夏色***
聞くだけで暑苦しく感じさせる蝉の鳴き声も、この部屋の高さでは流石に届かない。空調の行き届いた部屋の中でひたすらにパソコンと向かい合いレポートを作成する日々。
周りの浮かれた気分など他人事。しかしながら只今絶賛、夏休み中だ。
◇
「けぇーいとっ、あーけーてー!」
セキュリティばっちりのこのマンションでは目を盗んで忍び込むことは難しく、どんな奴でも俺が許可しなければ上がることは不可能だ。
幼稚園からずっと同じ学校に通う幼馴染のレオは、俺の部屋番号を押した後連打でインターフォンを押しまくる。
暇さえあればここへ立ち寄るレオを制することは中々難しく、弥生と付き合って早々に鉢合わせるだろうと思っていたのだが…予想は大きく外れ、未だに二人は出会っていない。
一応向こうの立場も考慮しているので、例え一番気の置けない仲のレオでも付き合っていることは敢えて話さないでいた。まぁ、バレるのは時間の問題なのだが。
レオが来るとレポートなど絶対に捗らないので、入り口のキーロックを外した後は速やかにパソコンを閉じた。間も無く玄関のチャイムを連打で押されたので、仕方なく鍵を開けに向かった。
「あっちー! 何か飲まして〜」
ドアを開けた瞬間猫の様にスルリと身を滑り込ませたレオは、我が物顔で部屋の中へと上がり冷蔵庫を漁り始めた。
「あれー? けぇーとってビールなんて飲んだっけ??」
レオは折角の整った顔が台無しになるくらいの、間抜け面で首を傾げている。
「それは来客用」
「ぇえー? でもここ、俺以外こないじゃん」
「来てるよ」
「へぇ…」
阿呆な話し方をするが、こいつはとんでもなく頭の回転が速く賢い。ぽやぽやした表情とは裏腹に、現在超高速回転した頭の中で一体どんな関係の相手なのか考えていることだろう。
矢張り、弥生の事がバレるのもそう遠くなさそうだ。
「ちょーっと来ない間に、なんかこの部屋変わったね」
ほら、来た。
「そうか? 何処が?」
とぼけようとした俺にフンと鼻を鳴らしたレオは、キッチンの戸棚から幾つかのグラスや食器を取り出した。
「なぁんだ、女が出来た訳じゃないのかぁ…ざーんねんっ!」
取り出したビールグラスを掲げて眺めた後、ニヤリと嫌らしい笑みを見せた。
(もう相手が男だってバレたな)
部屋の中をぐるぐると歩き回り、時々ニヤニヤと笑みを作る。それを暫く繰り返してから、再び俺の方へと向き直ったレオは。
「もう白状して良くない? どんな奴なの」
殆んど関係性も分かった様なレオに、俺は両手を挙げて降参した。
「多分直ぐに会うさ。相手のこともあるから、勝手に話せない」
「へぇ……凄いな」
「あ?」
再び部屋の中をぐるぐると歩き回り始めたレオは、少し納得のいかない様な顔で首を傾ける。
「俺、お前にはあの人だけかと思ってたんだけどな…俺も見誤る事が有るんだな」
――??
今度の呟きだけは俺にも理解出来なかった。
「おいレオ、それってどういう」
そこまで話しかけた所で、俺の携帯がブルブルと振動し始めた。
振動の種類が電話であったことで仕方なく話を中断し画面を見れば、何ともタイムリーな相手からの着信だった。
「はい」
『よぉ、お前いま家に居るか?』
「うん、居るけど。どうしたの」
『近くまで来てるんだが、寄っても構わないか?』
恋人の家に連絡なしで行く人間も世の中多いというのに、彼は必ず連絡を怠らない律儀な人間だ。直ぐ様「Yes」と答えたいのは山々なのだが、如何せん今はレオが来ている。
一瞬逡巡したものの、まぁいつかは鉢合わせるのだからいい機会だと少し間を開けてから了承した。
その間を“忙しい”と捉えた健気な恋人は矢張り行くのを辞めると言い出したが、そこはまぁ何とか諫めて二人を会わせる事にした。
それが、思わぬ展開を呼ぶことも知らずに。
俺の電話の受け答えで、今まさに話題に上がっていた人物がここへ来るのだと理解したレオは超ハイテンションだ。こんなにテンションを上げたレオを見たことが無く、それはとても珍しい光景だった。
良くも悪くも俺と似た性質のレオは、他人への興味がとても薄い。今まで付き合った何人かの相手にも当然興味など示したことなど無かったのだが、今回は一体何がそんなに興味を引いたのだろうか。
「えっ!? キヨセン!?」
「あさっ、旭川!?」
予想通り二人の反応に、思わず口角が上がった。
