麻の中の蓬
ギッ ギッ ギッ ギシッ ギッ
『ぁッ…あっ…あんっ…ぁ……ゃあぁッ』
「…………」
共有フロアに脱ぎ散らかされた服や、放り投げられ中身が出てしまっているカバン。聞きたくもないのに漏れ出る大きな喘ぎ声とベッドの軋む音。
毎日のこととは言え、このカオスに慣れる事など出来そうにもない。いや、慣れたくもない。けど慣れた方が楽になれる気もする。
出るのは溜息ばかり。
その内精神的に参ってしまって毛根もろとも死に絶えてしまうのではないかとゾッとして、優しく自分の髪を撫でた。
入学して半年。
漸く慣れてきたこの学園での生活で、未だに慣れないこの同居生活。
全寮制だと分かっていたし、一人部屋なのは主に役職持ちだけだと言うことも有名だから知っている。
だからちゃんと覚悟してきたつもりでいたのだけれど…。
「こんなのが同室だなんてついてない…」
いや、もしかしたらどの部屋もこんなものなのかもしれない。
それ程この学園の特色というものは異色なものなのだ。
聞きたくもないのに入ってくる雑音を意識的に頭の外に追い出し、床の上に散らばった衣類から拾い上げる。
明らかに今の状況に至る為に脱がれた衣類には下着まで含まれており、しかも二人分ある。
「………」
もう言葉も出てこない。
下半身の緩いあの先輩(と、毎回違うその相手)は、部屋に行く前にこの共有フロアでイチャイチャと服を脱ぎ捨て、生まれたての姿で部屋に雪崩込むのが毎度の流れだ。
何故共有フロアで服を脱ぐのか、何てことは考えない。考えても無駄だからだ。多分聞いても碌な答えは返ってこないだろう。
今日はまだ色々とマシな方で、部屋のドアすら閉まっておらずモロに行為を見てしまったのはまだ記憶に新しい。
まだ鳴り続けているベッドの悲鳴が聞こえるドアの前に、簡単に畳んだ衣類をそっと置き、悲鳴が鳴りやんだ後に求められる物の用意にかかる。
自分でも一体何をやっているんだと泣きたくなる。
下半身の緩い同室者の為に、珈琲を入れているのだから。
自室に戻って本を読んでいると、微かにドアの開閉の音が聞こえた。
(やっと終わったか)
ふぅ、と一息ついてから少しだけ時間を置いて、部屋を出た。
「太一ぃ、喉渇いた〜」
「今持ってきます」
一仕事してきましたみたいな時田先輩の顔に若干イラっとしながら、先ほど落としておいた珈琲を準備する。
激しい運動のあとは冷たい飲み物の方がいいだろうと思うのは俺だけで、先輩はいつも熱い珈琲を欲しがる。
「どうぞ」
「ありがとぉ」
共有フロアにある、アイボリーのふわふわソファにゆったりと座る先輩の横には、今は誰もいない。
「相手の方は?」
「もう帰したよ」
「………」
本当にこの人は…と、またもや溜息が出そうになるのをグッとこらえた。
先輩は、ヤる事を済ませた後はかなりそっけなく相手を突き放している。
毎回相手が違うのも同じ理由なのだろうが、必要以上の馴れ合いを良しとしない。
あれだけ深い部分で繋がっておいて、馴れ合いも糞も無いだろうと思うのだが、遊び人の考えることはよくわからない。
「あんた、いつか刺されますよ」
「かもねぇ〜」
何を言っても無駄だということはこの半年で十分知ることができたので、それ以上は何も言わない。
ポンポン、と自分の隣を軽く叩いて見せた時田先輩の意思を汲み取り、軽く溜息をつきつつも彼の隣に腰を下ろし、苦い珈琲を一緒に飲んだ。
時田先輩の相手は、一年生から三年生、はたまた学校の教師や臨時講師などにも手を伸ばす雑食で、見た目さえ自分の好みに合えば何でも食っとけ精神。
そんな先輩は何故か役職も持たないのに一人部屋だったようで、新入生が同室になると分かったときは、それはそれは大騒ぎになったらしい。
一体何日で先輩に喰われるか、賭けになったほどだ。
いや、何分…いやいや、何秒…だったかもしれない。
しかし、残念ながら賭けは賭けとして成り立たなくなった。
『喰われない』に賭けた者がいなかったからだ。
短期間で喰われる予想をはるかに裏切って俺は、未だに先輩に手をつけられずに純潔を守っている。
先輩の相手はいつだってチワワみたいに小さくて可愛い、女の子みたいな奴らだった。はたまた、身長はあっても細身で美人系か。
それに比べて俺は、剣道部所属のバリバリ体育会系。身長も日本人男性としては平均よりカナリ高めだと自負している。それこそ先輩よりも上背があるのだから、いくら雑食とは言えこんな俺に彼が手を出すはずがない。
初めの頃こそチワワ集団の嫉妬に面倒な思いもしたものの、今となっては敵として認識すらされない対象に成り下がってしまった。
むしろ最近では、あの部屋で行為に及び直ぐに帰らずに居ると、俺の入れた『幻の珈琲』に出会えるとか言う訳のわからない話が出始めていた。
だが、幻と言われる理由もわからんでもない。
それは先ほど見て頂いた通り、先輩は相手を直ぐに帰してしまうからだ。
要はタイミングだけの問題なのだが、それが先輩の相手にとってはとても難しい問題らしい。
相手と一緒に飲みたくないのだろうか…
その癖どこかかしらで「ヤった後の太一の入れた一杯は最高だね!(オッサンかよ!!)」と余計な事を言っているものだから、彼が事後俺の入れた珈琲を嗜む事は有名になっている。
ただ、飲んでいる姿を見た人が居ないだけなのだ。
「先輩のせいで、俺の入れた珈琲に変な異名付けられてるんですけど」
「あはは!!」
「笑い事じゃ無いですよ。今日もクラスのチワワ達に囲まれて、根掘り葉掘り探り入れられたんですからね?」
「まぁまぁ〜。あ、ねぇ、新しい噂は聞いた?」
「新しい噂…ですか?何ですそれ」
「あ、知らないんだ。じゃあいーやぁ」
「?」
「ま、アレは噂ってか……事実なんだけどね」
みんな鋭いよなぁ〜なんて言いながら二杯目の珈琲を強請る先輩。
この時俺は知らなかった。
“時田先輩と一緒に珈琲を飲める者こそが本命である”と言う新しい噂を。
そして気づかなかった。
自分がいつも、先輩と一緒に珈琲を飲んでいる事実に…。
先輩の本命が誰なのか。
知るのは、
もう少し先の話。
END
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