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「#幼馴染」のBL小説を読む
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卒業


「終わったか…」

 物音一つしない体育館を眺めた。
 何度経験しても虚しさと寂しさが募るばかり。どんなに生徒を可愛がっても、新しい場所に移ってしまえばここでの事など、ましてや教師の事など直ぐに忘れてしまうのだろう。

 ボールの弾む音。
 シューズの擦れる音。
 笑い声。

 どの好きな音もパタリと止んでしまうこの時期が、俺は、大嫌いだ。







「クラス持ってる先生方は大変ですよねぇ〜」

 ぶぁっと大きな欠伸をした後輩の高科は、本当に他人事のように呟いた。
 今日は卒業式だった。
 式が終わった後も殆んどの教師がバタバタと忙しい中、体育教師の俺と高科は教官室でぼけっとしている。やることが無い訳ではない、まだ在校生も居るのだから。
 けれどクラスを受け持っている教師に比べれば、明らかに暇だな方だろう。

「今回の三年生達は、本当に異色揃いでしたよね」
「あぁ」
「もう彼奴ら居ないのかぁ…静かになりそうだなぁ」
「…そうだな」
「寂しくなりますね」
「………」

 そう。あの視線に晒されることも、もう無いのだ。高科のその言葉に俺はゆっくり目を閉じた。


 その年の入学式は異例だらけだった。
 県内トップの進学校。百人程の新入生の中のたった一人が、学校中の度肝を抜いた。
 新入生代表の挨拶は、本来入試でトップになった生徒が行う。その年の挨拶に立った生徒は、七三に眼鏡をかけた“真面目”を具現化させたような子だった。
 たが、実の所あの場へ立つべき生徒はあの子では無かった。本来あの場へ立つべきだったのは…。

 真新しい学ランを既に着崩し、中に着たシャツはカラフルな柄物。髪は極限まで色の抜けた金髪で、襟足を刈り上げ洒落た髪型をしてしる。
 かかった髪の隙間からチラリと見えた左の耳には、これでもかって程のピアスが並んでいた。
 派手なのはその身なりだけではない。

 今時の小顔な輪郭の中のパーツは全てが黄金比で配置されている。
 切れ長の目を中心に、スッと通った鼻筋。薄めの唇の口角はやや上がっており、意思の読みにくい表情を浮かべていた。
 そう、彼こそが今回の新入生代表になるべき人物。入試トップの生徒、古矢圭斗だ。では何故古矢があの場に立たなかったのか。
 その理由は簡単だ、古矢が断ったのだ。そんなものをやる位なら学校を辞めるとまで言って。

 彼を見た生徒は男女問わずみな頬を赤らめた。それは生徒だけにとどまらず、教師までもが見惚れていた。
 彼ほどでは無いにしても、彼の周りにいる数人も整った顔立ちをしており服装も目立つ。だが矢張り古矢圭斗を越える者はいなかった。
 周りの反応を他所に、俺はただ、恐ろしかった。
 
 誰も気付かないのか、瞳の奥の冷たさに。
 
 動揺を隠すために俯いて、ひたすらに式が終わることだけを願った。あの鋭い瞳が、自分を捉えているとも知らずに…。




 時計の針は午後八時を指していた。誰も居なくなった教官室の机でひとり、未だぼうっとしている。
 高科はとうの昔に帰った。卒業式の日は部活も休みだから、あっという間に人気は消えた。
 鍵当番とは言え、この時間まで残る必要は何処にもない。ただ身体が動かないのだ。入学式に向けての準備資料を手に、作業は時間だけを進めていた。

 浮かんでは消え、消えては浮かぶ一人の存在が思考の邪魔をする。
 突き刺さるような、纏わり付くようなあの視線が無くなる事にホッとしたのは事実だ。なのに、何故か胸元を掻き毟りたくなるような焦燥感に襲われている。それは時間が経てば経つほど強くなり、俺はここから動けないで居る。

「あんな子供一人に何を…」

 自分の不甲斐なさに思わず漏れた一言は、空気に溶けて無くなる……はずだった。

「誰がこども?」

 その声に驚いて振り向けば、そこには居るはずの無い人物、俺の思考や心を乱す元凶が立っていた。

「っ!! 古矢っ!?」

 動かなかった身体は、驚いた反射で椅子をぶっ倒して立ち上がった。古矢は入り口に立ったまま壁にもたれ掛かり、腕を組んでジッと此方を見ている。
 そう、あの強く纏わり付く様な視線を俺へと向けて…。