「えっ、えっ、まじなの!? まじでキヨセンなの!?」
驚いた事よりも何故か瞳を輝かせてこちらを振り返ったレオに疑問を感じたが、兎に角二人を落ち着かせることを優先させることにした。
「取り敢えず中入って」
「あ、あぁ…」
「まじかよー! ひゃあ〜ッ!」
レオはスキップをしつつ器用にクルクルと回りながらリビングへ辿り着くと、はしゃいだ子供の様にソファにダイブした。
「レオ。もう分かってるだろうけど、俺の恋人」
「お、おい! 良いのか!?」
「レオに隠すことは無理だよ。大丈夫、口の硬さは俺が保証するよ」
「いや、でも…」
何となく言いたい事が分かったので安心させようとした、が。
「キヨセン、心配しなくていーよ。気持ち悪いとか、付き合ってる相手でけぇとを嫌ったりとかしないからさ」
ソファの上でやたら嬉しそうにニコニコしながら言うレオに、弥生もやっと肩の力が抜けた様だった。
「お前…嫌じゃないのか?」
それでもまだ多少不安そうな顔でレオの顔を覗き込む。
「何で? 寧ろ嬉しいんだけど」
「「は?」」
レオの発言に首を傾げたのは俺だけではなかった。
「三年は長いよねぇ、焦れった過ぎて俺が死ぬかと思ったもん」
「なっ!?」
「……レオ」
「やだなぁ、俺が気付いてないとか思ってたのぉ?」
流石に両想いだとは思わなかったけどぉ〜、とケラケラ笑うこいつに俺たちは言葉を失った。
「でもさぁ、一体どうやってくっついたワケぇ? 普通に卒業しちゃったことない?」
そりゃそうだ。進展したのは卒業式を終えた夜遅くなのだから。
その辺りのことを根掘り葉掘り聞かれて慌てる弥生と、物凄く楽しそうなレオ。客人二人をもてなす準備をするために、そっとその場を離れた。
「………」
二十分ほどしてから飲み物や茶菓子を持って戻れば、先ほどよりも二人の距離は心理的にも物理的にも近付いている様に感じた。
「なぁなぁけぇ〜と〜!」
「おいっ、旭川!!」
「い〜じゃ〜ん」
「やめろって!」
きゃっきゃと騒ぎじゃれ合う二人に妙な苛立ちを覚えた。
少々荒い置き方でお盆を置くと、矢張り敏感に弥生は反応して俺をチラリと伺ったのが分かったが、何故かそれすらもイラつきへと繋がる。
「しかしキヨセン、思った以上に可愛いなぁ〜」
「はっ!? かわっ、可愛い!?」
「いいなぁけぇと。ねぇ、たまに俺にも貸してくんなぁい?」
俺の様子を伺っていた目も、今ではレオの発言でそちらへ釘付けになっている。
―――気に入らない
「好きにしたら」
思わず出てしまった言葉だった。
「………」
驚愕の顔で俺を仰ぎ見る弥生に内心しまったと思うが、遅かった。レオがニヤリと笑う。
「へぇ? だってさぁ、キヨセン。……キヨセン?」
気付けば弥生は俯いていて、表情はもう分からなかった。が…
――ポタリ
一瞬でラグに吸い込まれたそれ。
「ごめん弥生、意地悪言った」
慌てて弥生に駆け寄り肩を抱く俺に、珍しく驚いた顔をしたレオ。けれど今はそれに構ってられなかった。
俯いてしまった顔を両手で支えて上げさせれば、予想通りその顔は悲痛に歪み目からは涙が溢れていた。
「弥生」
次々に溢れる涙を親指で拭い宥めるが、流れは中々止まらない。ついに嗚咽まで聞こえ始め、弥生が本気で泣き始めてしまった。
ゆっくり立ち上がったレオは俺と目だけで会話して、そのまま姿を消した。
「ひっ、ひぐっ、ぅえ」
「ごめん、嘘だから」
肩口に顔を押し付けて泣く弥生の背中をゆっくりと摩りながら、俺は心の中で自分自身に大きな溜息をついた。
馬鹿なことを言ったものだ。あんな単純で下らない事に嫉妬して、子供じみた当て付けがましい言葉を吐くなんて。
弥生がどれだけ自分に自信がないか知っていたのに。俺に“捨てられる”と言う有りもしない事を死ぬ程恐れていると知っていたのに。
「駄目だね。弥生の事になると、まともな思考が働かない」
経験したことのない感情に囚われ暴走してしまう。
「きっとこれからも傷つける」
弥生の真っ赤になった目を見ると心がぎゅっと縮む。
「だけどお願い、見放さないで」
嗚咽を宥めるように、優しいキスをする。
濡れた赤い瞳で俺を見つめ、やがて瞳を閉じて全てを受け入れる様に薄っすらと唇を開いた。
余裕を持つことなんて、呼吸するのと同じ位簡単だったのに。弥生と出会ってからは全然上手くいかない。弥生には分からない様だが、俺はいつだって弥生を惹きつけておくことに必死だ。
