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罪と罰



 神樹より生まれ落ちる天使の中に、凡庸な容姿に醜い翼を持つ天使などそういるものではない。
 ごく稀に生まれてしまった醜い姿の天使は、育児を放棄され、大きくなることなくやがて消えていく。
 美しい者だけに淘汰されていくのだ。
 だから俺がいまこの世界に存在することは奇跡に等しい。まして、天使の中でも群を抜いて美しく気高い存在であるあの人に育ててもらえるなど……あってはならない奇跡だったのだ。

『アル、神への愛を忘れてはいけないよ』

 この方と出逢わせてくれた神への愛を、俺が忘れるわけがない。

『何があっても、決して恨んではいけない。少しでも心が染まってしまえば、簡単に堕ちてしまうからね』
『はいっ、ディエル様!』

 神を恨むなど、決してあるはずがないのだ。



 朝食で汚れた食器を、鼻歌を歌いながら片付ける。
食事といっても天使が口にするのは果物だけ。準備をするのは簡単だし、片付けるのだって簡単だ。

「ああっ、大変だ! 大事な本をお忘れだ!」

 テーブルの上に置かれたままになっている、分厚い本を手に取り慌てて外へと駆け出した。

 白と青のコントラストが眩しい空、色鮮やかな植物、穏やかに過ごすユニコーンの群れ。
 さらさらと流れる川の水はどこまでも澄んでいて美しい。だが、そんな美しい川の水面に映るそれは……。

「おい、化け物アルベリアスのお通りだぞ」

 川の水を覗き込んでいた後ろから聞こえた嫌な声に振り向けば、思った通りの人物とその取り巻き達がそこに立っていた。

「カミル」

 どうして天使だなんて名乗っていられるんだろう、そう思えてならないほどこいつの性格は最悪だ。
 いや、ある意味これが天使の本質なのかもしれないが。

「川なんて覗いたって、ブサイクで気持ちの悪いバケモノが映ってるだけだぞ」

 辛辣なカミルの言葉に、彼の取り巻き達が声をあげて笑う。
 性格は酷いものだが、その見た目はとても美しい。天使は皆美しい容姿であるが、その中でもここまで美しい者は珍しく、いつだってカミルに媚びへつらう天使たちが群がっている。

「現実を見て、いよいよディエル様の元を離れる気になったか?」
「……悪いけど、お前の相手をしてる暇はない」

 口を開けば自分を虐げる言葉しか吐かないカミルにはうんざりだ。
 くるりと踵を返しカミルに背を向ける、が。

「痛ッ」

 背中の羽に硬いものがぶつかって、足下に転がる。
石だ。大きな石をぶつけられたのだ。

「偶然拾われただけのくせに、いい気になるなよバケモノめ! ディエル様だって、すぐにお前なんかに愛想をつかすさ! お屋敷からも追い出されるに決まってる!」

 ぶつけられた場所から血が滲み白い羽を汚していたが、そんなものは気にならなかった。
 その程度の痛みなど、もう慣れっこだから。

「ディエル様はそんなお方じゃない、侮辱するな」

 カミルに背を向け、俺はこんどこそ駆け出した。



 聖殿の前で、ひとりの天使を見つけた。
 すらりと伸びた長身、その足首まである長い白銀の髪は一切の歪みを知らない。
 太陽の光をキラキラと弾くそれは、まるで先程みた美しい水面のようだ。その銀糸を纏う純白の羽に覆われた翼は、閉じていてもその立派さと形の美しさが伺える。

