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天使の卵*



 どれだけ我慢したって、気にしないようにしたって、極力動かないようにしたところで減るものは……減る。
 もしも神様が本当に存在していて、ひとつだけ願いを叶えてくれるというのなら。俺は一生腹の減らない体にしてもらう。そうすればきっと、どれだけ金に困ったところで誰にも頼らず、一人で生きていけるはずだから。

「おい、いつまで不貞腐れてんだよガキ」

 部屋の入り口に立つ男が煙草に火をつけながら、心底面倒そうに俺を睨みつける。
 街中でも簡単に見つけられるほど、周りより頭ひとつデカい長身に、引き締まった体、それにくっつく長い手足。
 筋の通った高い鼻に、女性も羨む白く透き通った肌理細かい肌。
 瞬きするたびにバサバサと音がしそうなほど長いまつ毛に縁取られた切長の瞳は、色素が薄く野性味があり、それに見つめられるとゾクリと背筋に何かが走った。
 人を睨みつけるそんな顔ですら人の心を惹きつけるこの男の美貌は、九年前に会ったその時から少しも変わらない。
 平々凡々を絵に描いたような俺とこの男が、片親だけとはいえ血の繋がりがあるなんて、戸籍でも見せない限り誰も信じないだろう。

「昨日の朝からなんも食ってねぇだろ」
「いらないって言った」
「いいから食え」
「いらないよっ!」

 勢いよく叫んだものの、その声を押さえつけるように俺の腹の中から激しく虫が鳴った。それを聞いた男が声を上げて笑う。

「お前の飼ってる虫は素直で可愛いもんだな」

 頭にカッと血が上り手にした枕を投げつけるが、素早く閉められた扉に当たって落ちた。

「ちくしょう……」

 いつまでたっても、奴にとって俺はただのガキのまま。
 悔しくって唇を噛むと、涙のかわりにじわりと血が滲んだ。


 異母兄弟の兄である瀬尾千聖と俺が出会ったのは九年前。
 俺はまだ六歳で、奴は十四歳。ろくでなしの男が妻を裏切り、他所に女を作り孕ませ捨てた。そうして捨てられた女から生まれたのが俺。
 六歳になって少し経ったある雨の降る夜。俺はダンボールに入れられて、ボロアパートの前に捨てられた。『宝』なんて名前が聞いて呆れる。

 降り注ぐ雨が突然途切れた。
 見上げたその先。少年が傾ける安いビニール傘に、街灯の光が反射してキラキラと光っていた。
 俺を見下ろす瞳に熱はなく酷く冷たく見えるのに、どうしてか吸い込まれそうな感覚に陥った。
 緩慢な動きでこちらに伸ばされた白い手は、間違いなくまだ少年のものだった。それでもそれがとても大きく見えて……縋るように掴めば、とても暖かかった。
 自分を捨てた母の顔も、それまでの生活もなにもかもほとんど覚えちゃいない。それなのに九年経った今でも、あの時見た彼の瞳の色と手の温もりだけは、痛いほどに覚えている。
 
 
「俺のお手製を食ってそんな顔する奴、お前くらいだぞ」

 空腹に耐えかねて、結局用意された食事に手をつけた俺を兄──千聖がニヤニヤしながら見ている。

「……大河は?」
「とっくに帰った」
「あっそ」

 まだ口元を歪めてこちらを見ている千聖を無視して、止めていた手を動かした。
 チキンとジャガイモのトマトチーズグラタン。ガキだガキだと笑うくせに、いつだって食事はそんなガキの好みに合わせて作られている。
 もぐもぐと咀嚼しながら思わず視線を上げると、まだこちらを見ていたらしい千聖の目が細められた。

「大河になに言われたか知らねぇけど、お前は俺の言うことだけ聞いてろよ」

 大河は千聖の友人……というよりも千聖の信奉者で、会うたびに俺に嫌味を言ってくるウザイ男だ。我が物顔でいつもこの家に入り浸っている。
 俺が千聖と出会った頃にはもうその隣に立っていて、なんの特別も持っていないくせに千聖に構われる俺が気に入らないのだろう。
 千聖は自分のモノだと、そう言いたいのだ。

