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季節外れのリナリア



「頼(より)、夜食持ってきたぞ」

 返事を受けて部屋の中へと入れば、机の上から視線を外した弟がにっこりと微笑む。

「ありがとう、朔(さく)ちゃん」

 爽やかって言葉をそのまま具現化させたような俺の弟、頼。男なら誰もが羨むその美麗な顔も、今は濃い疲れの色を纏っていた。

 俺の弟頼≠ヘ、人として非常に優れていた。
 勉強でもスポーツでも何でも人並み以上にこなしてしまう上、その外見は身内の欲目を抜きにしてもずば抜けたイケメンだった。
 逆に兄である俺はどうかというと、スポーツはなんとか人並み、あとはからっきし。見た目も地味に地味を何度も振りかけたような地味三昧。どこにでも転がっている石っころだ。
 頼がその才能の頭角を表すと、親の関心と期待は直ぐに俺から逸れていった。そこに多少の寂しさは感じたものの、縛られることも監視されることもない自由の味を知ってしまえばそれまでだ。俺はとことんそんな時間を満喫するようになっていた。
 だが、最近それが酷く心苦しい。

 家から通える距離にある適当な大学へと進学した俺は、キャンパスライフとやらを謳歌しまくっていたのだが、俺が遊びまわっているその反面で、今年受験を迎える弟の姿は非常に辛そうに見えた。
 頑張るそばから鞭を打とうとする両親に常に見張られている頼は、高校生という青春まっただ中な時期にいつもテキストとデートしている。
 両親の期待通り名門大学を目指す実力はあるものの、その顔は日に日に疲労を蓄積させていく。
 折角の目の冴えるようなイケメンも、目の下に酷い隈を作れば台無しだ。

「頼、ごめんな…。俺がド阿呆なばっかりに、全部お前に背負わせて」

 頭の中に花が咲いてる、なんて言われている俺も、流石にこんな頼の顔を見れば心が痛む。頼だって、出来は良いが天才な訳じゃない。並々ならぬ努力の上に、今の頼があるのだ。それを一番理解してやらなきゃならない両親が、全く理解できていない。

「急にどうしたの? 朔ちゃんらしくない」
「だってよ…お前、ひでぇ顔してんだもん」
「え、ほんと? やだなぁ…俺いま、そんなに酷い?」

 ちゃんと寝てんのかよって俺が問えば、頼は困ったように笑って手で顔をさする。そんな頼の指先まで疲れているように見えて、俺の胸が更に痛んだ。
 受験は避けて通れない。今の状態の両親に目標ラインを下げるなんて言えば、説得どころか無駄にひと騒動起して、頼の体力が更に持っていかれるだけだろう。それが分かっているから、俺も何も言えない。助けてやることができないのだ。

「受験、早く終わるといいな」

 そうだね、と力なく笑う頼は、一体何を楽しみに生きているのだろうか。

 ◇

「朔、明日これを頼に届けてくれない?」
「なに?」

 母親が黙々と何かを作っていたかと思うと、タッパーに詰めて俺に見せる。

「里芋の煮物。あの子、ちゃんと食べてるか分からないから」

 頼が無事目標の大学に合格したことで、長かった受験戦争も漸く幕を下ろした。そうして今年の春、一人暮らしを始める為に家を出て行ったきり、あとひと月もすれば年末年始の支度が始まるというこの時期まで、頼は一度も家に戻っていない。
 でも俺は、それで良いと思った。
 家から一時間半かけて大学へ通うと言った頼に、一人暮らしをしろと説得したのは俺だ。両親は家から通うことに賛成だったが、それではまた同じことの繰り返しになってしまう。
 今まで散々ひとりで重荷を背負って頑張ってきたのだから、これからは自由に自分の時間を使って欲しい。家のことは、今度こそ俺がなんとかすれば良いのだから。
 一人暮らしの方が頼も勉学が捗るだろうと言えば、それもそうかと案外直ぐに両親は納得し許可を出した。それを頼に報告すれば、頼は何とも言えない顔で俺を見ていたけれど、その時の俺はその表情が何を意味するかなど考えている余裕はなかった。
 少しだけではあるが、漸く頼の力になる事ができたのだと、そればかり考えて浮かれていたから。


 引越しの手伝いをして以来寄り付くことの無かった頼のアパートに、煮物の入ったタッパーをいくつか入れた袋をぶら下げ朝一で向かう。
 久しぶりに会う弟は一体どんな顔を見せるだろうか。寝起きでぼんやりしているだろうか? それとも、また朝まで勉強して隈を作っているだろうか? だとしたら、息抜きに何処かへ連れ出してやらないといけない。
 そう思いながら頼の部屋のインターホンを押すと、カメラ付きのそこから驚いた声が聞こえた。
 朝一番で突然兄がやってこればそうなるのかもしれないが、普段落ち着き払った姿しか見せない弟からは想像がつかなくて思わず笑ってしまった。

「朔ちゃん!?」

 勢いよく開けられた扉から、上半身裸なうえ裸足で弟が飛び出してくる。
 程よく筋肉のついたそれは、俺より何倍も男らしくて綺麗だった。

「よう、おはよう。元気してたか?」

 俺が笑って挨拶しても、頼はまだ呆気に取られたまま固まって動かない。

「これ、煮物とか色々。お前が全然帰って来ないの、母さんたち結構堪えてるみたいだぞ?」

 あれだけ頼を追い詰めていた両親も、これだけ頼が家に寄り付かなくなれば流石に何かしら気付くものがあったのだろう。煩く連絡したり、まして頼のアパートに頻繁に顔を出すなんてことは控えているようだった。