余裕の有る男でいたい…。笑わせてやりたいのに、不安にさせて泣かせてばかりいる。
だけど、どうしようもなく愛してるんだ。
「んっ、ぁ…古矢…ん、ふっ」
優しい触れ合いはいつしか激しいものへと姿を変えつつあった。
熱を持ちにくい己のカラダは、弥生に触れるだけで簡単に制御出来ない程発熱する。
「あっ、やぁ古矢っ、それッ、あっあっ、やだぁあっ」
弥生が嫌がると知っていて、じゅくじゅくとわざと卑猥な音を立てながら舌で秘所を解してやる。
「あっ、ァアッ、はっあ!あ!」
前も同時に擦ってやれば耐えられないと激しく頭を左右に振った。
「欲しいね、これ」
額に優しくキスを落としながら、自分の昂ぶりを擦り付ける。
期待にヒクつき誘うそこには直ぐに挿れてはやらず、ひたすら擦り付けてやれば弥生は再び激しく泣き始めた。
「やっ! やぁ、古矢っ、古矢ぁ…あっ、あうッ」
欲しくて欲しくて堪らないと、弥生は俺の腰に足を絡めて力を入れる。弥生との間合いがつまり、自然と少し中へ侵入する。
「可愛い。もっと欲しい? 誰のが欲しいの? レオ?」
優しくしてやりたいのに、愛し過ぎてまた意地悪を言ってしまう。
欲しい刺激が全然貰えず泣きっぱなしの弥生は、それでも必死に俺の言葉を理解し首を横に振る。
「やっ、やぁ! ふ、るやっ、古矢のっ、ほし…はやく、早くちょ…だいっ」
泣き腫らした顔で必死におねだりされては俺ももう限界だった。
「堪んない。好き、弥生だけ。俺の全部あげるから、弥生も俺に全部ちょーだい」
言うが早いか思い切り弥生の良いところを擦りながら、最奥に叩き込む。
「ッっ!!!!!!」
「!?」
散々焦らされ極限まで高められていた弥生の神経は、その一度で絶頂を迎えた。
「ぁ…あぁ…ぁ…あ」
足をピンと伸ばして痙攣する弥生は、余りの快楽に焦点が合っていない。それに構わず腰を振る。
奥へ奥へと誘い込む弥生の中。
「はぁあっ、あっ、ぁンッ、ひぁあ、あっあっあぁあ!!」
「誰にも渡すわけっ、無いっ」
誰にも触らせない。渡さない。
「弥生、弥生っ」
「…っと…」
「!?」
「け……と、」
「ッ、」
再び絶頂を迎えた弥生の誘いと、滅多に呼ばれない下の名前を呼ばれた衝撃で俺も達する。
意識を飛ばした弥生の中から自身を抜いて、ドサリと隣に寝転んだ。
弥生の涙が染み込んだラグ。
何度泣かせて来ただろう。
弥生は余りに俺の言葉に左右されやすく、直ぐに傷付き泣いてしまう。
泣かせると分かっているのに、暴走して止まらず繰り返してしまう。
それでも離してやれない。離すつもりもない。
「泣き顔も好きだから、もうずっと泣かせとくか…」
弥生が気にする様に、俺も歳の差は気になる。こればかりはどれだけ頑張っても近づけ様がない。幾ら弥生が子供っぽくても、矢張り大人は大人。年上で有ることを突き付けられることは多かった。
背伸びしても泣かせるのなら、いっそ有りのままで泣かせとくか。
結構酷い結論に辿り着いて呟くと、意識を飛ばしていたはずの弥生の肩が揺れていた。
「お前、悪魔だな」
クツクツと笑っている。
「いいよ、古矢になら泣かされてもいい。でも…」
揺れていた肩が止まる。
「弥生?」
「あんなことは…二度と言わないでくれ」
言われた場面を思い出したのか、眉間にしわを寄せて顔を背けてしまう。
「ごめん」
泣かせるにしてもアレは最低だったと自分でも分かっているから、どれだけ責められても文句は言え無いし、見放されても…文句は言え無い。
やっぱ俺はガキだ。
今回ばかりは落ち込む。声のトーンが下がったことに気付いたのか、弥生が逸らした顔をこちらに戻す。
「落ち込んでんのか?」
顔を覗き込まれて今度は俺が逸らす。
「当たり前でしょ…はぁ、ほんとガキ」
俺が大きな溜息を漏らして頭を抱えれば、弥生はついに笑い始めた。ムッとして弥生を見ると、その表情は想像と違っていた。
幸せそうな、顔をしていた。
「もう十分」
そう言って弥生は俺の髪を撫でた。
本音を曝け出すだけでこんな顔をしてくれるなら、そのままでいるのも案外悪くない。
髪を撫でられながら目を閉じれば、聞こえるはずの無い蝉の声が聞こえた気がした。
END
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