どうせ全部、知ってるくせに。
※fujossyさんの属性コンテストの『ノンケ受け』にて優秀賞を頂きました!
男だけの飲み会ほど、怖いものはない。
そこには、今までの関係性を壊してしまうような空気が簡単に生まれるから。
「キース! キース! キース!」
酔っぱらいたちの掛け声で、一際綺麗な男の顔が俺に近づいた。アルコールに侵された頭では、今なにが起きてるのか、自分はどうするべきかなんて考えることは不可能で、気付けば柔らかいものが俺の唇に重なっていた。
それは案外直ぐに離れたかと思うと、何故か数回戻ってきて、ちゅっちゅっちゅと可愛い音を立てた。
周りがカメラを向けて、一斉にフラッシュをたいた。そのまま肩を抱かれて寄り添えば、その場の空気は一際盛り上がったようだった。
俺の唇を奪った男を仰ぎ見る。同じように俺の顔を覗き込んできたそいつが、普段あまり動くことのない表情筋を緩ませて言った。
「罰ゲームなんだから、気にするなよ?」
優しく、蕩けるような声とその微笑みに、俺は落ちちゃいけない場所へと一気に転げ落ちた。
それが俺、三上集(みかみあつむ)が親友、橘春臣(たちばなはるおみ)に恋をした瞬間だった。
酔いってやつは厄介で、その日の出来事を鮮明には覚えていないものの…自分が親友に、男に恋してしまったことだけは、目覚めた瞬間から覚えていた。
「嘘でしょ…ほんとどうしよ…これから俺、アイツにどんな顔すりゃいいの?」
洗面所で顔から水を滴らせている男は、驚くほど平凡な容姿をしている。俺の唇を奪った男とは大違いの顔だ。こんな顔のお陰かなんなのか俺は、大学に上がって二年目に入った今でも、彼女ができたことがなかった。プロのお姉さんの世話になったこともない。
そんなこと恥ずかしすぎて言えないから、友人には経験があると嘘をついているけど…。
生まれて初めて体験した感触を思い出し、思わず指が唇に触れる。そうしてリアルに思い出されたそれに、俺の顔は爆発しそうなほど赤くなった。
橘春臣。高校で仲良くなって、大学が別々になった今でも仲良くしている親友。
背が高くて、足が長くて、その躰は男らしく引き締まってて。小さい顔に納まるパーツは、同じ男が見たって思わず見惚れるくらい出来がよくて、普段あまり笑わないクールな奴が、仲の良い奴の前でだけで見せる微笑には凄まじい破壊力があった。
でも、幾ら春臣がクールビューティなイケメンだからって、そんなやましい目で見たことは一度もなかった。それこそ、同じ男相手にそんな気持ちを持ったことだってない。
いつだって俺の目は可愛い女の子を追っていたし、それは春臣だって同じだった。何度か女の子を紹介してもらったこともあるし、アイツの彼女と一緒に遊んだこともある。でも、何も思わなかった。可愛い彼女がいて羨ましいと、そう思っただけだった。
なのに、なんでだ。
たかがキスだ。それも、酔った席での罰ゲーム。お互い好きでしたわけでもないのに、俺は春臣の唇の感触を忘れられない。それどころか、思い出すだけで胸が苦しくなるのだ。
そんな俺を追い詰めるように、あの日以降、春臣から飯に誘われる頻度が増えた。
スマホが着信音を鳴らす。
『今日の夜、一緒に飯食わない?』
だから俺だって…ちょっと期待してしまう。
もしかして、俺だけじゃなくて春臣も、あの日のことを意識してる…?