 後ろ姿だけでこんなにも美しい天使は、この人以外に存在しないだろう。
 美青年と名高いあのカミルだって、この人の前では酷く霞んでしまう。

「ディエル様!」

 穢れを知らぬ翼が目に眩しい。俺の声に反応したその翼がバサリと震えた。

「アル?」
「ディエル様ッ」
「こらこら、走ったら危ないよ。お前は体が弱いんだから」
「このくらいは平気です!」

 そうは言いながらも、少し走っただけでも息切れがする。だが、それよりも大切なことがあるのだ。
 急いで腕に抱えてきた本を掲げる。

「こちらをお忘れかと思って」
「わざわざ届けてくれたの?」

 俺の手から本を受け取ったディエル様が、まるで宝石の様な瞳を見開きこちらを見る。

「……もしかしてご迷惑でしたか?」
「とんでもない。助かったよ、ありがとう」

 瞳の輪郭がゆっくりと柔らかく緩まるのを見てホッと息をついたその時、ディエル様がすん、と鼻を鳴らした。

「血の臭いがする」

 俺はハッとして自分の翼に視線をやると、それに目敏く気付いたディエル様に手を取られ、くるりと体の向きを変えられた。

「これはどうしたの? 怪我をしてるじゃないか」

 綺麗な眉が顰められるのを見ていたたまれなくなった。

「何でもないんです、このくらい直ぐ治りますから」

 ディエル様の腕の中から抜け出そうとするが、細身に見えるその腕の力は存外強く、俺の非力では全く歯が立たなかった。

「……カミルか」
「どっ、どうってことありません! こんなのいつもの事ですから! 大したことありません!」

 アイツに虐められているなど、そんな無様な姿をディエル様に見せたくない。思わず大きくなった俺の声に溜息をつかれて、びくりと体が強張った。

「いいかい、アル。お前はもう少し自分を大切にしないといけないよ」
「でも、どうせ俺はこんなですから」

 天使のものとは思えぬ、くすんだダークグレーの髪。
 まるで神の箱庭で遊ばれている人間のように、凡庸で華やかさのない容姿と、背だけは伸びたがひ弱な体は肉付きが悪い。
 左右の大きさが違う歪な翼は奇形で、大空を羽ばたくなんてことは夢のまた夢。翼を広げるだけでも痛みが走り一苦労だ。
 天使としてこの天界に存在できていることが奇跡だと、ディエル様以外はみな陰口を叩いているのを知っている。

「俺は……」
「何度も言うけど、お前は美しいよ」
「いくらなんでもそれは」
「アル、お前は美しいよ」

 ディエル様が、傷ついた俺の翼にそっと口付ける。するとそこにあったはずの痛々しい傷は、優しい光に包まれ跡形もなく消えていった。
 残ったのは、優しい温もりだけ。

「この翼も、この髪も、この顔も、体も、声も……全て美しいよ、アル。この滑らかな肌なんて、きっと神も驚かれる」

 俺の平凡なブラウンの瞳を見つめ、ディエル様が優しく微笑む。
 神が俺を褒めることなどまず有り得ない。だけど誰よりも何よりも、彼がそう言ってくれるなら。彼が俺を認めてくれるのなら。

「ありがとうございます、ディエル様」

 つられて微笑めば、目の前の美しい顔は更に美しく笑んだ。


 ◇


「おい、ディエルはいるか?」

 爽やかな朝の香りの中に、闇の香りが混じる。

「ッ、」

 漆黒の闇の様な黒髪に、燃えるような赤い瞳がたなびく洗濯物の向こうに見えて思わず後ずさった。

「そんなにビビるこたぁねぇだろ」
「お前は顔が怖いんだよ」
「あっ、」

 ディエル様が、俺を後ろから抱き込んだ。

「それでクランプ、朝からなんの用?」
「お前の昇進を祝いに来てやったんだよ」

 ああ、そのこと。
 そう言いながらディエル様がガーデンチェアに腰掛けると、それに続いて闇の使者、悪魔のクランプも席に着いた。
 ディエル様は天国と地獄の中間管理人も任されているから、この敷地にはたまに悪魔がやってくる。
 俺は慌ててお茶の準備にとりかかった。


