氷晶の楽園***
【あらすじ】
人が妖魔を恐れる時代は、もう遥か彼方へ消え去った。今あるのは、妖魔が人に嬲られ殺される悍ましい世界だけ。
容姿が不出来なヴァンパイアの論(ろん)は、拷問玩具として売られているところを人間離れした美しさを持つ男、鮫嶋貴志(さめじまたかし)に買い上げられた。
暴力もなく餌を与えてくれる鮫嶋。この男に買われたことは、果たして論にとって幸運だったのだろうか…?
※本物の吸血鬼は股から血を吸うんだとか…
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首には黒革の首輪。そこから繋がる銀の鎖は、隣に立つ筋肉の塊のような男に握られている。
床に両膝をついた形で座らされた俺を、ソファに悠々と腰掛けた目の前の男が、欠伸でもしそうなほど退屈そうに見下ろし呟いた。
「哀れに思うほど、出来の悪い顔だな」
鮫嶋貴志。
まだ少年の域を脱していない俺を、自身のペットとして買い上げた変態野郎。と悪態をつきたいところだが…この男に買われたことは“ヴァンパイア”である俺にとって、まだ幸運な方だったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
過去には人が妖魔を恐れ逃げ惑う時代があったと聞くが、今となっては誰もそんな話を信じない程この世は人に支配され食い物にされていた。
どんな妖魔でも容易く殺せる銃やナイフと言った、ありとあらゆる種類の武器が作られたことで、“戦い”だったはずのそれはいつの間にか一方的な“虐殺”へと姿を変えていた。
見目の麗しい妖魔は捕まれば主に性奴隷として売られ、見目の悪い妖魔は拷問玩具として売られ、どちらに転んでも酷い目に合わされている。
そんな妖魔たちの中でも一際美しい容姿を持ち、交わる事で強烈な快楽を得られるとして人気の高いヴァンパイアは、どの土地でも目玉が飛び出る様な高値で売買されている…のだが。
鈍臭さが仇となり人に捕まった俺は、美形な妖魔として知られるヴァンパイアで在りながら、二束三文の拷問玩具として売りに出されていた。
「まぁ、何て醜いのかしら。これでもヴァンパイアなの?」
出涸らしの茶葉で淹れたほうじ茶の様な色の髪に艶は無く、同じ色の瞳はまだ垂れているか吊り上がっていた方がマシだと思える程に特徴が無い。筋の通った高い鼻とは縁遠いそれと、こぢんまりと申し訳程度についている口が更に印象を薄くしている。
唯一自慢になるはずの血管が透けるほど白い肌は、髪の色や痩せた体躯が相まってか唯の栄養不足にも見えた。
「確かに酷い容姿だ。でも、四肢を切り落とせば良い声で啼くかもしれない」
唾でも吐きかけそうな勢いで顔を顰める女と、厭らしい笑みを浮かべる男。
悪趣味な言葉を吐く人間を睨みつけながら、動物用のゲージの中で陽の光に肌を焼かれ呻く。
人と同じく進化してきたヴァンパイアは、今では陽の光を浴びても一瞬で命を落とす事は無いし、それは銀に触れても同様の事だった。だが、あくまでも“一瞬”で無いだけで弱点であることに変わりはなく、陽に晒された肌は時間をかけて徐々に焼け爛れていく。
そうして痛みでクラクラと目が眩み視界が揺れ始めたその頃、俺の体の上に大きな影が落ちた。
艶のある黒髪を短く整えた、妖魔かと見紛う程冷たい美貌を携えた男が陽を遮り立っていた。そして男は退屈そうに俺を見下ろし呟いた。
「陽に当たりそびれたゴキブリみたいだな」
◇ ◇ ◇
「会うたびにそれ言うの、やめて貰えますか」
鮫嶋に連れて来られて早ひと月。
その間こうして向かい合う度に容姿を貶されれば、幾ら逆らうべき相手ではないと分かっていても腹が立つ。
目の前に座る氷の結晶の様な男、鮫嶋にそう言えば、俺の首輪に繋げられた銀の鎖を筋肉達磨な手下に引っ張られ喉が締まった。ぐえっ、と息を詰めたところで鮫嶋が手を軽く挙げ、手下は鎖を持つ力を緩める。そのままクイッと振った手の動きに合わせ、今度は鎖を床に投げ捨てるとそのまま部屋から出て行った。
