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続・きみがいてくれることで。


※本編はこちら



 三十数名が押し込まれた箱の中で、たったひとつだけ、スっと背筋を伸ばし座る背中があった。この学校で、鬼の風紀委員長と呼ばれている男のものだ。
 彼の周りには、いつだって独特の空気が流れている。どこか洗練されたその空気が居心地悪いと、冷たいと感じていたのは、つい数日前までのこと。今は、全く違う。

「ねぇ、相澤」

 昼休みになったというのに、授業中と変わらない姿勢を保つ背中に声をかけた。

「昼飯一緒に食おう」

 その声で漸く動いた、形の良い頭。まるで彼の性格をそのまま表したかのような、真っ直ぐで癖のない黒髪がさらりと揺れる。

「ここで食うか?」
「天気いいし、外行かない?」
「ああ、」

 カバンの中から、丁寧に包まれた弁当箱を取り出す相澤。そんな仕草ひとつで、彼の育ちの良さが何となく窺い知れた。彼の動作はいちいち綺麗なのだ。
 見た目だって、情け容赦ない風紀の仕事さえなかったら、女子たちが大騒ぎするような綺麗な容姿をしている。いや、多分隠れファンが多く居るに違いない。

「お前、またコンビニのパンなのか?」

 廊下を歩いていると、俺の手元を覗いた相澤が眉間に皺を寄せる。そんな彼に俺は肩を竦め苦笑した。

「仕方ないだろ? 母さんが料理嫌いなんだよ」

 家の食事はもっぱら買ってきたお惣菜だし、弁当はサボれるだけサボる、と言うのが俺の母の信条だ。とは言え、正直毎日菓子パンってのは流石に飽きるし弁当が羨ましい。
 そんな考えがバレたのか、俺を見た相澤がスっと目を細めた。

「じゃあ、俺の弁当を食え」

 相澤はどうってことないって顔で、自分の弁当箱を俺に差し出した。だけど俺はおののいてしまう。

「ええ!? ダメだよ、昨日も交換してくれたのに!」

 そう。こうして昨日もパンを握りしめていた俺に相澤は、自分の弁当を渡してくれたのだ。

「南は今日も部活があるだろう? 昼はしっかり食っておかないと息切れするぞ」
「いや、でもそれは」
「気にしなくて良い。実は最初から、ふたり分あるんだ」
「え?」
「南が昨日くれた感想を母に話したら、随分と喜んでた。それで今朝起きてみたら、弁当箱が二倍になってたんだ」
「ええ!?」

 思わず相澤を凝視する。そんな俺を見返して、相澤は優しく目尻を緩めた。

「一緒に食おう。その方が母も喜ぶし、俺も嬉しい」

 相澤の笑顔に胸がぎゅうっと縮むような、そんな痛みを感じた。
 どうしてこの男は、こんなにも優しいんだろう。俺を、喜ばしてくれるんだろう。
 数日前までは、随分と冷たい印象を抱いていたはずの相手に、俺はいま溢れんばかりの温もりと優しさを感じている。

「じゃ、じゃあ…遠慮なく、頂きます」

 ペコリと頭を下げた俺に、相澤はまた優しく笑った。


 ◇


「お前、また風紀委員長と帰んの?」
「おう、風紀室までお迎えにあがりまぁーす!」
「いつの間に仲良くなったんだ? まぁ、いいけど」

 誰もが敬遠しがちな相手と、突然仲良くなった俺に訝しんだ目を向ける。が、大して興味も無かったのだろう、その目は直ぐにどこかへと逸れた。
 深入りされなかったことに感謝しながら、さっさと制服に着替えてカバンを手にとった。

「じゃ、また明日な!」
「おー」
「お疲れ〜」

 部室の中に残っていた仲間たちに声をかけ、飛び出す。目指すは校舎、風紀室。

 一週間前。親友と彼女に裏切られた俺は、救世主となった相澤の腕の中で、無様にも泣き喚いた。そんな俺を相澤は笑わなかったし、軽い言葉で適当に励ましたりもしなかった。
 ただ黙って俺の側にいて、背をさすり、やがて抱きしめてくれた。
 男同士なのに何してんだとか、そんなこと考える余裕もなく俺は相澤に縋りついた。あんなに冷たい印象しか無かった男の腕の中は、ひどく暖かくて、優しかった。
 もう心の傷が癒えたのかと聞かれれば、流石にまだ痛むし血も滲んでいる。少しでもひっ掻かれれば、また血は流れ出すだろう。だけどそんな傷口を、そっと手で覆い守ってくれているのが、あの日助けてくれた相澤だった。
 そんな相澤のことを、もっと知りたいと思うのは自然なことだろう。