「ディエル、お前ついに大天使になるんだって?」

 クランプが紅茶を口にしながら放ったその台詞に、思わず手からティーポットを滑り落とした。

「おわっ! あっぶねーなー!」
「だ、大天使様になるって、本当ですか!?」
「おい聞けよクソ坊主!」

 ぶちまけた紅茶を無視して二人の間に身を乗り出す俺に、ディエル様が苦笑する。

「アル、落ち着いて」
「ミカエル直々の推薦なんだろ?」
「ミカエル様の!?」

 目をまん丸にする俺の頭をディエル様が優しく撫でた。

「そう、今度任命式の式典が行われることになったんだ」

 大天使になるということは、神の右腕になるということだ。

「すごい! すごいです、ディエル様! おめでとうございますッ!」

 興奮する俺に、クランプが嫌な笑みを向ける。

「でも、そうなるとお前はお払い箱だぜ、小僧」
「クランプ」

 ディエル様は咎めたが、クランプは口を閉じたりしなかった。

「大天使の宮殿には、お前の様な醜い姿じゃ入れないだろ」

 ぐっ、と喉の奥が引き攣れる。
 大天使になった天使は、専用の宮殿へと住まいを移すことになる。そこには彼らをお世話する専用の美しい従者達が存在する。
 決して俺の様な、醜い存在が立ち入ってはいけない世界なのだ。

「お前はこちら側がお似合いだ、俺と来るか?」
「クランプッ!」

 珍しく声を荒げたディエル様に驚いてそちらを見れば、すでにその顔に激昂の跡は残っていなかった。

「大丈夫だよアル、安心して。私はお前をどこにだって連れていくからね。今となにも変わらないよ。もちろん式典では、私のキトンを持ってくれるだろう?」

 式典で着る真っ白で長いキトンを後ろから持つブライズメイドの役は、その天使の最も信頼を置く者に任される重大な役割だ。

「お、俺がですか……!?」
「お前以上に私の信頼を得ている者がいる?」
「ディエル様ッ!」

 感極まって抱きついた俺を、ディエル様は笑いながら難なく抱きとめてくれた。

 思えば、この時が俺の幸せの絶頂だったーーー









 地下室の暗闇の中、クランプは見るも無惨な姿に変えられてしまった青年を見つめていた。青年の両手首には普通のものではない枷が嵌められ、鎖に繋がれている。

「どうしてこんな……」

 あの時、冗談ではなく本気で連れ去っていたら。少なくとももう少しマシな姿で堕ちる事が出来ただろうに。
 とうに失くしたはずの良心が、ジリジリと焼き付く様に痛んだ。

「クランプ、勝手に入られちゃ困るな」

 音もなく自分の後ろに立ったのは、確かに数週間前に大天使へと昇格した男だった。

「これはどういうことだ?」

 クランプが再び青年に目をやると、大天使……ディエルがそっとその青年に近づいた。

「美しいだろう?」
「なに……?」
「こうして私の手によって、私のためだけに堕ちた彼のなんと美しいことか」

 ダークグレーの髪は真っ黒に染まり、ブラウンの瞳はドス黒い血の様な赤色に変わっている。その瞳に生気はない。
 元々形の悪かった奇形の翼は、それでも純白を纏っていたはずなのに……まるでタール液を染み込ませた蜘蛛の巣の様な、禍々しい闇の世界のソレへと変貌していた。

「大切にしていたように見えたが、違ったのか」

 結局アルベリアスも、この男のオモチャの一つだったのだろうか。クランプの責める様な声音に、ディエルはその美しい唇の端を吊り上げた。

「なにを言ってる? これ以上ないってほどに大切にしているだろう。昔も、今もね」

 クランプは大きく溜め息を吐いた。
 あんなにも純粋無垢だった青年が、これほど禍々しい姿で堕ちるにはそれ相応の絶望が必要なはずだ。

「坊主になにをした? 何をして堕としたんだ」

 ディエルは恍惚とした表情で天を仰ぐ。

 周りからの突き刺さる様な視線もなんのその、式典でブライズメイドの役割をしっかりと果たしたアルベリアスは、ディエルの指示で一足早く屋敷に戻った。
 そうして言われた通り、ディエルが戻ったら直ぐに宮殿へと移れる様準備していた。もちろん、アルベリアスも共に宮殿へと行くはずだったのだ。だが……。