投げ出された鎖が落ちる一瞬、鎖骨に触れたソレが肌をジリっと焼いた。
「ゴキブリのことか? 哀れんだことか?」
「どっちもだよ! それで、今日は何しにここへ?」
鮫嶋が俺の前に姿を現したのは、前回会ってから四日ぶりのことだった。俺をこのだだっ広い部屋に閉じ込めたまま、鮫嶋は毎日ではなく、気が向いた頃にふらりと現れる。
「ペットに餌をやりに来たんだが?」
「へぇ、生き物を飼ってるって自覚、あったんだ」
ツンと顔を横へ背ければ、それを見た鮫嶋が喉の奥で笑う。
「空腹で死にかけてるかと思ったが、まだ随分と余裕があるな」
「フン、人間と一緒にしないで欲しいね。四日程度、どうってこと無い」
ウソだ。
今すぐ目の前の男に襲いかかりたい程、俺は腹が減っていた。
先程までは平気だったのに、鮫嶋を目にした途端急速に全身が乾きを訴え始めた。
初めてここへ連れて来られた日、俺は銀のナイフを喉元に当てられ脅されて、鮫島の手首から流れる血を無理矢理飲まされた。
その瞬間、全身を電流が駆け抜けた。
ヴァンパイアである事を隠す為にずっと獣の血を啜って生きて来たからか、その余りの香しさに俺は一瞬で目を回した。
熱に浮かされた意識の中で俺はなすがままにされ、鮫嶋にカラダを好き勝手されている事すら認識出来ず。快楽を与える側であったはずの俺は、気付けば奥深くまで鮫嶋に入り込まれ、涎を垂らし喘がされていた。
「強がりは嫌いじゃない」
キンっ、と空気を震わせ組み立てられたナイフが俺の頬を滑り、白い肌に赤く線が走る。
「喉が忙しなく動いてるぞ、欲しいんだろう?」
そう言いながら鮫嶋は恥ずかし気もなく自身の前を寛げ、下着ごとズボンをずり下げた。晒された股の付け根につく二つの赤い点をナイフで削る。途端、鼻に届いた匂いに俺の体がビクンと跳ねた。
「あっ、ぁ、はぁっ、」
脅されずとも目はそこへ釘づけになり、堪えきれなかった唾液が口元から零れ落ちる。
部屋に閉じ込められてはいるが、暴力を振るわれることは無く、毎日では無いにしろ、こうしてちゃんと“餌”を与えてくれる飼い主は珍しい。
この男に買われた俺は幸運だったと言える。
だが、この男の血はどこか可笑しかった。
幾ら殆んどの時間を獣の血で生きてきたとは言え、俺にも人間の血を味わった経験くらいはある。だがその後に、こんなにも全身を揺さぶられる様な焦燥を感じた事はなかった。それなのに、鮫嶋の血を味わった後、俺は明らかに可笑しくなった。
一週間ほど血を口にしなくとも平気だった体は、二日と持たず空腹を訴え手を震わせ、激しい餓えと渇きによって焦燥感に襲われるのだ。
ヴァンパイアが禁忌とする血は三つ有る。
一つは死人の血。飲めば即、命を落とすから。もう一つはその血を持つ者が余りに少ない為、“出会うことを禁じる”なんて無茶な決まりだけがあるような、覚えていてもあまり意味の無いものだったが、最後の一つは口を酸っぱくして教え込まされる。
【同族の血、飲むべからず】
まるで麻薬を取り込んだ様に、心とカラダを激しい快楽に蝕まれてしまうからだ。
同族かどうかは会えば直ぐに分かる。全身の血が騒ぐからだ。
そして鮫嶋は明らかに人間だった。ヴァンパイアである俺の血を騒がせることもなければ、彼が纏う香りは人のソレそのものだった。例え容姿が人間とは思えぬ程美しくても、彼は人間でしかなかったのだ。
それなのに、その血を口にしたその日から、この目に鮫嶋を認めただけで堪えきれぬ欲望が全身に溢れた。
「来い」
そのたった一言に、俺は我を忘れて飛びついた。
柔らかい内股の皮膚に加減なく牙を突き立てると、一瞬だけ鮫嶋の肌が跳ねる。それを気にする余裕もなく荒く牙を抜き取り、傷口から溢れ出た鮮血を舐め上げた。
「あっ、あぁ…」
声を漏らしたのは、俺だ。
今まで口にしてきたどれとも違うその風味は、まるで新鮮な果実のように甘く瑞々しい。とろりとした舌触りを楽しめば、香りが俺の心を弄ぶように踊り鼻孔を駆け抜けていった。
飲む度に全身が潤い、満たされていく。なのに、その直後にはもう餓えを感じるのだ。
堪らなかった。
「んっ…んぅ、んっ」
