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続・蝶を恋う花【前編】


 ――バンッ!

「亨ちゃぁ〜ん!!」
「ぐぇぇ」
「僕また振られたぁっ!!」
「ハァ…また吉田か。今度は何だって」
「いつもと同じだよぉ! 何か違ったとか! やっぱり無理だとか!! …ふっ、ふっ、ふぇぇえんっ」

 この学園へ来て、もうすぐ半年が経ちます。


 ◇


「ちゃんと聞くから離れろ。オラそこ座れ、今茶ぁいれてやるから」

 半年近く過ごせば寮での生活にもカナリ慣れてくる。
 槙や有澤にも協力して貰い、徐々に“寮監=相談役”としての認識も深まった今では、中々に忙しい日々を過ごしている。
 大体がこの学校には男しか存在しないのだから、乱闘騒ぎなんてのも少なく無く、そんな時は過去の(乱闘の)経験も生かせる。
 案外、悪くない仕事だと思う。

「ちゃんと好きだよって言葉に出すし、いつだって優しくしてるのにさぁ? 一体何が不満なのかなぁ…みんなエッチの前に逃げ出すんだよ、あれなんなのぉ?」

 今目の前で頬をぷぅっと膨らませている男子生徒は、この寮監室一番の常連、吉田である。
 見た目はカナリのチワワ系(生徒に教えて貰った比喩表現)なのだが、実はバリタチ(生徒に教えて貰った専門用語)らしい。

「そりゃあお前…相手はお前を抱く気満々なのに、いざその時になって急にケツを狙われてみろよ。普通ビビるだろ」
「何でだよぉ!誰が僕をネコって決めたのさっ!!」
「仕方ねぇだろ? お前は女顔なんだから」
「けど、亨ちゃんは男前だけどネコじゃない」
「は!? な…なっ!?」
「え、違うの? てかまさか…まだなの? 亨ちゃんと先生って…」

 吉田の悩み相談のはずが、急に自分の話になれば気が動転するのは仕方ないだろう。

「ぃ…ぃや、あの…」
「ぇぇえ? 本当にぃ? もうっ! 付き合ってどれだけ経つの! 一ヶ月くらい?」
「に、二ヶ月…」
「二ヶ月……まぁ微妙なとこか。キスは? キスは流石に終わってるよね?」
「まっ、まぁ…な」
「嘘だ! いま目が泳いだっ!!」

 槙に陥落してから早二ヶ月。付き合う前のアイツと言えば兎に角際どいセクハラが多かったというのに、付き合ってからと言うものセクハラは一切無くなった。
 だからと言って恋人としての営みは皆無で、その上この寮監室へ来ることもかなり減った。
 久しぶりに現れたかと思えば何故か短時間でそそくさと帰って行くことが多く、ここへ来た当初こそ生徒たちから槙との事を弄られもしたが、今となっては弄るネタも無いほどに関わりが少ない。

「冗談……だったのかな…」

 無意識にぽそりと呟いた俺のは一言は、思ったよりも大きく部屋に響いた。

「亨ちゃん…」
「あっ、いや! 今のはその、忘れてくれ…」

 相談に来た生徒に何を言っているんだか…。自分自身が情けなくなり、俯きがちに溜息を吐いた。

「と、亨ちゃん。余計なお世話かもだけどさ、あんまりそういう顔、他でやらないようにね?」

 そんなに情けない顔をしていただろうか、思わず吉田を見れば、何だか頬を赤らめていた。

「ん、どうした?」

 稀に興奮して熱を出す奴がいるので赤い顔を心配して覗き込めば、吉田の顔は更に赤くなる。

「もっ、もうっ! 僕は大丈夫だから!! それより、あんまり悩み溜め込まない様にね? 話なら僕、聞くからさ?」
「え? ぉ、おう…サンキューな?」

 ガキだガキだと思っていても、優しさや心遣いは一丁前に大人な吉田に何だかとても癒されて、思わずへらりとにやけてしまう。

「ぁあぁ……もう本当心配…」
「ん?」
「亨ちゃん、もう少し自分のこと自覚した方がいいよ。危ない。あ、もう行かなきゃ! じゃあまた来るからね!」
「あ? おおっ、」

 バタバタと慌ただしく去って行った吉田の言葉はよく分からないが、今はそれよりも槙の事で頭がいっぱいだった。
 何故付き合うことを了承した途端に、この部屋にも、俺自身にも近づく回数が減ってしまったのか。付き合う前の方がよっぽど関わりが多かったと、考えれば考えるほどに胸が痛んだ。