「カミルを連れて帰った時の、アルのあの顔」

 アルベリアスにとっては憎い相手でしかないカミル。ディエルはそんなカミルの細い肩を抱き寄せ、アルベリアスに告げた。

『アル、今までご苦労様。今日からこの屋敷はお前の物だよ、好きに使っていいからね』
『え……?』

 荷物を持つアルベリアスの手が震える。

『え……あ、あの……ディエル様……』
『宮殿へはカミルを連れていくことにしたんだ。お前なら分かってくれるだろう、アル?』

 そう言ってディエルは、カミルの癖の強い金髪に口付けた。それを見たアルベリアスは、みるみるうちにその顔から血の気を失い。

「酷なことを……」
「堕ちていくアルは、本当に可愛かった」


 心の底から信頼し、尊敬し、愛していた相手に裏切られた。そして誰よりも憎く、何よりも負けたくなかったカミルに……自身の居場所を奪われたのだ。
 アルベリアスはその絶望に深く呑み込まれた。

 ディエル様に捨てられた?
 どうして? 俺が醜いから?
 でも美しいって、何度も言ってくれたのに。
 どうしてカミルが選ばれる?
 あんなに心は醜いのに?
 どうして?
 俺はカミルよりも醜いの?
 やっぱり俺は醜いの?
 どうして? どうして? どうして?

 目の前で、カミルが勝ち誇ったように笑っている。

 ああ、そうか。


 ーーーすべては、神のせいだ


『あ"ぁぁあ"ぁ"あっ、ぁああ"ぁあ"あッ!』

 アルベリアスの足元から地獄の炎が立ち上る。

『うあ"あぁ"あぁぁあ"ああ"あッ!!』

 炎に焼かれたアルベリアスは髪を黒く染め、瞳を赤く光らせ、その翼をドロドロに溶かした。

『ひぃぃ!』

 目の前で堕ちていくアルベリアスに恐怖を抱き、カミルは思わず逃げ出そうとするが。

『お前は贄だ』
『なっ、ディエル様ッ!? ギャァァア!!』

 突き飛ばされたカミルは、アルベリアスの纏う地獄の炎に巻き込まれ灰となって燃え尽きた。
 燃えたカミルの力は、生まれ変わろうとするアルベリアスの力に変わる。この時のためだけに、ずっとこの傲慢な青年を生かしてきたのだ。


「私のものに何度傷をつけてくれたか分からないからね、もっと苦しめてやっても良かったんだけど」

 ふふっと笑うディエルに、クランプは隠すことなく顔を顰めた。

「坊主の腕の枷は」
「私の血でできてるから、誰も簡単には外せないよ」
「ずっと囲えると思ってんのか?」
「できるさ。何のためにこんな面倒な中間管理を任されていると? 魔族の気配が常にあるこの屋敷なら、少しも疑われることはないよ」
「宮殿には」
「行かない、その許可は得ている。これからもこの屋敷が私とアルのお城さ」
「……どうしてお前が堕ちないのか、不思議でならねぇよ」

 頭を抱えるクランプに、ディエルは当たり前だと笑ってみせる。

「私は神を心から愛しているからね」

 ディエルが天から堕ちるはずがない。ディエルの神への愛は本物だ。この世にアルベリアスを生み出したのは他でもない、神なのだから。
 神への愛が本物であれば、堕ちることは決してないのだ。

「ああ、泣かなくてもいいんだよアル。私はここにいるからね」

 ディエルは光を失った瞳から流れるアルベリアスの涙を舐め上げ、うっそりと笑った。



END


2020.11.10




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