 恋人がいるのに、性欲処理をしなければいけない意味とは……?
 堂々と浮気容認宣言をされたその場で、本当は別れ道を選べばよかったのだろう。でも、それでも俺はその時、その道に進む勇気が持てなかった。



「あれ、蒼介今日も帰るの?」

 回数を重ねることでだいぶ慣れた恋人との行為のあと、その隣で微睡まないと決めたのはあの日だ。
 初めての嬉しかった気持ちは数分で闇色に塗りつぶされ、幸福を感じるはずの肌の重ね合いは、あれきり俺にとっては愛し合う行為からただの処理と同じになった。

「なんでいつも泊まっていかないの?」

 湿った肌にシャツを羽織る俺の姿を、青都が不満そうに見ていた。
 優しく微笑み俺に『愛してる』と言いながら、その同じ唇できっと別の誰かに平気で口付けをして、その身の奥を暴いているのだろう。

「俺、自分の枕じゃないと寝れないんだよね」

 笑う俺を、美しく整った顔を少し歪めしかし何も言わず黙って見つめる。そんな彼から視線を外すと、痛む腰に檄を飛ばして立ち上がった。

「じゃあ、また」

 あの日、俺の恋心は簡単に壊れて死んだ。
 愛していると囁かれても、見た目にそぐわぬ逞しい腕に強く抱かれても、求められているとは思えなかった。初めてのあの日のような高揚はもう感じない。
 それでも青都から離れないのは。離れられないのは、どうしてなのだろう。

 あの日選び損ねた別れ道への行き方をいま、俺は探しているのかもしれない。





 惨めってのは、俺のために作られた言葉かもしれない。

「いッて……」

 頭の天辺に突き抜けるような痛みに真っ直ぐ立つこともできず、排気ガスで黒ずんだ壁にもたれて歩く。
 今が真夜中で良かった。これが昼間だったら、切れて血の滲んだ口端や内出血で青紫になった皮膚に、通行人たちがギョッとしていただろう。
 きっと、バチが当たったのだ。いつまでもズルズルとみっともなく、かつては『恋』の形をしていた未練にしがみついていたから。

 今日、初めて青都からの誘いを断った。付き合ってからのこの四ヶ月間は当然のこと、付き合う前から俺は彼からの誘いを断ったことがなかった。それに彼が気付いているかどうかは知らないが、俺にとっては勇気のいる一歩だった。

『他であそんだっていいんだよ』

 四ヶ月前のあの日、俺は確かに傷つき恋心が死んだ。しかし人間というのは不思議なもので、ひと目見た時から焦がれ続けていた相手を手放すには、恋を失っただけでは動けないようだ。それどころか、側にいればいるだけ未練や執着が生まれ、死んだはずの心は再び命を吹き返してしまった。
 だが心は元には戻らない。歪んで生まれ変わってしまったそれは、真っ直ぐ彼を見ることなどできなくなっていた。
 いま自分に触れているその熱は、柔らかさは、甘さを含む痛みは、俺ではない誰かに与えてきたばかりかもしれない。
 触れられる嬉しさよりも疑心が勝って、心は冷えていくばかりだった。せっかくの快楽もどこか人ごとのように感じてしまう。
 どこかでまだ諦め悪く期待していた心は、見たこともない影に怯え怯え怯え……結局耐えられなくなり悲鳴を上げた。

『今日またうちに来られる?』
『ごめん、今夜は予定があるから行けない』

 俺も、青都と同じように考えられるようになれば何か変わるのだろうか。最後に戻ってきてくれさえすれば浮気とは思わないと、そう言って別の誰かのもとへ送り出すことができれば……。そうすれば別の道を選ばず、ずっと一緒にいられるのだろうか。
 数時間前、ひとつの決意をもとに一夜限りの相手を探し待ち合わせをした。その選択が例え、愚行の極みだったとしても。







 なんで、ここに。頭の中だけでそう言って、口からは何の音も出なかった。
 満身創痍で二階建てのボロアパートにたどり着くと、二階の俺の部屋の前には男が立っていた。男は手すりに預けていた仕立ての良いジャケットの背を慌てて離すと、深夜にも関わらず足音を立てて階段を駆け降りてくる。まあ、住人は俺と耳の遠いお爺さんと、夜間勤めのオッサンくらいだが。