◇
いつもよく使う居酒屋に行くと、既に店の前には春臣の姿があった。
「は、春臣…」
「なに、汗なんかかいちゃって。走ってきたのか?」
整いすぎた顔で優しく微笑んだかと思うと、白く長い指の先で俺の頬をスっと撫でる。びっくりして無駄に飛び上がったら、春臣が白い歯を見せて笑った。
「集は可愛いな」
食事中、終始俺は夢心地だった。
店の前で言われた“可愛い”にはどんな意味が含まれているんだろうかと考えると、心臓がバクバク踊る。
そのうえ向けられる視線や言葉がなんだか酷く甘く感じて、やたらに伸ばされ俺に触れる指が熱い気がして、やっぱり春臣も俺のことを気にしているんじゃないかと思えてくる。
「集、大丈夫か? 顔が真っ赤だけど、酔った?」
俺の頬に触れた春臣の手が冷たくて気持ち良い。思わずその手に擦り寄ると、それはじんわりと熱を持ち始める。春臣が、くすっと笑った。それがとてもくすぐったくて、更にその手に擦り寄ろうとした。けど、その手は呆気なく引っ込められてしまう。
「そろそろ店を出ようか」
伝票を手に、さっさと立って行ってしまう春臣の後を追いかける。その足はどこか急いているようにも見えた。
もしかして、
もしかして、
もしかして……。
店を出たその後に期待して、支払いの最中もずっと俺はそわそわしていた。
「じゃあ、またな」
店から出ると、春臣が片手をあげた。
「え、え…?」
思わず俺は、上げられた春臣の手を掴んだ。
「え、なに、帰っちゃうの…?」
アルコールに浮かされた、潤んだ瞳で春臣を見上げる。
こんな地味な見た目をした俺が、女の子のように上目遣いをしたところでなんの魅力もないことは分かってる。
でも寂しくて、まだ帰りたくなくて、一緒にいたくて。それは春臣も同じだと信じたくて、俺は春臣の瞳を覗き込んだ。
俺が映り込む、その綺麗な瞳が細められた。
ねぇ、誘ってよ春臣。お前も俺と同じなんだろ…? 俺たち、もう少し進める道があるんだろ…?
春臣の、形の良い薄い唇がゆっくりと開いた。
「ごめんな集、この後彼女と待ち合わせてるんだ」
◇
『今日も飲み会来ないのかー?』
あの日から、はや一ヶ月。
俺は春臣が参加する飲み会には行かなくなった。自分の勘違いに恥ずか死にそうだったのもあるし、何より、事実に対するショックが大きすぎて立ち直れなかった。
だって、あんな瞳で俺を見つめて、あんな熱をもった手で俺に触れたくせに、彼女ってなんだよ…?
恥ずかしいよりも悲しくて、悲しくて、ただ悲しくて…。あの後どうやって家に帰ったのかあまり覚えてない。朝までひたすら泣き続けて、殴られたのかってくらい瞼がパンパンに腫れ上がったのだけは覚えてる。
春臣からも何度か連絡が来たけど、風邪で声が出ないってことにして電話には出なかった。いま、あんな甘い声を聞いたら、また泣いてしまうと思ったから。
それほど自分が春臣に惚れてたんだってことにも衝撃を受けたし、気付いたところでどうにもならない想いに絶望した。
だって、春臣には彼女がいる。
『行かない。まだ調子悪いから』
『まじかー、長引いてるな。ゆっくり休めよ!』
『おー、また誘って』
友人にメールを送って、ベッドに躰を沈める。現実逃避には、眠るのが一番だ。寝てしまえば虚しくすぎる時間もあっという間だし、何も考えなくてすむ。
願わくは、夢にだけは出てきてくれるなよ、春臣…。
――ピンポーン
――ピンポーン
――ピンポーン
しつこく鳴らされるインターホンに、深く沈んでいた意識を無理やり引っ張り戻された。
「ん…なんだよ? しつけぇな…誰だよ」
もぞもぞとベッドで寝返りを打つ。また深く息を吸い込んで、ゆっくり吐いては意識が沈もうとする。が、
――ピンポーン
「ぬぁぁああっ! ッンだようるせぇな!!」
苛々しすぎて、覗き穴を見るのを忘れた。勢いよく開いた扉。そこに立っていたいたのは…。
「はるおみ…」
「風邪、長引いてるみたいだけど大丈夫か?」
普段はシャープな印象のその目元を緩ませ、心配げに眉を下げて俺を見つめる。
「だ、いじょ…ぶ。おま、飲み会は…?」
「集がまだ風邪でダウンしてるって聞いたから、こっちに来た」
「なんで…」
「集?」