「俺にいうことをきかせたいなら、兄貴もちゃんと約束守ってよ」
「何の話だ、俺がいつ約束を破った?」
「バイトの話だよ!」
「その話はもう終わったろ」
「まだ終わってないッ!」

 フォークを握った手でテーブルを叩く。凄い音が鳴ったのに、千聖は少しも驚いたりしない。

「俺、高校生になったよ」
「知ってる。ちゃんとお祝いしてやったろ?」

 あくまで子供扱いする千聖に唇を噛んだ。

「俺は働きたいって、何度も言ってる。少しずつでもいいから自立したいんだよ」

 中学に上がった頃、同級生が新聞配達のバイトをしているのを知った。だから千聖に相談をした。ほんの少しでいいから、せめて自分の小遣いくらいは自分で稼ぎたいのだと。

「兄貴は言ったよね、お前が高校生になったら考えてやるって」
「ああ、言ったな。それで?」
「約束通り高校生になったのに、なんでバイトしちゃダメなんだよ! 約束しただろ!?」
「俺は考えてやると言ったんだ、やらせてらると約束した覚えはない」
「なっ、」

 なんて、卑怯な。

「……じゃあ、なんで反対するのか教えて」
「ガキは勉強して、友達と遊んで、寝るのが仕事だ。まだ金を稼ぐ必要なんか無い」

 ギュッと、フォークを握りしめた。

「でも、兄貴はもう俺の歳には働いてたよね。あの時兄貴は十四、俺はいま十五。なにが違うのか教えてよ」

 タダをこねる子供を見るような目つきに、いい加減耐えられなくなった。

「ああそうか、違いといえば童貞かどうかか」
「あ?」
「兄貴はまだ俺がセックスを知らないからガキ扱いするんだろ」
「……なに?」

 ずっと変わらなかった千聖の表情が僅かに引き攣る。

「俺が知らないとでも思ってた?」

 俺を拾った少年はあまり裕福な暮らしをしていなかった。俺たちの唯一の繋がりである父親は姿を見せたことはなく、祖父母にあたる老人が時折わずかな金を持って現れる程度だった。
 そんな暮らしに余裕があるはずもなく、ガキが一人増えたところで渡される金は変わりなく。
 間も無くして少年は、嗅ぎ慣れない香りを纏うようになった。それで俺が気付いたか? ……いいや、ぼけっと生きてた俺の耳に、ちゃんと現実を吹き込む奴がいた。

『お前は千聖の犠牲の上で生きてるんだぜ、分かってんのか?』

「大河から全部聞いてた。アイツに斡旋してもらってたんだろ? 兄貴からはいつも、女の臭いがプンプンしてた」

 客を取って稼いだ金で俺は育ててもらった。感謝こそすれ、汚い金だなんて言って責める気はない。だからこそ、だからこそ少しでも早く俺は……。

「足手纏いなんてもうゴメンなんだ!」
「宝、違う」
「何が違うんだよ! 兄貴に体売らせてのうのうと生きてる……もうそんなの嫌なんだよ!」
「宝、落ち着け。もうそんなことしてないし、大河は」
「嫌だ触るなっ」

 伸ばされた手を振り払う。九年前のあの日はあんなに嬉しくて心強くて、暖かかった手なのに、今は触れられたくない。
 我慢できなくなった涙が、目頭から溢れた。兄貴は分かってない。なんにも、分かってない。
 俺には兄貴が全てだった。本当に、その言葉の通りに。兄貴は俺の世界の全てだった。

「たいがたいがたいが。いつだって兄貴は大河ばっかり」

 ほんの少しでいいから千聖の力になりたかった。ほんの少しでいいから、千聖にも俺の存在が根付いて欲しかった。
 ただ守られるだけの存在じゃなくて、支え合える家族でありたかったのに、いつだって千聖は大河に頼る。
 大河の親父さんは裏側の世界の人間だと聞いた。俺たちの親父も似たようなものだから、余計に気が合うのかもしれない。
 結局どれだけ時間が経っても、千聖の隣に立つのは大河なのだ。