 先ほど吉田の前で零れた言葉は、正直な自分の思いだった。もしかすると、冗談で口説いていただけだったのに、俺が勝手に勘違いしてしまったのではないか。
 本命が、別にいるのではないか。
 
 その結論に一度辿り着いてしまえば、もうそこ以外の何処へも行けなくなってしまった。


 ◇


「柳瀬寮監」

 一人がっくりと落ち込んでいるところへ、穏やかで色気の有る声が響いた。

「村雨…」

 吉田には、いや、槙にも誰にも相談出来ない悩みが、実はもう一つあった。

「そろそろ、決心はつきましたか?」

 彼奴と付き合い始めて直ぐ、俺は村雨から槙と別れるようしつこく付き纏われている。
 にっこりと微笑むその顔に、幾度となくチワワが倒れる姿を目撃しているのだが…今の自分には底知れない恐ろしさしか感じられなかった。

「盗み聞くつもりは無かったのですが、少々吉田君は声が大きいので。まさか、キスもまだだったなんて驚きです。でもこれで確信が持てた。矢張り貴方に、槙先生は不釣り合いだ」
「……」
「貴方も、愛されてる気はしないのでしょ? キス一つ手を出されないだなんて、ふっ」

 耐え切れず零れた笑い声に、心底嫌悪を感じた。

「俺とアイツの問題だ、お前にとやかく言われる筋合いはねぇよ」
「分からないんですか? 槙先生は自分から言い出した分、別れたいと言えないんですよ。だからこそ貴方から別れを切り出さなくては」
「黙れっ!!」

 生徒との会話とは思えぬ程に声を荒げ、ハッとするも遅い。

「ふふ、そんな我を忘れる程に思い当たる節でもありました? まぁ、時間の問題ですかね。期待してます」

 そう言って薄気味悪い笑みを浮かべたまま、無駄に礼儀正しくお辞儀をしてから村雨は寮監室を出て行く。
 俺はその後ろ姿をただ、黙って見送ることしか出来なかった。


 ◇


「もうすぐ冬休みですねぇ」
「あぁ」
「今年は寮に残る生徒は殆んど居ないみたいですね」
「らしいな」
「じゃあ久しぶりにゆっくり出来そうですね? まぁ、寮監室には変わりないですけど」
「まぁな」
「………」

 似たような返事しかしない俺に違和感を感じたのか、槙がやや訝しんだ顔をする。だが、先ほどの村雨とのやり取りで荒れた心はそう簡単には戻らない。
 人の気も知らないで、と半ば八つ当たり気味に不機嫌を臭わせれば、勘のいい男は直ぐに動いた。

「じゃあ……戻りますね」
「………」

 荒んでいるからって、いつだって一人になりたい訳じゃない。
 機嫌が悪いからって、理由を話したく無い訳じゃない。
 女の子の様に今日あった出来事を全部、彼奴に話せたら良かったのに…。

 静かに閉まる扉は、まるで俺たち二人の間にある大きな壁の様に思えた。



 ◇



『保健室まで、生徒を迎えに来てください』

 そう内線に電話が入ったのは、あれから一週間後のことだ。槙の声では無かったから、誰か別の教員だろうか。

 最近導入された寮監専用の車。
 今までは具合が悪くなり早退することになった生徒は、誰か手の空いている教員が自家用車で寮まで送っていたのだが、これが導入されてからその仕事は俺の役目となった。

「取り敢えず小道具は全部揃ってるな」

 気分の悪い生徒を迎えに行くのだから、それなりの物は用意がいる。例えば、吐き気を催す生徒にはバケツ。だとか。簡単に小道具のチェックを済ませると、俺は足早に校舎へと車を走らせた。

 いつ来てもデカイ校舎だな。そんなことを考えながら保健室に続く廊下を歩いていると、直ぐに目的地に辿り着く。
 今は殆んどの生徒が寮にいる時間帯で、具合の悪くなった生徒以外には多分もう誰も居ないだろう。内線で呼ばれた事も有るしと、いつもならするノックを何故か今日は怠ってドアを開ける。
 普段なら「お疲れ様です」の一言を言いながら椅子から立ち上がる槙の姿はそこには無く、代わりにあったものは。

