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雨色*


 賑やかな声が夕焼けに溶け込む。
 漸く真新しいシャツがくすみ始めた新入生たちの後ろ姿を見送りながら、明日の休日を思案した。

(いつも俺が招かれるってどーなのよ)



 ◇


 珍しく晴れた昨日が嘘のような土砂降りの中、新入生たちと同じ期間で通い慣れた道を車で抜ける。
 自宅からは一時間半、と言ったところだろうか。明らかに高級そうな住宅街に差し掛かり暫くすると、これまたいかにも高級そうなマンションが現れた。

「今日もご立派ですこと」

 無意味な独り言を呟き、慣れた手筈で許可証をガードマンに見せるとそのままマンションの駐車場へと滑り込む。
 マンション入り口で再び許可証を見せ中に入り、目の前に現れたエレベーター…では無く、もう少し先に有るエレベーターに許可証を差し込んだ。

「はぁ、次元が違うっつの」

 もう幾度となく行って、やっと最近はもたつかず出来るようになったが…自分の住むアパートと比べれば面倒なことこの上無い。だって、自分の住むアパートなんて車を降りたら階段を上がって直ぐドアだ。

 その特別なエレベーターが迎えに降りて来たので乗り込み、アパートでは有り得ない階数のボタンを押した。下の方の階はノンストップなのであっと言う間に降りる階へ辿り着き、この階に唯一存在するドアの前に立つ。
 インターフォンを押せば、慣れない事をしてでも会いたいと思ってしまう相手に出迎えられ、

「もう疲れてる」

 そう言ってくっと笑うその顔に、恥ずかしくも来た甲斐があったと思うのだ。


「昼はまだでしょ?」
「あぁ、どうする? 外行くか?」

 朝も碌に食えなかったので、もう何処にも動きたくない程腹はぺっこぺこだ。その上酷い雨だし、正直外へ行くのは面倒だと思った。

「パスタなら直ぐ作れるけど」
「あ、じゃあそれで」
「了解」

 俺をリビングのソファに誘導した後、スっとキッチンへと向かう後ろ姿。
 耳には昔と変わらず装飾過多にピアスが連なっているが、髪の色は黒く高校時代の金髪など微塵も残ってはいない。
 スラリとしたスタイルに纏った衣服は七分袖のTシャツにスウェットと言う至ってラフな部屋着なのだが、妙にオシャレに見えるのは何でだろうか…誰か教えてくれないか。

 髪を黒く戻したことで、彼奴の雰囲気は更に大人びたように思う。昔の危うい雰囲気はなりを潜め、簡単に言えば色気がダダ漏れだ。
 彼奴がまだ生徒だった時にモテまくっていた姿を散々間近で見て来たが、きっと今はその比では無いだろう。

 恐れていた彼奴の瞳の奥の冷たさは有難い事に俺へと向けられることは無かったが、“友人”と“俺”以外の者には容赦無く突き付けられている。
 勉強が出来て頭の回転も早く賢い。見映えも人並み以上のそれまたそれ以上で、タッパもスタイルもモデル並みなのだから放っておいても人は光に群がる虫の様に寄ってくる。
 そんな中、なぜ彼奴の様な人間が俺を選んだのか未だに不思議で仕方ないが、聞く勇気も無ければ知る勇気も無い。

 細身に見えるが実はしっかりと筋肉の付いた白い腕がフライパンを振っている。振る度に浮き上がるその筋を、思わずうっとりと眺めた。

(何をやっていても絵になる奴だ)

 ハッキリ言おう。俺は古矢にベタ惚れだ。
 基本は無気力に見えるが行動力は十分に有り、俺に対する事に関しては割りと強引なところだとか、興味のない人間にはカナリ冷たいのに、俺に対しては自分から関わりを持とうとして来るところ。
 俺を甘やかす事が酷く上手く、共に過ごす時間が擽ったくも心地が良いこと。

 まぁ、彼奴に惚れない奴など存在しないとも思えるが、俺自身あまり人に依存するタイプでは無かったことから今の感覚をとても珍しく思う。
 古矢に捨てられないか不安だし、怖い。だからこそ何故俺を側に置くのか気になりはするが、臆病な俺はそれを聞く勇気を持てないでいる。

「お待たせ、そんなに腹減ってた?」
「え?」
「作ってるの、ずっと見てたろ」

 ニヤッと笑われ、俺の顔はかぁぁあっと血が昇って熱くなる。こいつはきっと、俺が自分に見惚れていたことに気付いてる。分かっていて敢えてこんな意地の悪い事を言うのだ。けど、困ったことにそんな意地の悪い所にもまたクラっと来てしまうのだから、俺も大概だ。
 目の前に差し出された料理を見て、あれ? と思った。