ぴちゃぴちゃと激しく音を立てながら、舐めては吸い上げる行為を夢中で繰り返す。
血の香しさに陶酔し意識をあやふやに回し始めた俺の髪を、切れ長の瞳で見下ろしていた鮫嶋が長く綺麗な指で一度だけ梳き上げる。そうして今度はその指で俺の顎を柔く捉えると、強制的に上を向かせた。
鮫嶋と目が合うまでのその一瞬に、ぬるりとした灼熱が俺の頬を滑り雫を滴らせる。
「俺の血は旨いか?」
「ぁっ、ぁ…ハァ…」
余りに旨くて目が回る。クラクラして頭がきちんと働かない。
「まだ欲しいか?」
「ほし…ほしい…」
「だったら、もっと俺を喜ばせなくてはいけないな」
そう言われると同時に、俺は頬を濡らした熱に舌を這わせた。何度か求められた事のある行為だったから、躊躇いは無かった。だが舐め上げた早々に再び顎を持ち上げられ、強い血の香りから顔が遠のく。堪らず喉を鳴らすと、鮫嶋がふっと笑いながら俺に囁いた。
「それも悪くないが、今日は直ぐにでもお前の中に入りたい」
この男の血は、どこか可笑しい。
未だ嘗て、人に与えられた血でここまで心を、カラダを狂わされた事は無かった。それなのに、何故…。
俺は餓えと渇きに耐え切れず、あっと言う間に身に纏っていた服を脱ぎ捨てた。鮫嶋の指を「良し」と言われるまで舐め続け、やがて受け入れる場所を男の目の前へ晒す。
その場所から与えられるはずの甘く激しい刺激に期待して、心が大きく震えた。
肌に、鮫嶋の指が触れる。
それだけで、命を落とすのではないかと思うほどの快楽を感じた。
思わず上げた声に気を良くした鮫嶋が、焦らすことなく俺の内側へと入り込んでくる。
鮫嶋の動きに合わせて自身でもカラダを揺らす。
あられもなく声を漏らし、その激しさに体勢を崩すと、顔を預けた腕を自身の唾液でしとどに濡らした。
そうして何度も鮫嶋が出入りする内に、先ほど俺が傷つけた場所から流れた血が、熱と共に俺の中へ流れ込んできた。
「ひやぁああぁあっ!!」
鮫嶋の血はまるで麻薬の様だった。
体内に取り込む度に心とカラダが快楽に蝕まれ壊されていく。欲しくて欲しくて堪らず、その血を手に入れる為ならばどんな辱めでも受け入れたくなった。
一度口にすれば二度と抜け出せぬ沼へと嵌り、後は落ちるだけ。
そう、それはまるで、同族の血を口にした後遺症の様だった。
ゾッとして振り向いたその先で、冷たい美貌が歪に笑った。薄らと開いた唇の奥で、獲物を狩る時にだけ現れる特徴的なそれが光る。
「なんで! あっ、ぁっ、だって…だってアンタは!」
ヴァンパイアが禁忌とする血は三つ有る。
一つは死人の血。飲めば即、命を落とすから。もう一つは同族の血。まるで麻薬を取り込んだ様に、心とカラダを激しい快楽に蝕まれてしまうからだ。
だが、その二つの血を口にするよりも更に恐ろしい、忌むべき血が存在した。
希少なため事例は少なく、“出会うことを禁じる”ことしかできなかった存在。それは…
「ヴァ、ヴァムピール…」
血液ではなく性行為を好むヴァンパイアと、その身を貪られた人間の女との間に産まれた妖魔、ヴァムピール。
身に纏う香りは人間そのものだが、その内に秘めた欲望はヴァンパイアそのもの。血液よりも性行為を強く求め、その欲望は人ではなくヴァンパイアへと向けられる。
万が一にでもその血を口にすれば、二度とそれ以外の血を口に出来なくなる程中毒性が強いと言われていた。
麻薬のような血で狂わされその手に落ちたなら、例え命が尽き果てようともその身を解放される事は無い。
出会うことを禁じるしかなかった程希少な存在であるヴァムピールが、今。喰らい尽くさんとばかりに俺のカラダを激しく揺さぶっていた。
俺に逃げ出す術など一つも残されてはいなかった。
だって俺は、出会ってしまった。
このカラダはもう、狂おしい程に男を…鮫嶋を求めてしまうのだから。
「お前は永久に俺のものだよ、論」
欲望の深淵を覗けば、そこには甘い甘い楽園が広がっていた。
END
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