 色素の薄い、一つに束ねられた長い髪が流れる白衣を纏った背中。その槙の首に巻き付く白く細い腕。
 彼の影からチラリと覗いた顔は、女の子の様に可愛らしいものだった。

 何も考えられなかった。開いたドアもそのままに、俺はクルリと踵を返して来た道を戻る。
 何をしにここまで来たのかも頭からすっぽ抜けたまま、俺は寮監室まで車をすっ飛ばして帰った。

 部屋のドアを閉めた途端、足の力は全て抜け落ちた。ドサリとへたり込んだまま目を閉じるが、鮮明に焼きついた光景は消えてくれない。

 槙がこの部屋に来なくなった理由。
 槙が俺から離れた理由。

 それは矢張り思い過ごしなんかではなくて、確実に俺の勘違いから始まってしまったこの関係なのだろう。
 本当はもっと前から分かっていたのに、気付かなかったフリをしたのは…。俺は槙を、本気で好きになってしまったから。彼奴の涙に絆された訳じゃなく、それよりももっと前に、もう彼奴に落ちていたのだ。

 自分の情けない立場を思うと目頭が熱くなる。もう今日はこのまま寝てしまおう、そう思って立ち上がろうとしたその時。

「柳瀬寮監」
 
 静かに開かれる扉の音と、あの男の声がした。

「………何しに来た」
「どうしました? 泣いているんですか?」

 声の方へ振り向けば、思ったよりも近くにいた村雨に驚く。

「泣いてねぇよ、今日はもう…っ!」
 
 今日はもう帰れ、と言いかけた言葉は、村雨の行動によって掻き消された。無遠慮に近付いた村雨は、強い力で俺の顎を掴むと無理矢理自身へと顔を向けさせる。

「じゃあこれは、水ですか?」
「は? …なっ!?」

 いつの間にか目から零れ落ちた物を、村雨が舌で舐め取った。

「ん、しょっぱい」
「何すんだっ! やめっ!!」

 掴まれた顎の手を振り払おうとするも、その手は難なく村雨に仕留められ、そのままヤツに口付けられる。

「んんっ、んんんっ!!」
 
 ――ガリッ

「ぃった…」

 唇の隙間から滑り込んで来た村雨の舌を思い切り噛んでやり、怯んだ隙を狙って村雨の腕から這い出ようとする。が、

「逃がしませんよ」

 四つん這いで逃げかけた俺は、村雨に足首を掴まれ無様にも床に倒れ這いつくばると、その上からのし掛かられ動きを封じられた。
 喧嘩だったらどんな奴にだって負けたりしない。どんな状況だって打破してやる自信がある。

 しかし

 こんな状況は知らない。
 今までに感じたことの無い恐怖が全身を襲い、身体が酷く重く感じた。

「村雨っ! やめろ!! 何する気だ!」
「こんなチャンス、逃す訳ないでしょ。今までずっと狙ってたんだから」

 村雨の言動の意味が全くわからないまま、俺は信じられない状況を目の当たりにする。

「あぁ、本当にいい匂いだ」

 そう言って村雨は、押さえつけた俺の背中の上から首筋をベロリと舐めたあと、チクリとした僅かな痛みを落とした。

「ぅあっ!? くそ! テメェふざけんなよ!? ぐあっ!!」

 生暖かく湿った感触が気持ち悪い。相手が生徒ということも忘れて思い切り抵抗すれば、後ろから髪を掴まれそのまま頭を床に叩きつけらる。
 鈍い痛みに呻いた、その時だった。


「亨さんっ!!」
「くっ!」

 扉が激しく開いたかと思うと、今まで感じていた背中の重みはあっという間に無くなった。

「貴様ぁ…何やってやがったぁ!」
「亨ちゃん大丈夫!?」

 槙の後から入ってきた吉田に起こされ部屋の様子を見ると、どうやら槙に蹴り飛ばされたらしい村雨は脇腹を抑えてむせていた。更に何かしようとする槙を、思わず止める。

「槙、やめろ! 村雨、早くここから出てけ」
「亨さん!? 何を言ってるんですか! 彼奴は貴方をっ」
「いいからっ! 早く出てけっ、村雨!!」

 俺の言葉に促され、村雨は痛む脇腹を押さえながらぺこりとお辞儀をして部屋を去る。こんな時にまで礼儀正しいあいつに少し笑えた。

「亨さん! 何故帰したんですか!?」

 そう言って俺の肩を掴んだ槙の手を振り払う。

「と、亨さん…」
「迷惑かけて悪かったな、助かった。お前たちももう戻れ」
「なっ!?」
「亨ちゃん!?」
「こんな事があった後で、はいそうですかって帰ると思いますか!?」