「蒼介っ、」

 虫の死骸が溜まった古びた蛍光灯に照らされても、良い男ってのは良い男のままなんだなと、駆け寄ってくる青都相手に場違いなことを考えていた。

「なにこれ、どうしたの!?」
「う"っ、いた……」
「ごめっ!」

 服に覆われ見えないが全身に打撲痕があるため、肩を掴まれ思わず呻くと青都が慌てて手を離した。

「ねえ、どうしたの!? 何があったの!」
「青都、外だし、時間遅いから」
「でも……」

 そりゃ驚くのも当然だ。今の俺は、見えている顔だけでも打撲痕と鼻血にまみれているだろうから。切れている口だって少し動かすだけでも痛いし、正直早く横になりたい。

「蒼介……」

 顔を真っ青にしている青都を見て、俺は大笑いしたくなった。馬鹿馬鹿しすぎるのだ、こうして心配されている自分が。

「大丈夫だから」
「どこがだよ! 酷いことになってる!」
「ちょっと、遊び相手を選び間違えただけ」

 青都は言葉を失ったように黙り瞠目した。こんな少ない言葉だけでその意味を汲み取るなんて、さすが遊び慣れてる奴は違うと苦笑する。

「……それって、」
「大丈夫だって。青都と違ってまだ半人前だからさ、ちょっとしくじった。笑えるよな」

 痛む体を引きずって部屋に向かおうとすると、手首を青都に掴まれる。

「待って、どういうこと? 遊びって、」
「意味分かってるのに聞き返すなよ、恥ずかしいだろ」
「蒼介ッ!」

 普段穏やかな男が珍しく怒鳴った。その先で居ないと思っていた夜勤のオッサンの部屋に電気が点くのが見えた。それが青都の目にも入ったのだろう、怖い顔をして俺に視線を戻す。

「とりあえず、部屋に上げて」

 断ろうかとも思ったが、俺の手首を掴む手があまりに冷たくて、結局そのまま二人で部屋へと足を向けた。


 部屋の中に入ってからは、まるで通夜かなにかのようにどちらも話さず無言のままだった。いたたまれなくなって洗面所に逃げ込むと、鏡の向こうから酷い顔をした男がこちらを見ていた。
 蛇口を捻り、掬った水で顔にこびりついた鼻血を洗い流す。
 俺は今夜、見ず知らずの相手とセックスをしにいったのだ。決してアウトローよろしく、何かの集会や抗争に参加したわけじゃない。なのに何がどうすればこんなことになるのか、自分でも情けなくて笑えてくる。

「蒼介」

 洗面台に手をつき俯く俺の後ろに青都が立った。

「蒼介」
「なに」
「話して」
「何を」
「……今夜のこと」

 胃が捻り潰されたみたいに痛んで、吐きそうになった。

「青都はさ……恋人が遊んだ相手の話なんか聞きたいわけ?」

 遊んでもいいよなんて言うくらいだもんな、聞いたって平気か。でも、

「俺だったら、知りたくない」

 青都に向き合い睨みつける。

「青都が遊んだ相手の話なんて、俺だったら聞きたくない。なんで聞くの? なんで放っておいてくんないの? 平気だって言ってるだろ!」
「平気じゃないでしょ!? こんな、こんな酷いことされて」
「じゃあ合意だよ! そういうプレイをしただけ! そういえば満足か!? 酷いことじゃなければ、遊んできても良いんだろ!?」

 自分で言ったくせに、どうしてそんな傷ついたみたいな顔するんだよ。傷ついたのは、今でもその傷口から血を流してるのは、俺なのに。

「蒼介……!」
「触んなっ!!」

 堪えきれずに流れ落ちた涙に伸ばされた手を拒絶する。同情なんてされたくない。馬鹿みたいだけど、そんな自分を憐れんでいいのは俺だけだ。

「俺は、青都と同じになんてなれない。……なれなかった」

 今夜、生まれて初めて知らない相手とセックスのためだけに会う約束をした。青都と同じになれば、いるのかどうかも分からない相手に嫉妬し、怯えることもなくなる。そうすれば、青都と付き合えて幸せだと思えたあの瞬間に戻れると思っていたからだ。でも、ダメだった。
 見た目だけは良い男だった。中性的な青都とは種類の違う男臭いタイプの男前。体だけの関係とはいえ、地味な俺の相手としては贅沢だったのだろうが、共にホテルに入る足は恐怖に震えた。
 緊張で全身から血の気がひき青白くなる俺を男が何度も宥め、それぞれシャワーを浴びて準備が整ったら一気にベッドに倒れ込む。
 男の手がローブの裾を割り、肌に触れた。