「なぁ、お前は食わないのか?」

 用意された食事の皿は俺一人分。古矢はと言うと、俺の分だけをテーブルに置くとそのまま隣のソファに座り再びパソコンと向かい合ってしまった。

「ん? あぁ、朝しっかり食べたしね。このレポートだけ終わらせたいから」

 カタカタと入力し始めた音が部屋に響き始めたのを聞いて、俺は無意識に溜め息を付いた。
 大学に入ってから、古矢は本当に忙しそうだ。それこそ俺などに構ってる暇は無い程に。それでもこうして週末になると古矢の家に招かれるのだが…少々心配になる。
 ちゃんと飯は食っているのだろうか。忙しい相手に飯を作らせてしまった俺は、本当に邪魔では無いのだろうか。
 出された食事に手を付けずぐるぐると悩んでいると、ふっと笑う声が聞こえた。

「心配しなくて良いよ、邪魔だったら始めから呼ばない。直ぐ終わるから待ってて」

 俺の頭ってスケルトンなんだろうか。悩み事などお見通しだった。
 古矢は何をやらせても完璧だと思う。作ってもらったトマトベースのパスタはどこの店よりも美味かった。これをあんな短時間でササっと作ってみせたのだから驚きだ。
 しかも古矢自身が出来合いの物が嫌いな事もあって、料理をする時はソースやら何やらが全て手づくりなのだ。

 満腹になったところで、せめて洗い物だけはと調理器具などと一緒に食器を洗った。
 こんなマンションなんだ、当然食洗機なんて物もあるが使い方が分からない。手洗いが一番信用出来る、と言い聞かせている。
 俺好みの雑誌をラックから抜きとりソファに戻ると、一際強い雨の音が聞こえた。先週梅雨入りしてからと言うもの、殆んど晴れ間が見れなくなった。
 窓の外を見れば空は相変わらず重そうな濃い灰色をしており、雨は上がる気配を見せない。窓を打つ雨の行き先を追って視線を下げると、ベランダに小さめの鉢植えが三つ並んでいた。

(あれは…紫陽花か)

 何事にも無頓着そうな古矢の家に、植物が有ることにまず驚いた。この家はとんでもなく広いが、住んでいるのは古矢一人。つまり、貰ったにしても買ったにしても古矢の意思で紫陽花はあそこに置いてあるのだ。
 何となく古矢の意外な一面を見た気がして、強い雨に打たれて苦しそうにしている紫陽花を暫く見つめていた。


 ◇


「終わったよ」

 背にぞくりと来る声が耳へと入り、深いところから引き戻された。

「ぁ…、すまん、寝てたか」
「いいよ」

 入学式から二ヶ月。まだまだ小忙しい日々は続き、残業もザラだ。
 疲れているかと言われれば正直クタクタだが、それは古矢にも当てはまること。もう一度謝罪をと口を開きかけたその時。

「ん…」

 体温の低さを感じさせる細い指が、俺の前髪を掻き揚げ肌を擽った。何度も何度もそれを繰り返され、その心地良さに再び瞼は重くなる。

「ねぇ、腹減った」
「ん…?」
「ちゃんと食べてるか、心配なんでしょ?」
「ん……心配」

 トロトロと微睡む意識の中で、問いかけに何とか答える。

「じゃあ、ほら、戻って来て。食べさせてよ…ガッツリね」

 そのままソファに押し倒され、漸く何を求められているのか理解する。が、この少し肌寒い部屋の中で冷たいはずの古矢の体温に温もりを感じ…俺の肌は期待に粟立った。

「ふ…ん、ぁっ」

 焦れったい刺激に背を逸らし首を振る。羞恥の涙でぼやけ始めた瞳は、ふとベランダへと向けられた。
 いつの間にか雨は上がり雲の隙間からは光が差している。

「ぁ、ぁ、古矢…なんで……」

 翻弄されて朦朧としてきた頭は、口にするつもりのなかった言葉を漏らしかけ慌てて口を噤む。だがぴたりと止まった指に、聡い古矢が感づいた事がわかりどうしようもなく後悔が溢れた。でも…

「そりゃ、弥生だからでしょ」
 
 その言葉に零れた涙は、古矢の唇へと消えた。



 紫陽花の葉から静かに落ちた雫は、虹色をしていた。


END


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