「どうせ兄貴に必要なのは俺じゃなくて、大河なんだろ」
「宝ッ!」

 冷え切ったグラタンを残して立ち上がると、珍しく慌てた千聖が追いかけてきた。
 玄関で靴を履きながら首だけで振り返る。

「安心してよ、家出なんてしたりしない。そんなことをしてまたガキ扱いはごめんだからな」
「たから……」
「ちゃんと自分の足で帰ってくる、だから追いかけてくるな。もし追いかけてきたら、二度と戻らない」

 バタンと閉まった扉。
 千聖を背にするのは不思議な感覚だった。いつだって置いていかれるのは、俺だったのに。


 ◇


 見上げた夜空はどんよりとしていて気分が更に暗くなる。
 飛び出したはいいが行く当てもなく、ただ街の中をふらふらと歩き彷徨っていると、後ろから腕を引かれた。

「泣きべそかいてどうしたんだ? 家出少年」
「……大河」

 千聖よりは低いが、俺よりは高い身長。がっしりとした男らしい体格。
 ニヤニヤとした目は千聖と同じなのに、嫌な感じが全然違う。コイツの目は蛇みたいで大嫌いだ。

「何の用だよ」
「大好きなお兄ちゃんと喧嘩でもしたか?」
「どうせ兄貴から聞いて知ってんだろ。で、何しに来たんだよ。まさか連れ戻す気で」
「ナイナイ。お前が千聖から離れるなら万々歳」
「じゃあ俺に構うなよ」

 また嫌な目をしてニタニタと笑う。

「言ったろ? お前が千聖から離れるなら万々歳だって。手伝ってやるよ」
「手伝うってなにを。魔法で俺を大人にでもしてくれるワケ?」

 大河が口端を大きく釣り上げると、白々しく両手を開いた。

「ある意味、大人の階段を登れるかな」




 なるほど、そういう意味ね。
 毒々しい色に囲まれた安っぽい部屋。その部屋の中央にある大きなベッドには、派手な容姿の女性が一人座っている。

「ちょっと、大遅刻した上に連れてきた男がそれ!? しかもその子、どう見ても未成年じゃない」
「いつもは年齢なんか気にしないだろ。やっぱりコイツは好みじゃないか、ダメか?」
「当たり前でしょ、金が絡んでるんだもの。興醒めしたから今夜はもういいわ、また連絡して」

 平凡な俺では金を払う気にはならないらしい。派手な女は俺になど目もくれず、隣を通り過ぎて部屋から出て行った。

「あーあ、客が逃げた」
「俺のせいなわけ?」

 大河が小馬鹿にしたように俺を見下ろす。

「いいや、お前じゃ無理だと最初から分かってたからな。あの女の好みは、千聖のような美形だ」
「だったらなんで会わせた?」
「教えてやりたかったんだよ、お前は女に需要がない」
「はあ!?」

 いくら特徴のない容姿とはいえ、酷い言われようだ。

「普通のバイトじゃ千聖にすぐにバレるぞ。その上大して稼げもしない。大人の階段も登れないしな」
「だからウリをやれって? どういう理屈だよ」
「階段も一気に登れて金も稼げて自立もできる、一石三鳥だろ」
「でも、俺には需要が無いんだろ」
「女にはな」

 今度こそ顔が引き攣った。

「……俺に男の相手をしろって?」
「そっちならお前にもそれなりに需要があるからな。客だって俺がちゃんと選別してやるよ。腹の出たオヤジなんか回さないから安心しろ。ただ、なんの経験もんない処女を売り出すわけにはいかねぇな」
「つまり?」