なんで、優しくすんだよ。せっかく、忘れようとしてんのに。友達に、戻る努力をしてんのに…。
「中、入っていい? 色々買ってきたから一緒に食おう」
春臣が、手に持っていた袋を持ち上げる。コンビニじゃなくて、スーパーの袋ってところが、なんだかちゃんと考えて買ってきましたみたいな感じがして、それがまた俺を苦しくさせる。
「入れば…」
「ん、お邪魔します」
言うが早いか、春臣はつったっていた俺の腰に腕を回すと、エスコートするみたいに部屋に足を踏み入れた。
「食欲はあるか? ゼリーとか、ヨーグルトとかも買ってきたけど、普通に飯食える?」
食えるよ。だって風邪なんかひいちゃいないから。
「集? どうした、気分悪いのか?」
ソファに座って俯いている俺の顔を、床に座り込んだ春臣が見上げた。
「熱は?」
「……ない」
「ほんとに? ちょっと顔が赤いけど」
また、前みたいに春臣の手が俺の頬をするりと撫でる。その瞬間、俺の背筋がぞくりと粟立った。
「ちょっと熱くないか? やっぱり熱、あるんじゃないのか」
「な、ない…」
頬に当てられていた手が額に移り、前髪をあげる。そのまま、人形みたいに出来の良い顔が俺に近づいた。額が、くっつく。
「ほら、やっぱり熱い」
鼻と鼻が、くっつきそうな距離。情けなくてみっともない、泣きそうに歪んだ俺の顔が、春臣の瞳の中に映った。
心が、バリバリに砕ける音が聞こえた気がした。
「集…?」
ぼろぼろと、堪えきれなくなった涙が溢れる。それを掬いあげようとした春臣の手を、加減なく叩き落とした。
「やめろよ、お前…悪趣味だよ」
勘違いなんかじゃない。勘違いなんて言わせない。だって、どう考えたってあの日のキスから、春臣と俺の距離感はおかしくなった。
高校で出会ってからこの五年間、こんな風に頬に触れたり、肩や腰を抱かれることもなければ、熱を出したからっておでこで測られることもなかった。
大体、男同士でそんなこと普通しない。だけど、あの罰ゲームのキスの日から、明らかに春臣からのスキンシップは増えていた。
「俺をからかって、馬鹿にしてんだろ」
「なに、なんのこと?」
「しらばっくれるなよ、全部分かってやってるくせに!」
周りから、お前は考えてることが直ぐに顔に出るから分かりやすいってよく言われる。
今考えてみれば元々鋭いコイツが、春臣を意識しまくってテンパりまくってる俺に気付かない訳がないんだ。気付いたうえで、コイツは俺で遊んでたんだ。
「どうせ…知ってるくせに」
ぐすっと鼻をすすると、また春臣の手が俺の頬に戻ってきた。それを再び叩き落とそうとしたけど、それは失敗に終わる。
俺の手が、春臣の手に捕まったから。
「知ってるって、どれのこと?」
「…え?」
みっともなく、子どもみたいに泣いてぐしょぐしょになった顔を、春臣が覗き込む。
「俺が紹介した女が、ことごとく好みから外れてたこと?」
「え…?」
「それともお前がまだ童貞ってこと? 俺とのキスがファーストキスだったこととか?」
「えっ!?」
「キスして、俺のこと意識しまくっちゃったこととか? それなのに彼女がいるって知って、ショック受けて寝込んだこととか」
握りしめられた手に、更に力が込められる。
「お前のことなら、全部知ってるよ。本当はどんな女が好みで、どんなデートに憧れてて、そんな価値観がひっくり返るくらい、泣いて寝込んじゃうくらい欲しいものができたことも」
春臣が、ゆっくり優しく微笑んだ。
「言ってみて、なにが欲しいのか」
「…知ってるって、言っただろ」
「集の口からちゃんと聞きたい」
涙がまた、ボロっと零れた。
「意地の悪い奴」
「今更気付いた?」
「もっと、優しいやつだと思ってたのに」
「がっかりした?」
きゅっと、下唇を噛んだ。がっかりして、嫌いになれたらどれだけ良かっただろう。すんっ、と鼻をすすって震える息を吐く。
「好き、春臣…俺のものになって…」
春臣が、蕩けるような笑みを俺に向けた。
「出逢ったときから、俺はお前のものだよ」
零れ落ちる涙みたいな告白は、あの日と同じ熱に奪われ、溶けた。
END
2018/06/10
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