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後編



「やあ、久しぶりだね」

 自然と足が向いたのは、鍵を壊された非常階段。そこには、あの病室で一度会ったきりだった生徒会の顧問だというやたらニヤニヤと笑みを浮かべる色男が、細長い指に火をつける前の煙草を挟んで座っていた。

「なんだ、先客かよ」

 チッと舌を打って引き返そうとすれば、その腕は男によって引き止められた。

「まぁまぁ、そう毛嫌いしないでよ、岡本くん」

 ここへ来て初めて呼ばれる、悪意の篭らない自身の名前。受け入れる様に引かれた腕。そこから伝わる人肌の温もり。それは、驚く程俺を内側から弱らせた。
 崩れ落ちるように男の前に座りこむと、それを皮切りに俺の瞳からボロボロと涙が落ちる。

 記憶を失う前の俺は、一体ここで何をしていた?
 どうしてあれほどまでに嫌われている?
 階段から突き落とすなんて、幾らなんでもやりすぎだろう。
 命を取り留め戻った今だって、行く先々で暴力やバケツの水が降ってくる。
 ここに味方なんて、ひとりも居やしないのだ。
 
「もう嫌だ…こんなところ、もう嫌だ…」
 
 泣きながら、馬鹿みたいにそれだけを繰り返した。男は吸うのを諦めたのか、煙草を胸ポケットにしまうと俺に言った。

「俺がいるよ」

 男は、掴んだままの俺の腕を更に強く引き寄せた。俺は男の胸と腕の中に収まる。ぐすっと鼻を啜れば、シャツにしみついた煙草の匂いが俺の鼻腔を満たした。その瞬間、なぜか脳裏に浮かんだ階段の風景。
 誰かに、背中を押されたあの場所。

「ッ、」

 急に怖くなって、男に強くしがみついた。

「みんな俺が消えればいいと思ってんだ! 今の俺を、誰も見てくれない!」
「俺は見てるよ」
「嘘だ! 恋人だったはずの奴すら、俺を放置してるのに!」
 
 叫ぶと同時に、俺は男に強く強く抱きしめられた。

「俺は岡本くんが好きだよ」
「え…?」
「今の君でも、前の君でも、俺は変わらず岡本くんが好きだよ」

 驚いて男を見上げれば、男はいつの間にかニヤニヤとした笑みをしまい、真剣な眼差しを俺に向けていた。

「俺だけは君から目を逸らさない。全てを受け入れる」
 
 力の入れ方を忘れたかのように、俺は全身から力を失った。
 これほどまでに強い想いを、俺はぶつけられた事がない。きっとそれは、記憶を失う前だって同じはずだ。本能で分かる。だからこそ俺は、余りの安堵に全身から力が抜けたのだ。
 ただでさえ記憶を失い不安だった生活で起きた不測の事態。一瞬の気の緩みも許されない過酷な状態の中で漸く味方を見つけた安堵によって、ここ数日張りっぱなしだった神経の糸が切れたのだろう。脱力とともに、強い眠気に襲われた。

「濡れたシャツを脱いで、これを着て。少し眠ると良い」

 眠っている間にシャツも乾くから。そう言って俺のシャツを脱がせると、男は自分の着ていた煙草臭いシャツを俺にかぶせた。
 その香りに、一瞬心臓が嫌な脈を打った。けれどそれを上回る疲れに、俺は直ぐに意識を奪われ深い眠りについた。



 深い、深い闇の底で男は笑う。

「彼らの想いは弱すぎる。どうせ愛すなら、奪われた時は殺すまで愛さないと。ねぇ?」

 男の指が優しく頬を撫でた。



 その指で、俺はどこまで深く堕とされるのだろうか―――


END




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