 心配してくれているのだろう槙に、俺は逆に苛立った。

 「こんな事が無ければ、お前はさっさと帰るよな。いいよ、今日もいつも通り帰ったらいい」
「亨さん!」
「俺に触るなっ!!」

 もう一度伸ばされた手を、先ほどよりも更に強く弾き返す。

「ちょ、亨ちゃんどうしたの? 槙先生だよ? 村雨さんじゃないから、大丈夫だよ? ね?」

 襲われた事が原因だと思ったのか、吉田が酷く慌てている。

「分かってるよ。俺が槙に触られたく無いだけだ」

 槙の顔色が、一瞬で変わった。

「悪かったな、お前の冗談も分からずに本気になって」
「何の…話しですか……」
「冗談だったんだろ? 全部。俺がマジに取っちまったから、お前も困ってたんだろ」

 でも、それも今日でお終い。

「お前が言えないなら言ってやるよ。別れよう」

 だから、もうここへは来なくていい。そう言って槙の隣を通り過ぎようとした時だった。

「つっ、」

 手首を加減なしに掴まれる。

「何ですか、それ」
「痛っ、は、なせっ」
「何だって聞いてるんですよ!!」
「うっ!」

 そのまま壁に押し付けられ、痛みに顔が歪む。

「私が貴方を冗談で口説いていたとでも!?」
「その通りだろうが!」
「私が冗談で、あんなにみっともなく泣いたと言うんですか!?」
「俺だって信じたくなんかなかったよ!! けどお前……抱き合ってたじゃねぇかっ」
「……へ?」
「今日保健室でっ、女みたいに可愛い男と!」
「えっ!?」

 本当は、ああ言う可愛いのが好きなんだろ? だから困ってたんだろ?

「俺が冗談を本気にしたからっ、」
「待って、待ってください亨さん! 私は冗談で貴方を口説いたりしません! 私には貴方だけですよ!?」
「やめろ! 触るな!! そんな手で俺を触るなぁあ!!」


 ひゅっ

 ひゅっ

 ひゅっ…


 苦しい
 息をしてるのに、苦しい…

 くらりと倒れた俺の身体は、槙によって受け止められた。

「亨さんっ!」
「亨ちゃん!?」
「ひゅっ、ひゅっ」
「ねぇやだぁ! 亨ちゃんどおしちゃったのぉ!? 先生ぇ!!」
「吉田くん! 袋探してっ、紙でもビニールでも何でも良いから!!」


 苦しい…
 苦しいよ、槙…

 何度も振り払ってしまった槙の手を、無意識に求める。

「亨さん、落ち着いて…ゆっくり、ゆっくり呼吸して? 亨さん…」
「先生ダメだどうしよう! 昨日ゴミの日だからって、亨ちゃん全部捨てちゃってたもん! 何にもないよぉ、ふぇっふぇぇえ」
「………亨さん、大丈夫ですからね」

 息を吸っているのに何故か苦しくて、自然と目には涙が滲む。
 滲んで使い物にならなくなった視覚とは別に、妙にクリアになった聴覚は、槙の優しい声を拾い上げた。

「ひゅ、んっ…んん」
「ん…」
「せ、先生!?」

 あれ程苦しかった呼吸は、口に何か暖かいものが触れた途端に楽になる。

「んん……」
「ん、はぁ……亨さん、ゆっくり、ゆっくり深呼吸して下さい」

 唇を解放されると、言われた通りゆっくりと深く吸い込んでから、深く吐き出す。それを何度も繰り返す内に、自然と呼吸も、そして心も落ち着きを取り戻した。

「大丈夫ですか? 気持ち悪かったり、頭が痛かったりしませんか?」
「亨ちゃん、大丈夫?」
「……ん、へい、き」
 
 まだ少しぼんやりする頭で答えると、俺を囲んでいた二人から大きく溜息が聞こえた。

「良かった…亨ちゃん、死んじゃうかと思った」
「過呼吸です、もう大丈夫ですよ」

 少し鼻声になっている吉田を見れば、ポロポロと涙を流していた。

「ねぇ、お願いだからちゃんと話し合って? 亨ちゃん、絶対先生のこと誤解してるよ。それに、先生もちゃんと話してあげて? 亨ちゃんを不安にさせないで?」

 ね? と泣きながら念を押して言われればもう何処にも逃げ場などなく、俺は、ただコクリと首を縦に振るしか無かった。


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