「あのさ、寒いし、ちょっと上がらせてくんない? すぐ帰るからさ」

 なんとなしに、俺は頼を挟んだその後ろの玄関先を覗いた。そうして目に入る、ちょこんと揃えて置かれた女物の靴。
 ハッとして視線を戻した先の頼は相変わらず上半身裸で、よく見れば肩の辺りに薄らと引っかき傷があった。

「あっ…と、悪い! 俺もう帰るわ!」

 頭ん中がお花畑な俺だって、この場の空気くらい流石に読める。
 じゃあなとタッパーの入った袋を頼の胸に押し付けて、慌てて引き返そうとする。が、強く引かれる腕。

「待って!!」
「え…」
「すぐ、片付けるから……帰らないで」

 縋るような頼の声に戸惑いながらもなんとか首を縦に振ると、頼はホッと息を吐いて受け取りかけていた袋を再び俺に持たせた。それを持っているのだから帰っちゃいけないんだと、そう言われているような気がした。
 それから十分後、俺は怒り狂った美人と入れ違いに、弟の部屋へと上がり込むことになった。

「お前さぁ、俺に気を使う必要なんてなかったんだぞ? 悪いのは急に来た俺なんだしさ」

 さっきまであの女性が寝ていたであろうベッドは当然乱れており、ベッド横にあるダッシュボードには隠し損ねた小さな箱がひとつ。その近くに半裸の頼が座っていれば、余計なことを想像してしまうのは仕方ないだろう。
 弟のそう言った面を初めて意識してしまい、気恥ずかしくてポリポリと頬をかいてみるが、頼はなんの反応も見せずに俯いたままだ。
 見た目に似合わず、勉強一筋で来た弟は俺よりよっぽど初心に違いない。そんな頼のことだ、生々しい女性関係が兄にバレたのがよほど恥ずかしかったのだろう。本当に申し訳ないことをしたと、自身に溜め息をついた途端、頼の肩がビクリと跳ねた。
 なぜ、そんなに罪を犯したみたいに怯えるのだろうか。

「あのな頼、そんなに落ち込まくたって良いんだぞ? お前ってばそんな容姿だろ? 本当はもっと早く、彼女のひとりやふたり作ってたっておかしくなかったんだから。むしろ今時じゃ遅いほうで、」
「彼女じゃない」
「だから…って、へ?」
「アレは、彼女なんかじゃない」
「え、あ…そう、なの?」

 え、てことは…セフレ…? 内心飛び上がるほど驚いた。
 あのクソ≠ェ付くほど真面目な弟が、まさかカラダだけの関係を? 嘘だろマジかよって驚いたのは確かだけど、それでも俺は、思わず笑ってしまった。

「頼って、そういう遊びができる奴だったんだ? 何だよ、俺、逆に安心したよ。お前ってば、ちっともハメ外すとかしなさそうだからさ」

 真面目すぎて、いつか暴発するんじゃないかと思っていた。だから弟の意外な一面に驚きはするけれど、それよりも安堵が勝り笑う。が、頼は相変わらず俯いたままだった。

「なんだよ、そんなに恥ずかしかったのか? それともアレか、チクられると思ってんのか。大丈夫だよ、母さん達にはチクったりしないし。なぁ? おい、なんだよ、どうしたんだよ頼………っ、」

 俯く頼の顔を覗き込んで、ハッとする。

「……く…………った」
「え…?」
「知られたく…なかった…」

 綺麗な頼の顔が、酷く悲しげに歪む。

「より…」
「俺、朔ちゃんにだけは…知られたくなかったなぁ…」

 苦し気に笑う頼の頬を、透明な涙がぽろりと滑り落ちた。

 目の前で何が起きてるのか、俺はさっぱり理解できなかった。
 今までどれだけ辛そうでも涙だけは見せなかったあの弟が、いま、俺の前で泣いている。流石に馬鹿な俺でも、これが見られた恥ずかしさから来るものではないと分かった。
 けど、だからといって本当の理由が分かるわけでもない。

「お願い、俺を嫌わないで、朔ちゃん」

 そんなの当たり前だろって、こんなことでお前を嫌う訳がないだろって、馬鹿な事を言うなよって。何度同じ台詞を繰り返しても、頼の涙は止まらない。
 俺は一体、どうすればいいのだろうか。俺は頼に、何をしてやれるのだろうか。

「どんなことがあったって、俺はお前の味方だよ。お前を嫌うなんてこと、天地がひっくり返ったってありゃしない」

 頼が、ゆっくり顔を上げた。

「…本当に?」

 流れ落ちる涙を止めたくて思わず手を伸ばす。その手は再び捕まれて、ぐっと頼の方へと引き寄せられた。
 互いの手を間に挟んで、見つめあう。

「俺を見放したり、しない?」
「当たり前だろ」
「……何があっても?」

 俺を見つめたまま、頼の瞳が一度瞬いた。その弾みで落ちる涙の、なんと綺麗なことか。
 思わず見惚れた俺を逃さなかった頼が、小さく耳元で囁く。

「絶対だよ、朔ちゃん。約束、だからね…」

 握られた手の指先に、柔らかな唇がそっと落とされた。

 俺は弟に何をしてやれるだろうか。
 どうすれば弟の悲しみや苦しみ、不安を和らげてやれるのだろうか。
 そう考えているうちに、頼がひっそりと指先へ落とした種は俺の中へと入り込んでいって、やがて奥深くで根付いた。
 それはあっという間のことだったから、俺は全く気付かなかった。だから、そう。
 
 気づいた頃にはもう、俺の頭の中は咲き乱れた頼の花でいっぱいになっていたのだ。


 END




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