 大河がいつもの蛇みたいな目をして笑った。




「へえ、なかなかいい体してんじゃねぇか」

 大河が俺の割れた腹筋に舌を這わせる。俺のことが嫌いなはずなのに、よくそんなことができるなと、その光景を他人事のように見つめていた。
 馬鹿なことをしている自覚はある。
 セックスを実際に経験したところで、急に大人として千聖に認めてもらてるなんて思っていない。
 ただ千聖の大切な大河となにか起きれば、少なからず当て付けになるだろうと思ったのだ。それこそ、子供じみた行動なのに。

「俺は兄貴と違って筋肉のつきが悪いから、毎日腹筋して鍛えてる」
「千聖は生きてるだけであの体になってるとでも思ってんのか? お前はちょっと、アイツに幻想を見過ぎだな」

 腹から顔を上げた大河がクックと喉を震わせた。

「昔から変わらない、お前の世界にはアイツしかいないよな」
「信者な大河に言われたくないね」
「……へえ、お前にはそう見えてたわけか」

 首を傾げた俺を面白そうに見ながら、脇腹の皮膚にぢゅっと吸い付いた。
 びくりと跳ねた体に大河が鼻を鳴らす。

「でもなんで急に自立したいなんて言い出した?」
「急にじゃない、ずっと前から兄貴には相談してたよ。もうこれ以上、お荷物になりたくないんだ」
「かわいそうな千聖。全部裏目に出てんな」
「兄貴がなに……?」

 大河はそれ以上何も言わず腹にもう一度キスを落とすと、いやらしい手つきで今度は太ももを撫で上げた。

「まあ、今は千聖のことは忘れて、今夜は頭空っぽにして楽し───」

 最後まで言う前に、ボカッ! と凄い音がして俺の上に大河が倒れ込んできた。驚いて大河を押し退けながら起き上がれば、そこには居るはずのない男の姿が。

「見つけても、手を出すなと言ったはずだぞくそ野郎が……」
「兄貴……」

 全身ずぶ濡れの千聖は、服が捲れ上がって丸出しになった俺の腹を見ると、見たこともないほど顔を歪めた。

「あ、あの」
「来い」
「ちょ、まっ、」
 
 無理やり腕を引っ張り立たされ、ぶっ倒れたままの大河を置いて部屋を出た。
 外は大雨が降っていた。
 千聖は傘もささずに俺を迎えにきたのか。それも、大事な大河を殴ってまで俺を連れ戻しに来てくれた。
 追いかけてくるなと言っておいて、なりふり構わず来てくれたその姿に喜んでいるなんて。これじゃあただの構ってちゃんだ。

「兄貴、ごめん」

 家の鍵を開ける千聖の背中に声をかけるが、返事はない。

「兄貴、」

 だが玄関の中に一歩入った瞬間、強く抱きしめられた。
 どちらも頭からつま先までびしょ濡れで冷たい。だけど重なり合った肌から、互いの温もりが溶け合っていく。
 まるで、九年前のあの日みたいに。

「このクソアホたからッ」
「ご、ごめ……い、痛っ、うわっ!」

 あまりの力の強さに、痛い痛いと千聖の背中を叩くが離されることはなく、そのまま互いの足がもつれて玄関の床に背中から倒れ込んだ。
 何をするんだと抗議するよりも早く、そのまま上に覆い被さった千聖が俺に口付けを落とした。
 ……でも、どうして? 俺と千聖は半分とはいえ血の繋がった兄弟で、千聖の好きな相手は多分大河で……。頭の中は今の状況に混乱しているのに、なぜか胸が熱くなる。
 何度か俺の唇を啄んで離れた千聖が、離れてもまだ触れそうなほど近くにいる。
 間近で見た色素の薄い千聖の瞳が、蛍光灯の光を吸い込んで金色に光っていた。
 冷たくて白い指が、俺の冷え切った頬を撫でる。