『ごめんなさいっ、やっぱり無理です!』

 覆いかぶさっていた男を押し退ける。

『本当にごめんなさい』

 そう言ってベッドから降りたその時。

『お前、何ナメたこと言ってんの?』

 声に思わず振り向いたその瞬間、鼻の奥が燃えるように熱くなった。思い切り顔を殴られたのだと気付いたのは、床に倒れ込んで更に暴行が始まってからだった。

『ブスのくせに拒否ってんじゃねぇよ!』

 散々全身を酷く殴られはしたが、男はそれで気が済んだのか倒れたままの俺を置いて部屋から出て行った。レイプまでされなかったのが救いだ。

「俺は恋人以外とセックスなんてできない。する意味も分かんない。恋人がいるのに性欲処理の必要もないし、それを恋人に許すのも無理だ」

 ここまできて、漸く諦めがついた。どうやったって恋人が自分以外に触れるなんて許せない。許せるわけがない。だって好きなんだ。誰よりも好きで愛しているから、相手にも同じように愛されたい。

「だから、もう青都の側にはいられない。ごめん、もっと早く言えなくて」

 青都の取り巻きたちに、恋人関係が半年もつかどうか賭けにされているのも知っている。だから余計に意固地になっていたのかもしれない。
 あの日、すぐに別れの道を選んでいたら。そうしたら、こんなに無駄な時間を使わせずにすんだのに。
 俺の言葉に青都は何も言わずに俯いたままだ。今更何を言っているんだと呆れているのかもしれない。

「……青都、今夜はもう遅いからまた時間をとって話を」
「いやだ」
「え?」

 聞き逃してしまいそうなほど小さな小さな声だった。

「いやだ、蒼介」

 漸く顔を上げた青都は、静かに宝石みたいな涙を溢した。

「いやだよ、別れたくない。ごめんなさい。ごめんなさい蒼介、俺が酷いことを言った」
「青都……いいんだよ謝らなくて。俺はお前に無理して欲しいわけじゃないんだ」
「無理なんてしてない」
「でも、」

『蒼介以外とはただの性欲処理だからね?』

 俺の心を殺した言葉を思い出す。それだけで胸がぎゅっと握られたように痛んだ。

「してないよ、誰とも」
「え?」
「蒼介と付き合ってから、他の誰ともしてない。ハグもキスもセックスも、全部蒼介とだけ。他のやつとする気なんてないよ」

 そう言われても直ぐには信じられない。幸せの絶頂でつけられた傷は大きく深すぎた。

「でも、じゃあ、どうしてッ!」
「自分でも自覚してなかった。蒼介がどれだけ自分にとって特別なのか、あの時はまだ……」

 今までの、過去の恋人たちと同じだと思い込んでいた。どれだけ自分の心の奥深くに入り込んでいるのかも自覚なく、その身を抱いたことでそれが更に深層へと入り込んでいたことにも気付かず。
 だがどこかで分かっていたからこそ、怖くなって気付かないフリをしたのかもしれない。

「今までこんな風に人を好きになったことなんてなくて、蒼介に入れ込んでいく自分が怖かった。どうしたら良いかわからなくて、戸惑って。落ち着け、何もいつもと変わらないって自分に言い聞かせるためだけにあの最低な言葉を口にした」

『他で遊んだっていいんだよ』

「いいわけない、いいわけがない! 蒼介を誰にも触らせたくないし、取られたくない! 今日だって、初めて蒼介に誘いを断られて……いてもたってもいられなくて……こんな気持ち初めてで……ごめん、ごめんなさい、いやだよ別れたくないっ」

 床に膝をついてポロポロと泣く青都に、吸い寄せられるようによたよたと近づき、同じように膝をついた。

「青都、俺のこと……ちゃんと好きなの?」
「好きだよ蒼介、蒼介しか好きじゃない」
「俺以外からの誘いに、乗ったりしない?」
「しない、全部断ってる。蒼介以外に触りたくない」

 ほんとに? 止まったはずの涙がまた溢れた。
 いつだって怖かった。俺に触れようとするこの唇は、この指は、この肌は、その前に誰に触れたんだろうって。

「臆病でごめんね、蒼介。傷付けて、ごめん」

 ───愛してる

 そっと優しく抱き寄せられる。今度はその手を拒まなかった。拒む理由がなかったから。
 俺の涙を拭うため伸ばされたこの長い指も、俺を抱き締めるこの腕も、そっと近づく唇も。
 手放し失うはずだったものが、気付けば全部全部、俺のものになっていた。






「なあなあ、蒼介ここってさぁ、」
「悪い小宮、もう少し距離とってくれるか? 青都がお前に凄い焼きもち焼いてんだよ」
「え"っ!?」



END





戻る