「時間が合う日だけで良いから、一緒に帰らない?」

 そう誘ったのは俺だった。突然の誘いを相澤は、随分と簡単に受け入れた。もっと人見知りするタイプかと思っていたから、拍子抜けしたのを覚えている。
 歩き慣れた校舎の中を、走る。
 相澤に見つかれば、校舎の中は走らない! と怒られるかもしれないが、気持ちが前へ前へと進んでしまい、ゆっくり歩くことなんてできなかった。
 彼女を迎えに来ていた頃は、走ることのほうが面倒で仕方なかったのに。

 あと一階上れば風紀室の階、というところで、俺の目の前に一人の生徒が突然飛び出してきた。避けることもできずにぶつかった俺は、そのまま勢いよく尻餅をついた。

「随分と急いで、どこ行くの」

 目の前に立った奴を見て、俺はそのまま固まる。

「滝谷…」

 明るく色を抜いた、曲線を描く髪。着崩された制服。
 相澤とは真逆の印象を人に与える、派手な容姿をした目の前の少年は、一週間前…俺に裏切りを見せつけた、親友だと信じていた相手だ。

「俺に、何の用だよ」

 さっきまでの浮かれた気分は何処かへ飛んで、ただ怒りだけが生まれた。滝谷の顔を見るだけで苦痛を感じる。俺の心は、そこまで彼から離れてしまった。
 怒りを隠さず睨みつければ、滝谷は悔しげに唇を噛んだ。

「話をしたいって、何度も言ってる。どうして俺を避けるんだ」
「避けるに決まってる。俺はもう、お前と話すことなんて無いんだよ」
「どうして! 南にとって、俺ってそんだけの存在だったの!?」

 なんて身勝手な主張だろう。怒りは俺の躰を震わせた。

「ふざけんなよ…、俺を裏切って、傷つけたのはお前だろう滝谷ッ!」

 怒声が、静まり返った校舎に響き渡った。

「お前にとって俺は、彼女を平気で奪っちまえるような、そんな軽い存在だったんだって! お前が俺に見せつけたんだろ!!」
「違うッ!!」

 座り込んだままだった俺の胸ぐらを、滝谷が思い切り掴み上げた。

「ぐっ、」
「藤倉が俺を誘ったんだ! 南と付き合ってるくせに…俺を…!」
「な…」
「だから俺は…俺はただ…藤倉と南を別れさせたくて…だからっ」
「たきっ、」
「だから藤倉と…なのに、なのにどうして俺がッ!」
「やめっ、苦し…!」
「俺は南が好きなんだ! ただ、南が欲しかっただけなのに!!」
「ッ!?」

 掴まれたままの胸ぐらを勢いよく引き寄せられ、俺は滝谷にキスされた。

「んぐぅ!?」

 めちゃくちゃに、乱暴に合わせられるそれが怖くて、気持ち悪くて、全身に悪寒が走った。

「ひやっ、やめッ!!」

 力づくで滝谷を押しやり突き飛ばす。そのまま逃げ出そうと立ち上がりかけた時、また腕を後ろに引かれひっくり返った。その躰の上に、滝谷がのしかかる。

「最近あの風紀の奴とつるんでるね。アイツのことが好きなの?」
「なに、言ってんだ…」
「藤倉のことは、もうどうでもいいの? 俺のことも? 俺たちを捨てて、アイツを選ぶの?」
「やめっ!」

 ビッ、と音をたててシャツが破かれた。

「男がいけるなら、俺でもいいじゃない。ねぇ、南」
「いやだ! やめろ! いやだッ!! ヒッ!?」

 バシッ、と頬を殴られた。
 どうして…どうして俺ばかり傷つけられる? 俺が悪いのか?
 滝谷が発する言葉は、俺には一ミリも理解できなかった。
 俺が好きってなに? だったらどうして藤倉とキスをする? どうして半年も俺を騙した? 分からない。好きって、どう言う意味だった?

 押さえつけられた腕が痛い。殴られた頬が痛い。踏みにじられた心が、痛い。痛い、痛い、痛い。どこもかしこも痛くて、怖くて、恐怖と嫌悪で視界が滲む。

「ぃやだ…助けて…」

 ―――助けて…相澤…

 ボロっと涙が目尻からこぼれ落ちたのと同時に、躰の上が軽くなった。

「南ッ!!」

 勢いよく抱き起こされた躰は、あっと言う間に誰かの腕の中に閉じ込められた。
 顔に押し付けられた、真っ白な制服のシャツ。そこからは洗剤と、微かに汗の匂いがした。それは、俺をひどく安心させた。

「南、大丈夫か!?」
「あ…相澤…」
「ごめん、話す事も必要かと思って、様子を伺ってたんだ。でも、もっと早く出てくるべきだった」

 ぎゅう、と強く抱きしめる相澤の肩の向こうで、引き倒された滝谷が起き上がり、こちらを睨みつけていた。

「お前は関係ないだろ、風紀委員」

 滝谷のイラついた声に、相澤が振り返る。その顔は、強い怒りに染まっていた。

「今更どのツラ下げて、南の前に現れた。滝谷」

 相澤の深く冷たい声音に、滝谷が一瞬怯んだのが分かった。

「お前の主張はあまりに幼稚で自己中心的だ、反吐が出る。南を好きだと言うなら、どうして藤倉の誘いを断らなかった? どうして南の想いを守ってやらなかった。守るどころか、お前は最悪の形で南を傷つけたんだ!」
「だけどっ!」