「大河にどこまでヤられた」

 まぁた大河か、と思いながらため息をつく。

「まだ何も。ちょっと腹を舐められただけで、」
「クソッ」
「んぅっ!」

 突然俺の頭を掴んだかと思ったら、千聖の唇がまた重なっていた。こんなに何度もキスをされたら、さすがに気付くものがある。

「んっ、んんっ、ふはっ、まっ、まって兄貴……」
「宝」
「兄貴が好きなのは、大河じゃなくてもしかして俺なの?」

 千聖は驚くほど大きな溜息をついて、俺の胸の上に頭を乗せた。

「何がどうなったら俺と大河なんだっ!」
「だって、兄貴はすぐ何かあると大河大河って大河を連れていくだろ! 俺のことは放置で!」
「お前に近寄らせたくねぇからだろ!? 何でアイツのあのいやらしい視線をスルーできんだよお前は!」
「なんだよそれ、知らないよ!」
「ほんと……お前は全然分かってねぇ。俺が一体どれだけ……」

 俺の胸の上に頭を預けたまま、千聖は途方に暮れた声を出した。

「お前が俺に対して、兄弟としての想いしか持ってないのは分かってる。それでも俺は、お前が一番大事で、俺の世界にはお前しかいないんだよ」

 今までも、これからも、ずっと永遠に。
 まるで懺悔のように小さく呟く千聖に、俺だって眉を顰めた。

「兄貴だって、何にも分かってない」

 確かに今のいままで、俺は千聖に対して持つものを、“兄”に対して持つものだと信じて疑わなかった。
 でもこうしてその兄にキスをされ抱きしめられても、少しも嫌悪は感じない。それどころか、兄にとって俺という存在は、あの忌々しい大河よりも上にあったのだと歓喜すら感じている。

「確かに俺は、どうしようもないクソガキだった。でもさ、」

 無力な自分を顧みず、大河の存在にただ嫉妬する子供だった。だけど今日、少しだけその殻を破った。
 どうして嫉妬したのか、どうして求められたかったのか……ようやくその気持ちの入り口に立った気がする。
 どうしようもないほど子供だったけど、大切なものを手放すほどのバカではない。

「俺の世界だって、最初から兄貴しかいないんだよ」

 差し出された手の温もりを感じたあの日から、ずっと兄は俺の特別だった。
 だからこそ、置いていかれたくない。
 隣に立ちたい。側にいたい。
 誰を差し置いても、一番に頼られたかった。

「悪かった……お前をガキ扱いして手の中に置いとくことで、安心してたんだ」

 初めて吐露される兄の本音に、先ほどまで痛んでいたはずの胸が別の痛みに襲われる。それは痛みというには、あまりに甘く切ない。
 自分は兄に大事にされていたのだと分かり嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、たまらなかった。
 離れてしまった兄の顔を両手で掴み、今度は自分から唇を重ねた。

「……俺、ちょっとは大人になった?」
「ガキにエロいことはできねぇからな」

 兄は笑いながら俺の首筋に顔を埋め、柔らかな唇でちゅっ、ちゅと肌を啄んだ。大河にされた時とは違うものを感じながら、大きな兄の背中に腕を回す。触れ合っていない肌は冷え切っていた。

「んっ、ゎ……ふっ」
「冷てぇ、濡れたから冷えたな」
「風呂入ろう」
「一緒に入るか? イイコト教えてやるよ」

 色素の薄い野生的な瞳が、明確な色気を纏ったのをみて俺は思わず吹き出した。

「保護者ヅラしてたくせにいきなりそれかよ」
「他所から攫われたら意味無ぇからな」

 軽々と抱き上げられ風呂に連れていかれるその間、俺はしっかりと兄──千聖の首にしがみついた。
 この人は俺のモノだ。
 俺だって、誰にも千聖を渡す気はないのだ。

「なあ、兄貴」
「あ?」
「俺も大人になったことだしさ、バイトしていい?」
「……ダメ」
「なんでだよッ!!」


 誰かに愛されるってことは……大人になるよりもずっと、難しいことなのかもしれない。

(大河に吸われた腰の痕は、キッチリ上から書き換えられた)


END

2021.06.29




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