「な…何してるんだ、こんな所で」

 必死で絞り出した声は情けないことに少し震えていた。

「それはこっちのセリフ。こんな時間まで、何やってんの?」

 言われた言葉にハッとして、もう一度時計を見てみれば既に十時を過ぎていた。作業も全く進まぬまま、ただ悶々としていただけであれから更に二時間も過ぎていたのかと思うと頭を抱えたくなった。

「…もう帰るさ」

 慌てて書類を片付けながら答えると、古矢は「そう」と軽く言ったきり黙った。黙ったが入口からは動かない。
 俺から目線も外れた様だが、その場から去る気は無いようだった。

(早くここを出なければ…)

 再び訪れた静寂は、先ほどのように思考を飛ばさせることはなかったものの妙な心地悪さを与えた。
 古矢が何をしに来たかなどこの際どうでもいい。そんな事を考える余裕など無い。早くここを離れなければ。
 早く、早く、早くっ!!

「あっ!」

 取ろうとした鞄はドサリと床に転がった。手を滑らせた訳では無い。伸ばした右手が古矢に捕まったのだ。

「何を慌ててるの」

 抑揚の無い声が耳元で低く響けば、僅かな空気の揺れが肌を擽りぞくりと背筋に何かが走る。

「まだ逃げるつもりなの?」

 後ろから抱き締める形で、俺の左腕の下から古矢の左手が差し込まれ腰を固定される。右手首を掴む手も、腰に回された手も、決して強い力ではないのに抵抗出来ない。

 力が…入らない……

「望んでいるのに?」
「な…何の、ことだ…」

 か細い俺の声を嘲笑うかの様に喉を鳴らした古矢は、腰から手を外すと次は顎を捉え、俺の首筋に頭を埋めてチクリとした痛みを与えた。
 
「ひっ」
「俺は三年待った。先生も、三年待った」
「なっ、なに…わっ!?」

 急に机へと後ろから押さえられ、右手は指を絡め縫い止められた。

「無かった事にしたいの?」
「古矢っ」
「違うよね、それならもっと早くに出来たはず」
「古矢っ! ふっ、ぁ…あっ」

 首筋から耳を嬲られれば、なけなしの力も簡単に抜けた落ちた。

「俺の視線に気付いてたでしょ。それが持つ意味も」
「……」
「先生は常に逃げ道を探してる。でも本当は逃げたくない、違う?」
「ぁ…」
「逃げたくないけど、怖い。だけど捕まえて欲しい。…難しい人だね」

 クスッと笑った古矢は一度身体を離し、俺はホッと息を付く暇もなく身体を反転させられる。
 机と古矢に挟まれ、互いの顔は唇が触れ合いそうな程に近付いた。何とか奮い立たせた力で古矢の胸元を押し返すが、あまり効果はない。

「先生の逃げ場は全て潰してきた。男同士の問題は使えないよ。俺は先生の過去を知ってるからね。頼みの綱は……今日、崩れた。俺はもう生徒じゃない」
「ふる…や…」

 どうしたらいい。胸が…焼き切れそうだ…。
 いっぱいいっぱいの頭の中に響かせる様に、古矢は耳元で囁く。

「踏み出すのが怖いなら、俺が手を引いてあげる。本気で嫌なら今すぐ俺を殴って逃げて。でも、抵抗しないなら…」

 ジッと熱く見つめられる。その先なら言わなくても分かってる。
 俺は力を抜いて古矢の胸元から手を外した。そんな俺の意思を汲み取った古矢は、「いいの、これは最後の砦なんだよ?」と念を押す。

 先ほどまで強引とも取れる態度だったのに。結局こいつは、臆病な俺にちゃんと逃げ道を残してくれるんだな。けど今は…そんな優しさ欲しくないんだよ。
 着痩せして見える肩に頭を預けた。

「もう……いい加減捕まえてくれ」

 その言葉に再び古矢が可笑しそうに喉を鳴らすと、俺の預けた頭をもっと肩に押し付けこう言った。

「もう、先生なんて呼ばない。逃がさないよ、………弥生」


 卒業と同時に始まったのは、もう逃れることのできない…


 灼熱の恋。


END


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