 滝谷の顔がぐにゃりと歪んだ。

「南だって、結局直ぐに俺たちを切り捨てたじゃないか! 本当は、そこまで大切じゃなかったんだろ!? 俺たちに裏切られたって、大して傷なんてついてやしない!」
「そんな訳あるかッ!!」

 初めて聞く、相澤の荒げた声。滝谷も、俺も、思わず躰をびくりと跳ねさせた。

「どれだけ南が悲しんだか…そんなことも想像できないのか、お前は」

 相澤の声が震えた。

「南がどれだけ優しい目で、藤倉を見ていたか。お前のことを、大切にしていたか。あれだけ側にいて、少しも気付かなかったのか…?」

 俺の躰に回された相澤の腕に、力が篭る。

「南の優しさに、情熱に、俺は直ぐに気づいたよ。あまりの純粋さに、目が眩むほどだった」

 気付けば目は、無意識に南を追っていた。だからどれだけ南が藤倉を、そして滝谷を大切にしていたかを知っている。そして裏切られ、どれだけ傷ついたのかも。
 そんな相澤の言葉に、今度は俺がくらくらした。
 嬉しかった。今よりずっと前から、この真っ直ぐな男の視界に俺が入っていたんだという事実が、どうしようもないほど嬉しかった。
 俺はそっと相澤の躰を押して離す。その力に、相澤は反発しない。

「滝谷、人の心って不思議だよな。あんなに好きだった藤倉を、俺は今、一ミリも好きじゃない」
「南…」
「お前のことも、死ぬほどどうでもいい」

 滝谷がヒッ、としゃくりあげた。泣いた顔を見ても、可哀想とも思わない。興味が湧かないのだ。

「冷めるのなんて一瞬なんだよ。そんで、燃え上がるのも」

 チラ、と相澤に視線を向ければ、相澤はびっくりした顔をする。それはとても新鮮で、また嬉しくなった。
 相澤は、何をしたって俺を喜ばす。

「どん底に突き落としたのは滝谷で、そこから俺を引き上げてくれたのが相澤。その違いだよ」
「もういいッ!」

 滝谷は、これ以上聞きたくないとばかりに叫び、俺たちに背を向け走り出した。滝谷の背中と足音は、俺の心の中のアイツの存在のように呆気なく視界から消えていった。
 取り残された俺と相澤。なんとなく暫く沈黙していたけど、その沈黙を先に破ったのは俺だった。

「ありがとう、相澤。ほんとに…ありがとう」

 ありがとう。それしか言えなかった。
 ボタンが引きちぎられて、破れたシャツの前を握り締める。その手は微かに震えていた。
 ああして強く滝谷を断罪したけど、本当は凄く怖かった。
 また殴られるかもしれない、無理矢理押し倒されるかもしれない。もしかしたら、滝谷が言うように俺が悪かったのかもしれない。そんな不毛な思考が頭の中を占領しかけていた。
 本当のことなんて何も分からなくなりそうだった。だけど、相澤が助けてくれた。また、相澤が俺を…。
 震える手にもう片方の手を重ねたその時、俺はまた、相澤の胸の中へと戻された。
 こうして抱きしめることが、どうしたらいいか分からない時の相澤の慰め方なんだと思うと、何だか可愛く思えて笑えた。

 相澤のことを、もっともっと深く、知りたい。
 俺が彼に与えて貰っているこの安心感を、相澤にも返したい。

 俺は、相澤が大切だ。
 想いは急激に育ち膨らんだ。

 相澤の背中に俺を腕を回せば、何度目か分からない抱擁を受けた。肩に頭を預ければ、彼が小さく笑う。
 新たに生まれたこの気持ちを、いつかちゃんと相澤に伝えたい。
 その不器用な慰めに、幾度となく助けられたことを。その手のぬくもりに、どれだけ救われたかを、ありがとう∴ネ外の言葉で、ちゃんと。
 抱き合って重なった互いの熱は、じれったいほどゆっくり溶けて混ざった。

 ゆっくりいこう。慌てなくたって、きっと相澤は逃げたりしない。真摯に受け止めて、考えてくれるはずだから。
 そう考えていたはずなのに、

「俺、相澤が好きだ」

 じれったさに耐えきれ切れず、告白してしまったのはそれから二週間後のこと。

「俺も、南が好きだ」

 そう言って、裏切りなんて一ミリも知らないまっさらな告白と共にキスをされたのは、告白してから―――三秒後。



END



あとがき


2017/07/01



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